61 書庫へ
「楽しませていただきましたよ、ソフィア様」
そのアンソニーの声で、あっけにとられていたチャーリーが復活して、声を上げた。
「兄様! 僕はまだお話中です。リアン兄様も、勝手に」
「チャーリー、これは父君のご命令だ。ソフィア様のご希望に沿うように、と。私たちがお引き留めしてはならないよ」
アンソニーが毅然として言うと、チャーリーはしぶしぶ引き下がった。その様子を、国王陛下が面白そうに見ていたが、それにも飽きると、彼は笑いながら私に言った。
「どうだろう、ソフィア嬢。ピアニー家の新しい当主が……回復をしたら、王宮での茶会に呼んでも良いだろうか? もちろん、ぜひ、君にも来ていただきたい」
新しい当主とは、もちろんノアのことだ。これは大きな名誉だ。当主復活の茶会を開催する時に、ハクがついてやりやすくなるだろう。断る道理もない。というか、断れるわけがない。
私はその光栄に頭を深く下げた。
「謹んでお受けいたします。ノアも喜ぶことでしょう」
「頼んだよ。あとはアンソニーに任せよう」
あ。交渉ごとはアンソニーが請け負うって顔してる。今はまだ知らないかもしれないけれど、外務大臣の知らないことも、リアンの知らないことも、全部知るってことですね、アンソニーが。次の国王だもの、当然か。
「はい、お任せください、父上」
なにも知らない口調で、アンソニーは頷いた。でももしかしたら知っているかもしれない。王族はあてにならない、ニコラスの時からの教訓だ。
そして、アンソニーに促され、私たちは部屋の出口へ向かった。チャーリーは黙っていたが、……部屋を出て行く私に駆け寄って、一言言って行くのは諦めなかった。
「またお会いしましょう、ソフィア様。今度は二人で」
お茶会で会うんじゃないんですか?
私は言いそうになったが、リアンの視線を見て思いとどまった。
☆ ☆ ☆
「チャーリーも積極的だなぁ」
無言でしばらく廊下を歩いた後、アンソニーが笑い出した。
「笑い事ではないよ、アンソニー……」
「いいじゃないか。勉強してくれるなら嬉しいよ。私がいるからといって、チャーリーは手を抜くんだから」
「優秀すぎる兄がいるのも、問題ですわね、アンソニー様」
「そう言われても、そんなに嬉しいものではないけどね。友達できないし」
アンソニーが不服そうに唇を尖らせると、リアンは気安い口調で頷いた。
「仕方ないさ。みんな気後れしているところがあるからね」
「そうですの?」
私は首を傾げた。アンソニーは気さくだし、面白いし、学生だったら友達もたくさんできそうなものだけれど。……でも、成績とか良さそうだし、逆に完璧すぎて近寄り難いのかもしれない。
「そんな私を、身内以外で足に使えるのは、ソフィア様だけですね」
「嫌ですわ。今回だけです。ご案内してくださるお約束でしたもの」
私は言いながら、まだ見ぬ書庫に思いを馳せていた。私の伝説、裁判の記録の原本、もしかしたら、呪いの鏡にまつわる証書なんかもあるかも。あまりにワクワクしすぎて、リアンとアンソニーの会話を完全に聞き逃した。
「リアンもついてくるんだな」
「当たり前だ」
「書庫には入れないが?」
「入るつもりはないよ。だが、お前と二人きりにするつもりもない」
「別に構わんだろ、チャーリーじゃないんだから」
「それに別の男が声をかけるかもしれない」
「気にしすぎじゃない?」
「しすぎなものか。王宮には多くの男性が勤めているし、みんなソフィアに興味がある。話しかけづらい雰囲気があるわけでなし……声をかけられる可能性もある」
「そうだとしても、問題ある? そうだ。ソフィア様はどう思います?」
「え?」
聞いてなかった。リアンが、一緒に来るけど書庫には入れない、までは聞いた。だから、一緒に探したり相談することはできないんだなと思っただけで、その後、また話は進んでしまったようだ。何か数の話をしてたような気が……
「何がですか? 書庫にどれくらい本があるか、ですか?」
「違います」
アンソニーは言うと、リアンに向いた。
「ほら。興味ないんだよ」
「ソフィアの興味があるなしではないよ」
「何? 何?」
「ソフィア様、例えば、見知らぬ男性から話しかけられたらどうします?」
アンソニーに問われ、私は首を傾げた。
「わたくしのことを知ってるんだなと思いますわ」
「それで?」
「それっぽい雰囲気で話さないとならないから、ちょっと大変かと……」
「それっぽいとは?」
「伝説の令嬢ですわ。それ以外、私に興味なんてありませんでしょ?」
私の言葉に、アンソニーは首を傾げた。
「でも見合いの話があるのは、あなたに魅力と興味があるからでは?」
「それはだから、肩書きですわね、伝説の令嬢を嫁にしましたって、すごい話題になるからですわ。子々孫々いけますわよ」
「そういうものですか」
私は力強く頷いた。
「そうです。わたくしに野心があったら嫁にしたいくらいです」
「ご自分と結婚ですか」
「私が男で野心があれば、ぜひに。だからアンソニー様は安心。リアンも安心」
私が朗らかに言うと、アンソニーは訝しげに眉をひそめた。
「安心とは?」
「私を手に入れなくても、野心は達成されるほど、優秀で有能だからです」
「お褒めいただいて光栄です」
なるほど、と一笑いしたアンソニーが立ち止まった。重厚な扉の前だ。
「ちょうどでしたね。こちらです」
アンソニーは自分の腰に下げている鍵束を持ち上げると、幾つかの鍵を順次使い、鍵を開けた。私がじっと見ていると、うっすらと笑った。
「興味深いですか?」
「ええ。それは、アンソニー様だけがお持ちの鍵ですの?」
「この束の組み合わせは、私だけです。ですが、この部屋の鍵は、何人かは持っておりますよ」
「そうなんですか……」
この書庫は、以前見かけた時より、古くはなっていたけれど、重厚さが増し、毎日磨かれた取手と扉が、つやつやと美しかった。ニコラスに一度、目の前に案内してもらった時は、美しい秘密の収まった憧れの場所だった。就職できたらいいと思い、ニコラスがそれを示唆してくれてるのかと思った。でも今は、私が生きるヒントを探す場所と化している。
その扉が、今、目の前にある。
「さぁ、どうぞ」
アンソニーの丁寧な仕草とともに、その憧れの場所への扉が開かれた。