51 寝込んでいる間に
「いや、大丈夫だ。僕が見ているから」
リアンの声がして、私は自分がいつの間にか眠っていたことに気がついた。
目を開けると、リアンが私に背を向けて、デイジーと話していた。聞いていると、デイジーは私が目を覚ました時のため、何か食べるものを取りに行くところのようだった。だが、私と二人きりにさせるのを渋ったデイジーが、少し粘って話したため、私は目が覚めたらしい。
リアンを信用しているはずのデイジーが渋ったのは、私のことが心配だからだろう。万一、私が目を覚ましてリアンに驚いてまた倒れでもしたら大変だ。でもリアンだって、人払いよろしく命令してしまえばデイジーが厨房へ行くのは簡単なのに、しっかり言い分を聞いてあげるとは。本当にいい”ご主人様”というか、何というか……
何か言った方がいいのかしら。思いながら耳を傾けていたが、私が気にすることもなく、リアンが残ることで決まった。
「それではよろしくお願いいたします」
デイジーが頭を下げる気配がして、リアンが手を挙げた。
そういえば、私、リアンの後ろ姿ってあまり見たことがなかったわ。
ぼんやりと思いながら、私はリアンを見ていた。スラッと細く見えるが、体つきはしっかりしていて、背筋の伸びも振る舞いも洗練された男性らしさがあった。ちゃんと男の人なんだと、私は改めて理解した。
知ってはいたけど……そういえば、王太子の側近なんかしてるんだったっけ、それは鍛えなければならないわよね。そりゃそうよ、しっかりしてるのも道理だわ。
デイジーがドアの向こうに消え、そこでくるりとリアンが振り向いて、私は思わず目を瞑った。
「ソフィア……大丈夫ですか?」
心配そうな声が近づいてくる。
「あぁ、そうだった……眠ってるんだった……」
側の椅子に座ったリアンが、私の手を優しく握り、反対の手で私の額に落ちている髪を整えた。
「ソフィア……」
私の手に軽くキスをし、静かにため息をつく。
リアンの視線が私に向いているのはわかるけど、どんな表情をしているのかわからない。睨まれていたら立ち直れない……私は思いながら、目を開けなかった自分を恨んだ。
起きていると伝えるタイミングを逃してしまった。これはもう、寝たふりを最後まで通すしかない。
「また倒れたと聞いて、心臓が凍えそうでした。デイジーに聞いたら、先ほどまでは目を覚ましておられたと。タイミングが悪くて、お会いできなくて残念です」
ごめんなさい。起きているけど、鏡のこともあって、どういう顔で話していいかわからないから、寝たふりをさせてください。
今回倒れたのは一緒に遠乗りに行くのを断ったからだけど、きっとそのせいだとは思ってもいないだろう。
「僕が望まないことはしないと言ったくせに……心配ばかりさせるんですね」
リアンが少し拗ねた口調でつぶやいた。
望まないこと? ええ、したくないですとも。したくないし、しちゃいけないこともわかってる。それなのに逆らって、こんな風に倒れてしまうんだから、私も自分に呆れてしまう。リアンに知られては困るのに。
でも、だってやっぱり、確かめたくなるじゃない。どこまで大丈夫かどうかだって、気になる問題だ。おかげで、どのくらい逆らうとどのくらい倒れるかはわかってきた。本当はもっと試したいけれど、実験は終了しようと思う。
いろいろと負担が大きすぎる。
とはいえ、リアンが言っているのは、お誘いを断ったことではないと思う。おそらく多分、あのお見合いだ。しつこく聞かれたけど、はぐらかした……と言うより、全然覚えてなかったから答えようがなかったのだけれど、それを正直に言ったら、さすがにドウェインに失礼なことになるから曖昧にするしかなかった。
……でもその後、事務的なお礼状を送りあっただけだし、リアンだってそれを読んでるんだもの、わかっているはずなのに。もちろん、メモ書きはヘンリーに引き取ってもらったし、それで万事うまくいっているはずだ。
「本当に、あなたが何を望んでいるのか、……さっぱりわからない」
それを言うならリアンもだ。
『どんな方なのか、会ってみて、知りたかったのです。夢は叶いました。だから、あなたはあなたの好きなように動いていいのです』
そう言っていたのに、本当の願い事は叶えようとはしていないのだから。
「あなたは……酷な人ですね……」
どういう意味? 何かの隠喩? 暗示?
頭が回らない今、抽象的な言い回しは全く見当がつかない。
「僕はこれで、今後来る見合いの話を受けて、あなたに通さなければならなくなりました。もちろん、選んでいいのですが、僕の私情を交えてはならず、……身元が正しく、条件が良ければ、会う段取りをつけなければなりません。もちろん、そうなる事は予想していました。あなたを僕が独占できるわけではない。でも……」
リアンは再び私の手にキスをした。一体どんな顔でそんなことできるんだろう。言葉を聞く限りは怒っているようだし、不満そうだし、私のことを恨みがましく見ている気がしないでもない。目が合ったら多分、眼力で消されるんじゃないだろうか。そんな状態でキスできるなんて、さすがリアン、気遣いのできる男ね……話を聞いていなければ、手は温かくて優しくて、とても大切にされている気分だもの。
「もう少し、独占していたかったんです、僕は……僕のわがままですね」
独占?
私は目を開きそうになって堪えた。
逆よ、逆。それは今、私がしていることでしょう。私が”伝説の令嬢”でピアニー家の要人と言う理由で、リアンを独占している。でもそれはしてはいけないことだ。私は一人でだって、なんでもできるはずなのだから。
私は頭の中でリアンに返事をした。
あなたは公爵家の跡取りで、真面目で有能で前途有望な、貴族令嬢のターゲットの一人なんだもの。でも私は今更感のある伝説の令嬢で、ノアの代わりに仕事をこなし、交渉をするだけだ。ノアが元気になったらこの家ではお払い箱だし、そしたら仕事先は、せいぜい、政治のお飾りになるくらいかしら? そんな私が、リアンを巻き込むのは気がひける。
これを言ったら、もっと怒るだろうから、寝たふりをしていて逆によかったかもしれない。そう思いながら、私は少し考えた。
まだ恩返しもできていないし、私はリアンにすることがたくさんある。呪いがなくても私はリアンの役に立ちたいと思っているけど、呪いがなくなってこそ、私はその証明ができると思う。だから私はリアンの望みを叶えたいし、その次は私の意志でリアンの願いを叶えたい。
私はリアンの手のぬくもりを感じながら、段々と気持ちが温かくなって、心臓がドキドキしてきた。こんなこと、生まれて初めてだ。久しぶりに、こんなに長くリアンがそばにいると、安心して、ドキドキする……なんだか不思議な気分だ。
罪悪感かしら。あまりそばに寄らなくなって、寂しいのかしら。だって、初めてここに呼び戻されてから、ずっと一緒にいて、私を助けてくれたんだもの。長く一緒にいすぎたのかもしれないわ……
私は考えながら、再び眠くなるのを感じた。すると、リアンの声が遠く響いた。
「ご一緒したいんです、ずっと。欲を言えば、……そうですね、あなたが……飽きるまで」
……本当に、リアンは時々、すごく変なことを言う。
何に飽きるの? リアンに飽きるというの? 何を言ってるんだろう、私が飽きる筈がないのに。
そうよ、絶対、飽きたりなんか、……
私は頭の中で抗議をしながら、いつの間にか、ゆるりと夢の中に入っていったのだった。