45 キースの訪問
初めて会話らしい会話をし、お互いに涙を見せ合ったノアのお見舞いのあと、私はしばらく落ち着かない日々を過ごした。鏡から出てきて初めてリアンに会った時より、心構えがあったはずなのに、すっかり興奮してしまっていた。
身内に会えたこと、それがデイヴィッドに似ていたことが大きいだろう。それ以上に、私の存在を認めてくれたことが大きかったかもしれない。なんだかんだ、自分と血の繋がった子孫に、しかも当主に認めてもらえるのはありがたいことだ。
それでも、何日か経って、ようやく落ち着いてきた日の、午後だった。
物音がしてドローイングルームを覗くと、舞踏会で見た顔があった。もとい、かつての私の部屋で。
「キース様?」
驚いて声を上げると、キースが優しい笑顔を私に向けた。
「あぁ、お会いできて嬉しいです、ソフィア様。リアンはおりますか?」
「ええ、あー、えーっと、わかりません」
私は答えながら、そのままドローイングルームに足を踏み入れると、キースの元へ近づいた。相変わらずモテそうな笑顔だ。
「そうなのですか? ・・・今日は休みだと聞いたんですが」
「あ、でも、ブルータスがおりますわ。先ほど庭でお手伝いをしておりました。ですからきっと、リアンはどこかにいるのではないかしら・・・部屋で書類仕事をしているのかも」
「書類整理ですか。・・・うーん・・・集中してるリアンって怖いんだよな・・・しばらくかかりますかね」
ぶつぶつと呟くキースに、私は返事を返した。
「それはわかりかねますわ。そもそも、部屋にいらっしゃるかどうかもわかりませんし・・・何しているのか、あまり興味ありませんのよ」
私が言うと、キースは目を丸くした。
「リアンに興味がないと?」
「あら、いいえ。違うわ。リアンの仕事に興味がありませんの」
王太子の側近なんて、考えるだけでうんざりしそう。
「同じことでは?」
「いいえ、違いますわ。王宮のことなんて考えたくないだけです。でも、リアンには興味があります。例えば、今日は何を食べたいのかとか、どんな服を着ているのかとか」
私がきっぱり言うと、キースはくすくすと笑った。
「そういうことですか。それなら、その方がリアンは嬉しいでしょう」
「そうでしょうか? あまり気にしないような気がしますわ」
私がそばにいるなら、何していても構わない、そんなようなことを言ってたような気がするし。
「まさか。あなたがリアンをどう思っているか、リアンはいつも気にしていると思いますが」
「私? 大切な恩人以上に、どう思えばいいというのかしら?」
言葉に詰まったキースをさておき、私は肩をすくめて窓に向かった。窓辺に立って庭に眼を向けると、リアンの姿が見えた。
「あら。リアンだわ」
「どこですか」
キースが窓辺に近寄り私の背後に立ちった。
「ほら、あそこに」
「・・・? どこですか?」
言いながらキースはかがんで私の肩の横に顔を下ろし、視線を合わせた。しばらく私の指先を見ながら視線を彷徨わせた後、合点したように頷いた。
「ああ、本当だ。よくわかりましたね。庭師の服を着ているのに」
「どんな服でもリアンはリアンでしょう・・・」
リアンがこちらを振り向いたのがわかった。私を認めたリアンが、笑顔で手を振ってきた。私も振り返したところで、リアンが急に怪訝そうな表情になったのがわかった。そして、みるみるうちに顔が曇る。
「おーい、リアン・・・あれ? どうしたんだ?」
キースが首を傾げ、私に向いた。
「リアンはどうかしたんですか? すごく不機嫌ですが」
「そうですか? 急に変な顔になったなぁとは思いましたけど・・・?」
私も首を傾げた時、キースがパッと身を引いた。
「俺か」
「え?」
「うっかりしてた。ソフィア様は存在感が希薄すぎて、どうにもそれらしく扱えねぇや・・・女性、女性らしく。気をつけないと・・・リアンに消される」
「何の話?」
キースのつぶやきは、私には半分も聞こえなかった。でもとりあえず、人間らしく扱われてないことはわかった。
「私だって、一応人間ですけどね」
「わかってますって。でもほら、”伝説の令嬢”ですし? 百年前から同じお姿ですし? お美しいですし? 俺にとってはほら、なんと言いますか、妖精みたいな?」
