5 帰りの馬車
馬車に乗ってしばらくたった、屋敷へ向かう道の途中で、リアンが口を開いた。
「アンソニーはどうでしたか。やはり、惹かれますか」
「へ?」
私は首を傾げた。
向かいに座っているリアンに表情はなく、何を思って言っているのかわからない。こんな状況で惚れた腫れたなどと言うような色ボケとでも思われるのは心外だ。
「正式ではないにしろ、ニコラス様と結婚する予定でしたのなら、アンソニーのような人が・・・」
「やめてよ」
私はすぐさま否定した。
リアンは不思議そうな顔をしたが、それもきっと、私の風貌が原因だろうなと思う。何度かガラスに映る自分を見たが、とにかく、キラキラと美しく可愛らしい。鏡に吸い込まれる前は平凡な風貌だったはずだけど。
まぁ、自分のことを客観的に見ることなどできないし、また、結婚する気もなかったから自分がどう見えるか分からなかったけれど、百年ぶりに自分の姿を見れば、さすがに客観視できる。
それに当時の流行とは今は違っているのかもしれない。今に合わせれば、確かに私は全力で結婚相手を探しそうな美貌の娘に見えた。
「言っておくけど、私、ニコラスと結婚したかったわけじゃないからね」
「と、申しますと?」
「正式も何もね、そんなこと、私は微塵も思ってなかったの。ニコラスはいい子だったわよ、本が好きで議論が好きで、平和についてだって何度も議論したわよ。だからと言って、結婚したかったわけじゃないの。ニコラスがそんなこと思ってたなんて、私は知らなかったんだってば」
リアンは驚愕の表情を浮かべる。それ、私が鏡に吸い込まれた理由について思いついた時の顔。
「まさか。だって、ご先祖の話に」
「それはそれでしょ。デイヴィッドもニコラスも勘違いしてたのよ。それでオトコ同士で勝手に盛り上がってたんでしょ。バッカみたい」
「そんなふうに言わなくても」
「じゃぁ、なんて言えばいいのよ」
私は憤慨して苛立ちをぶつけた。
「結婚なんてするつもりがなかったって言えばいいの? もし私が鏡に入っていかなかったら、聖女ソフィアも賢王ニコラスもいなかったんじゃないかしらね?」
「そういう言い方はよしてください」
「なら、どうすればいいの? 結婚する予定だったのって、思ってもいない考えてもいないことを話せばいいの? それなら、あなたは満足するの?」
リアンは困った顔をした。これは存外に可愛らしい。
「僕の満足なんて・・・ただ・・・僕はニコラス様に勝てるところなんて何もないから。だから、あなたが・・・退屈すると思って」
「退屈? どうやってしろっていうの? 私、現世に戻ってきたばかりで驚くことばっかりだわ。これからやることもたくさんあるでしょ? だいたいね。人生は勝ち負けじゃないのよ! ニコラスなんてどうでもいいじゃないの!」
「どうでもよくなんてありません!」
頑なに距離感を保とうとするリアンに、私はキレた。
「そのかしこまった態度、どうにかしろって言ってるのよ!」
「・・・ソ、ソフィア・・・?」
「ニコラスが賢王だかなんだか知らないけど、祭り上げられた伝説の女性ってことで、リアンは私と距離を置いているでしょ。それは嫌なの」
「・・・そうではありませんよ」
「なら、なんで? 私の家は、あなたの家より格下よ? 私が年上だとしても、見た目年齢は年下だから、かしこまり過ぎるのはおかしいわ」
「でも・・・、その、僕があなたを呼び出してしまった責任として、丁寧に扱わなければと・・・考えておりまして・・・」
しどろもどろに言うリアンに、私はため息をついた。
「それなら私は、呼び戻してもらったお礼として、あなたを丁重に扱うことにいたしますわ。知り合いに似ていますし、現在、身寄りと言いますか、私のことを知っているのもあなただけですから、もう身内のような気がしていて、違和感がありますけど、・・・」
つまり、『他人行儀にするならこっちだってお前など知らん顔だ』ということだ。リアンは少なからずショックを受けたようだった。私が距離無しで話すことが当たり前だったように。そりゃ、家の中にいるだけならいいけれど、ノアのために動くなら、外に出ることも覚悟しないとならない。その中で、態度にばらつきがあれば、やりづらいことこの上ない。
リアンがしょんぼりとした表情でうつむいた。
「僕は」
「はい?」
「女性に慣れておりません。だから、・・・どうしていいかわからないのです」
私は首を傾げた。
「・・・エリザベスがいたのではなくて? ジェシカも」
「彼女たちは幼馴染で、別段、意識することはありません。弟妹と一緒です」
「他にいなかったってこと? 婚約は?」
「いません。しておりません。アーロンの方が先でしたし、僕は結婚などしなくても構いませんでしたから」
何言ってるの? このままなら、そのうち毎日お見合いする羽目になるんじゃないかというくらいの好物件じゃない。
「いやいや。あなたほどだったら、引く手数多でしょうに」
「でももう、ないと思いますよ。条件が変わりましたから」
「逆に縁談が増えるのでは?」
「まさか」
リアンは笑ったが、どうもわかっていないようだ。私は伝えるのを諦めて、肩をすくめた。
「私はどちらでもいいけれど・・・自分でご対処なさいませね」
「大丈夫ですよ」
すました顔で、リアンは言う。何が大丈夫なんだろう。自分のこともわかっていないくせに。私は思いながら、つまるところ、この距離感をどうするか知りたかった。
「で、どうするの? 私をどう扱うつもり?」
「・・・それは・・・その、もちろん、おそらく、僕があなたの後見人になるのでしょうし、家族同然に対応するつもりです」
「そう」
「でも、今は、まだちょっと、・・・な、慣れません」
リアンは私から視線をそらし、顔を赤くする。
そんなに女性が苦手なのか? と思ったけれど、鏡の中から見たリアンはそういう印象ではなかった。普通に優しくて、時々、冷たくなることもあるが、それなりに紳士だ。
「あぁ。エリザベスに似ているから?」
「違います! あ、いえ、・・・似てはいますが、リズより清楚で美しいです。似てるからとか、そういうことではありません」
慌ててフォローしようとして、私を無駄によく評価している。こうしてナチュラルに人を褒められるなら、さらにモテることこの上なし。
「じゃ、何?」
「僕が・・・小さい頃に見たあなたの肖像画と一緒だからです」
「あら! ごめんなさいね、幽霊みたいでしょう」
「そうではないです。そうではなくて、・・・あなたにお会いしたいとずっと思っておりましたから、緊張しているんです」
「まぁ・・・」
それはそれは。伝説の聖女級に素晴らしい人格じゃなくてごめんなさい。なんだか申し訳ない。
「申し訳なかったわ。がっかりしたでしょう」
私が言うと、リアンは驚いて頭を横に振った。
「まさか。そんなわけありません。冷静でとてもしっかりなさっていますし、ニコラス様の貴重なお話もしてくださいましたし」
え、それ、私がニコラスのことなんとも思ってないって話しかしてなくない? もっと他にいい話を思いつければよかった。頑張って思い出さなきゃ。私はさらに申し訳なくて謝った。
「ごめんなさい。ニコラスは賢王だったのでしょ? 私の知ってる本の虫ニコラスじゃなくて、成長して立派になったニコラス像に水を差すようなこと言ってしまって」
「いいえ、大丈夫です。驚きはしましたが、伝えられていることが全てではないとは、わかっておりますから」
リアンはニコリと笑った。
いつもそうやって笑っていれば可愛いのに。
私は思いながら、馬車に揺られた。