57 遅い帰宅
ピアニー家の屋敷に戻ったのは、真夜中を過ぎてからで、私はとても疲れていた。
私なりにノアを置いて帰るのが心配で、あれこれ話してグズグズしているうちに、出発が遅くなってしまったからだった。最初は不安そうにしていたノアも、最後には笑いながら送り出してくれた。
だからきっと大丈夫。
目の前で不機嫌をあらわにしている、リアンの従者を除けば。
「……言っておくけど、あなた、使用人なんですからね。自分の主人の友人に対して、それはないんじゃないかしら?」
しかし、ブルータスは冷ややかだった。
「申し上げたはずです。リアン様との約束はお守りください、と」
「約束は守ってるわ」
「どのような約束をなされましたか」
「……リアンのそばにいると」
「していただいたでしょうか?」
ちらりとブルータスが視線を投げた先は、ベッドで眠っているリアンだった。
私は帰宅してすぐ、リアンの部屋に来ていた。ちょっと顔を見るだけだったのに、ブルータスが帰してくれないのだ。もちろんデイジーもいるけれど、普段だったら許されないことだ。でも、私にはそれを咎めることはできなかった。
「しているわよ、物理的じゃなくても、えぇーっと、ほら、心は寄り添ってる感じ?」
「リアン様はその寄り添いを感じておられなかったようですが」
キースが落ち込んで仕事ができないと言っていたほどだ、ブルータスにはかなりの負担だったに違いない。申し訳ないことをした。でも、私だって向き合うには時間がかかったのだ。自由の身になれるとは思っていなかったけれど、ここまで影響があるとは思わないじゃないの。
疲れていて、眠かった。多分、みんな。だからイライラして、冷静な話し合いなんて、できるわけがなかった。
「仕方ないじゃない! 決心がつかなかったんだもの!」
つまり、私はキレた。リアンが起きなかったのが不思議なくらい。それでもブルータスは冷ややかだった。
「何の決心でございますか?」
「リアンの望みを叶えることよ! さすがに覚悟が必要よ、何だって叶えるなんて、無理じゃない」
「……何をなさったというのです?」
「アンソニー様に聞いてくださる?!」
叫んでから、私は怒らせていた肩を落とした。
「ううん。デイジーに聞いて。ブルータスには言っておくべきだったわ」
今度はブルータスが困ったように眉をひそめた。そして、すぐにデイジーに顔を向けた。
「デイジーさん、教えてください」
「それでは、明日にでも」
デイジーが帰ろうとすると、ブルータスは驚くべき速さで動き、ドアの前で立ちはだかった。
「今、聞きたいです」
デイジーが狼狽え、私を振り返った。
「でも……私はお嬢様のお支度を」
「こんな夜中に、男の使用人がお嬢様の部屋にいけるはずがありません」
これは何が何でも聞くつもりだな……私は自分が言ってしまったことに後悔したが、どう収拾をつけていいのかわからなかった。私が謝ったところで、ブルータスは引き下がらないだろうし、デイジーも嫌がるだろう。私が命令して今をしのげても、今度は、ブルータスは私を信頼してくれなくなるだろう。
「ですが、ブルータスさん、就寝前のお嬢様一人置いて、出ることなどできません。お片づけも残っています。明日で十分でしょう」
「明日は私も仕事がございます。リアン様は傷心で、あまり寝ておられないものですから、そのお手伝いも必要ですし」
「それなら、お嬢様のお着替えが終わった後で、食堂で」
「この部屋を離れるわけにはまいりません」
「さっきから何よ」
デイジーが足を踏みならして抗議した。リアンが起きてしまわないかと振り返ったけれど、やっぱりまだ、ぐっすりと眠っていた。それを踏まえ、ブルータスがさらに凄みを増してデイジーに言い募った。
「私の義務です。リアン様のダメージがお分かりですか? ご兄弟を失った悲しみを乗り越え、次期当主としての心構えを学び……」
「わかった、わかったわ」
私はようやく間に割って入った。うん。そうしよう。
「私がここにいるわ。二人の話が終わるまで。それでいいでしょう? そのあと、部屋に戻るわ」
「ですが」
「リアンの寝顔でも見ていれば、すぐに終わるでしょう。ね、デイジー、よろしくね。私の主観より、あなたの客観的な説明の方が理解しやすいと思うの」
お願い。私がデイジーに手をあわせると、デイジーは覚悟したように頷いた。
「わかりました。私も侍女として、もしソフィア様がリアン様にないがしろにされたと感じたら、問いただしたいですから。もちろん、それは誤解ですけどね! だから言いましたのに」
言い訳できないわ……
私は二人に会話を任せると、リアンが寝ているベッドに近寄った。今は深く眠っているようで、息が正しい。しかし、側の椅子に座ってぼんやりしていると、リアンが眉をひそめて、呼吸が浅くなった。
リアンの手をそっと握ると、リアンが柔らかく手を握り返す。そして、すぅ、と寝息が静かになった。
あら……リアンは良い夢を見られるかしら。
ホッとすると、なんだか眠くなってきた。
とても……眠いわ……
鏡にはなんと言われるかしら? これもリアンの望みというかしら?
それならそれで、どんと来いというものだ。私はリアン望みを叶えるべく戻ってきたのだから。
離れればリアンに会えないのは寂しかったし、リアンを大切に思う二人の友人からせっつかれれば、逃げ続けるわけにも行かなかった。
私はリアンを信頼してる。リアンはきっと私に無理なことは望まないはずだ。たとえ、聖女だと思われようと、命を救えとか傷を癒せとか言うわけじゃないんだもの。