「妖精って・・・」
私は呆れて肩を落とした。
「あ、いえ、・・・申し訳ありません、決して悪くは言ってないはずですけど」
「悪く言われたと思ったわけではありませんわ。何しろ、伝説ですからね。リアンからは聖女みたいに扱われてるし、なんかもう、どうでもいいかなって」
「聖女、ですか」
「ええ。他になんと言えばいいかしら。救世主? 私はリアンの孤独を慰めるためと、ピアニー家を救うために戻されたのだもの。リアンにとっては、そのくらいの意味があるんだと思っておりますわ」
ものすごく肩の荷が重いけど。それはやはり、甘んじて受けなければならないだろう。
キースが困ったように眉をひそめた。
「・・・それだけでしょうかね」
「それ以外に何があるの?」
私がリアンに視線を戻すと、リアンは依然、呆然としたようにこちらを見ていた。
「どうしたのかしら」
私が手を大きく上げて振ると、曖昧に笑って視線を土に向けた。庭師が顔を上げ、リアンに何か言っている。リアンも不思議なことをするものだ。庭仕事なんて。
私が思わずふふふと笑うと、キースは驚いたようにリアンを見た。
「何かありました?」
「リアンはかわいいなぁって思って」
「かわいい」
「私ね、リアンが小さい頃から見ていましたのよ、鏡の中から。アーロンにくっついて回って、おしゃまなリズにたしなめられて、いつの間にか大きくなって」
しみじみ言いながら、私はふと考え込んだ。
「そういえば、一時期、鏡を覗き込んでは何か言ってたわね・・・」
キースが私を見ながら、小さく息をついた。
「”ソフィア”、そう言っていたんだと思います」
私が顔を上げると、キースは続けた。
「リアンはあなたを探していたんです。あなたは鏡の中にいると、そういう話でしたから」
「・・・キース様も知ってらしたの?」
「知ってましたよ。だからあなたが現れた時、執念だなと思いました」
私は驚いて目を瞬かせた。
「それなら、・・・どうしてもっと早く、戻してくれなかったのかしら」
「あなたが老女で出てくる可能性もあったからですね。責任持てませんし」
「だったら、今だって同じでは?」
私が首をかしげると、キースは優しく笑った。
「でも、リアンの状況が違います。あなたがいるのなら、どんな形でも会いたくなったんでしょう。それだけ、あいつの孤独は深かったんです」
本当に? 私でいいのかしら?
「・・・私は、リアンの孤独を埋められているとお思いで?」
「ええ、もちろんですとも。だから、本人が一番後悔してるんではないでしょうか。もっと早くにあなたに出会いたかったと」
「早くって?」
「だって、あなたとは十歳ほど歳が違いますよ」
「問題がありますか?」
私の言葉に、キースは考えを逡巡させ、腕を組んで唸った。
「・・・ありませんね、うん、特には」
「私はありがたいと思っていますわ。おかげで、私の保護者になってもらえるんですもの。状況も理解してもらえるし、話し合いもしてもらえます。部屋も戻せてもらえたし、デイジーもつけてもらえたし、・・・考えてみれば、随分と恵まれております」
「それは、まぁ、リアンですから。あなたのことを一番に考えてくれるでしょう」
「ニコラスの名前も使いようですわね」
まぁ、ニコラスのことがなければ、私は鏡の中になど入らなかったのだけど。
「それは関係ないんじゃないですかね。ソフィア様はソフィア様です。あなただから、リアンは大切にしたいんですよ」
キースが真剣に私に向いた。
「そ・・・」
それは私が重要人物だからよ、と言いかけた時、頭がフラフラとした。
「どうしましたか」
「ちょっと・・・考えすぎたみたいですわ。部屋に戻ろうかしら・・・」
「ヒェ、大丈夫ですか?」
「ええ、・・・大丈夫」
「お部屋に行かれるのでしたら、お支えしましょう」
「・・・ありがとうございます」
なんだか前もこんなことがあったなと気がついた。
アンソニーとリアンと話している時。
あれは、私が、リアンが私の保護者だと話していた時だった。リアンは辛そうな顔をして、それで、・・・ああ、あんな顔をしていた。
キースに手を引かれて窓辺を離れる時、ちらりと見たリアンの顔は、その時と同じだったような気がした。