62 魔法の禁書
紙と革とインクの、古い匂いと新しい匂いが混ざり、暗い光の中で書庫の神秘的な印象を増していた。
「わぁ……」
私は思わず呟き、そのまま足が止まってしまった。
私なんかが入ってしまっていいの? ここは国の記録が詰まっている大切な場所なのでは?
喜んでおいてなんだけれど、気軽に誘いに乗るんじゃなかったと後悔するくらいには、歴史の重みを感じていた。王立図書館とも違う、独特な重みだ。
「書庫の管理者には席を外させています。ソフィア様は特別な方ですから、何をしても誰もお咎めになることはありません」
それはまた、随分と信頼してもらえているようだ。
「書籍を破壊しても?」
「ええ、私が王太子を外されるなどの罰を受けるくらいです」
「まぁ、それは恐ろしいわね」
「なんてことはありませんよ。そもそも、ソフィア様がそのようなことをなさるなど、心配などしておりませんから。そうでしょう?」
アンソニーの笑顔が怖い。脅されてるとしか思えないんだけど。
私が自分に都合の悪い歴史書を破棄するとか、持ち逃げして売ってしまうとか、そういうことはしないと信じられている、もしくはわかっている……そうよ、わかってるのよ。だって私、そういう策ができなくて、興味がなくて、”伝説の令嬢”になってしまったんだから。
「お時間が来たらお迎えにまいります。どのくらいおられますか?」
「ええと、……どのくらいまでいいの?」
「そうですね。あと二時間くらいは」
「では、その分だけ」
「わかりました」
アンソニーは頷き、私にこっそりと耳打ちをした。
「ソフィア様、私が去ったあとは、扉を開けて出ることは可能です。入ることはできませんが。ですから、ちょっと開けて、外にいる者がいたら、探すのを手伝っていただくことも構いませんよ」
「でも」
「本日は名目上、あなただけとしていますが、私は何度も側近を連れて本探しを手伝ってもらっておりますので、側近たちは朝飯前なのです」
アンソニーはウィンクをすると、リアンの肩を叩き、行ってしまった。
私とリアンは顔を見合わせ、中途半端に開いた扉の前でしばし沈黙した。
「……リアンも入る?」
「いいえ」
「でも、二人きりで色々できるわよ」
リアンは眉をひそめ、ため息をついた。
「誤解を招くようなことはおっしゃらないでください」
「あら、何を?」
「ソフィアは書庫で何をしたいのですか?」
「私の伝説の記録を見るのと、裁判の記録とか……、リアンも探したでしょう、呪いの鏡のことを書いた本。ここにもあるのでしょう? あなたも見たのだろうから、一緒に探してもらおうかと」
ほっと息をつき、リアンは書庫に足を踏み入れた。
パタリと扉を閉めると、急にシンとして、空気が重くなった気がした。きっとこれは私の今の気持ちだ。リアンを見ると、何事もなかったかのように、リアンは今度は真面目に考え込んでいた。さすが、慣れている人は違う。
「お手伝いはできるでしょうが……側近が入れる部分も限られております。それはアンソニー様がいても入ってはならない部分ですので、そこ以外なら」
「入ってはならないところはどうしたらわかるの?」
「魔法がかけられておりますね」
え、そうなの? 知らなかった。使えるのは、一部の人と、異国の方だけだと思ってたわ。
「まぁ。難しいことができるのね」
「ええ、王宮には、ここぞというところにはかけられておりますよ」
「少しはかじったけれど、王族以外には関係ない話だものね、知らなかったわ」
「あぁ、……今はそうなっておりますが、随分と変わったのだと思いますよ。ニコラス様が積極的だったものですから」
「そうだったの」
「ですから、魔法に関する書籍はかなり集められていると思います。ご覧になりますか」
「ええ」
「僕は見られませんので、あなたの伝説や裁判の原本を探しておきましょう。魔法に関する書籍はこちらです」
リアンに案内され、奥の目立たない一角についた。
「わかりにくいわね」
「そのようになっておりますから」
それでもリアンがわかるということは、何度も来ていて、案内できるくらいには信頼されているということだろう。
「外からは中で何をしているか、見ることも聞くこともできません。なるべく早めにお声がけください。それでは失礼いたします」
リアンが行ってしまい、私は引っ込みがつかなくなった。ゆるく靄がかかったようなエリアに近づいたが、景色は変わらず、本が並ぶ。まだまだ続いて、本棚の切れ間を探している間に、私は守られたエリアに入ったことに気がついた。
少し気温が低く、古い本が並び、そのため、光も少ない。なかなか緊張する空間だ。
本棚に並ぶ背表紙を読んでいく。
「これは……」
思わず手に取った本は、見たことのない、異国の本だった。
見たことのないはずの……でも、しばらく見ているうちに思い出した。これと同じ本を、誰かが持っていた。ニコラスか……デイヴィッドか……
ニコラスだったらこの本。でも、デイヴィッドだったら、家にもあるかも。
私は恐る恐る本を開いた。まだ異国語は覚えていたようで、すらすらとまではいかなくても、それなりには読めた。『魔法を強化するために』と書かれている通り、魔法の術具の作り方を書いている本のようだ。分厚い本で、目次も長く、わかる文字とわからない文字がある。それでもペラペラとめくっていると、”鏡”の文字が目に入った。
急いでその項目の章を読むと、術具としての鏡の使い方、その種類が書かれている。参考文献も。
その中の一つに、『呪いの鏡』があった。
呪いの鏡ですって。
私は慌てて本棚に目を走らせた。本にも目を落とし、作り方が書いてあるという説明書きに気づいた。
鏡の作り方? そんな本があるの? こんなところに? なぜ……
その本を見つけ、取り直してざっと目を通した。どうやら、鏡を術具とした時の、特に、呪いの種類、意味、かけ方、作り方、それらが載っているらしい。
呪いは禁じられているし、こういった類のものを作ることも禁じられている。だから、アンソニーも作ることはしないだろう。でも、それが目の前にあったなら……
アンソニーが鏡に興味を持つわけだ。
ニコラスフリークのアンソニーが、ニコラスが魔法を研究していたのを知らないはずはない。鏡の調査をしていたことだってわかってたはずだ。リアンはそれ以上、資料には近づけないけれど、アンソニーは違う。
でも、どうしてアンソニーは願い事をしなかったのか。
それはやはり、呪われたくないからで、おそらく、その呪いについても、この本に書かれているのかもしれない。
そこで私はひらめいたことがあった。
アンソニーはリアンがどうやって私を戻したのか、具体的には知らないんだわ。
そうだ。リアンは”ソフィアにかけられた呪い”を解くはずだったのに、その方法は見つけられていないのだ。はじめは信じてしまったけれど、デイヴィッドだって見つけてなんていなかった。
リアンが近づけるはずのない場所にある情報を、リアンが知っているということは……
ピアニー家には普通に置いてあるかもしれない。家で探してみよう。
見つけたら、……しっかり読んでから、ここに持ってきて、保管してもらうことにする。
鏡の願いの叶え方、呪い方、ちゃんと読んでから。もしかしたら、私の魔力についても何か書いてあるかもしれないし、自分で解けるかもしれないもの。
第七章はここまでです。
第八章は王宮のお茶会からです。