44 ノアのお見舞い
一ヶ月後、許可が下り、私はリアンに連れられて、ノアのお見舞いに行くことになった。
向かったノアの病室は、一度訪問したことのあるあの部屋とは違い、もう少し居心地の良い、彩りのある部屋だった。快適に過ごせていそうで、私は少し嬉しく思った。
私が鏡の中からではなく、目で見て知っている最後の弟の姿は、ノアより幼かったかもしれない。
金色の巻き毛は寝込んでいたおかげで輝きが半減していたし、優しい形の眉は長い入院で歪みそうになっていたけれど、深いブルーの瞳は、私の知っている色だった。
思い出の中のデイヴィッド、私の弟。よく似ているその姿に、私は泣きそうになった。
私は大切な家族が成長するのを、この目で確認できるのだ。諦めたことだったのに。
「リアン、この人は・・・誰?」
私が病室に足を踏み入れると、ノアが震える声で尋ねた。
「私はソフィアよ。・・・ソフィア・アレクス・ピアニー」
「ソフィア? あなたが?」
ノアは大きく目を見開いた。
「ええ」
私が頷くと、それだけで、ノアにはわかったようだった。
私が鏡の中にいたことも、”伝説の令嬢”であることも。
「リアン、二人きりにしてくれる?」
私が言うと、リアンは少し不安そうにしていたが、ノアも頷いたのを確認すると、部屋を出て行った。
二人きりで、何を話そう。まずは、何から?
「・・・リアンがあなたを呼び戻したのですか?」
言われた言葉に、私は微笑んだ。
ほらね。
私はしっかりとノアに頷いた。
「ええ、そうよ。ピアニー家のために、あなたを助けるために」
微笑んだ私をノアはじっと見つめた。
大ケガから回復し、ようやく起き上がれるようになった今、それなりに元気でも、まだ意識と現実を繋ぎあわせるのには時間がかかる。
しばらくして考えがまとまったノアは、首を横に振った。
「違います」
「違う?」
「リアンはリアンのために呼んだんです。そしてそれが、僕のためになっただけ」
「リアンのためが、あなたのため?」
「はい。ピアニー家が続くことは、リアンのためだってことになるのではないでしょうか? 前に、そう言われたことがあります。だって、あなたがいるから」
「私は・・・」
ノアの言い分に、私は戸惑ったけれど、ノアは一人で納得するように続けた。
「リアンはあなたに会いたかったんですもの、ずっと。本当にできるなんて、リアンはすごい人ですね。やっぱり、リアンはできる人です。僕、リアンをバカにしてしまったことがあったっけ・・・」
「そりゃそうよ・・・百年も前の肖像画の人に会いたがって方法を探し回るだなんて、おかしいもの」
私が肩をすくめると、ノアはいたずらっぽく微笑んだ。
「でも、今、目の前にいるじゃないですか。リアンはわかっていたのかもしれないですよ。あなたに会えるって。だから方法を探してたんです・・・こんな形だとは思っていなかっただろうけど、でも結局、リアンがあなたに会いたいと思ったから、ソフィアは鏡から出てこられたんですよね。ソフィアって呼んで構いませんか?」
「ええ、もちろんよ。ノアで構わないわね?」
「うん! 嬉しいです。リアンは・・・リアンはですね、誰でもよかったわけじゃないんです。リアンはソフィアがよかったんです。僕はそう思いますよ」
私は目を瞬かせた。
「すごいわね、ノア。同じようなこと、リアンに言われたわ」
「ほらね。合ってた」
「でも・・・」
リアンって、どれだけニコラスを好きだったのだろう? しかも、私に会いたくなるほどなんて。
アンソニーでさえ、私になど興味がないと言っていたのに・・・でも、違う意味では外務大臣だって私に興味があったわけだし、それなりにみんな、理由があるものなのだろう。
「ソフィア?」
「はい」
「僕が回復するまで、僕のそばにいてくれますか?」
「ええ」
「ありがとうございます。とても・・・嬉しいです。それまでは、リアンと会う機会が減ってしまうけれど・・・我慢してくださいね」
「我慢?」
それは新しい発想だ。
リアンのことは頼ってはいても、会いたくてたまらないわけではない。そばにいないと落ち着かないわけでもないし、リアンのように不安になるわけでもない。そう、我慢するのはきっとリアンだろう。毎日、帰ってきたら私の顔を見に、私の部屋をわざわざ回るくらいなのだから。
そこで気がついた。
そうか。お迎えしてあげればいいのだわ。リアンに散々言われていたのに、全然思いつかなかった・・・
「私が?」
「でも、リアンに会いたいでしょう?」
「う・・・うーん・・・どうかなぁ・・・?」
私が首をかしげると、ノアは面白そうにクスクスと笑った。リアンが我慢するのだ、と言ったほうがいいのだろうか、言わないほうがいいのだろうか・・・
「でもきっと、リアンが我慢することになるんでしょうね」
「あら」
「僕はリアンの味方ですけど、でも、今だけは、ソフィアにそばにいてほしいんです。許してくれるでしょうか?」
「リアンが? きっと許してくれるわ。優しいもの」
すると、ノアは驚いた顔をした。
「リアンが? 優しい? 本気で言ってます?」
「優しい・・・でしょ?」
「ソフィア、自分以外の人とリアンが話しているのを見たことがありますか? 使用人じゃなくて?」
「あるわよ、もちろん」
「誰?」
「アンソニー殿下とか、キース様とか、」
「それは友達じゃないですか。他には?」
私は首をひねり、少し嫌な記憶を思い出した。
「・・・外務大臣とか?」
「どうでした?」
「まぁ、あまり・・・いい関係では・・・なさそうだったけれど・・・」
私が言葉を濁すと、ノアは頷いた。
「リアンは基本的に、そんな感じだと思いますよ」
「嘘でしょ」
「仕事はちゃんとやるし、真面目だし、最低限のやりとりはするけれど、・・・割と人と距離をとりたがるタイプですし、・・・」
「でも、ノアは仲がいいでしょ?」
「それは、兄弟みたいに育っていますもの。でも、リアンは人と接するのがあまり好きじゃなかったから」
「で、でも、一緒にダンスを踊ったし、それは上手だったわよ」
「リアンはなんでもできるんです。舞踏会でもモテてたみたいでした。でも、リアンから優しくするのは見たことがないですよ。リズでさえ、ね」
「デボラは?」
「ああ、デボラには優しかったですよ。でも、アーロンに遠慮しておりましたね・・・」
「遠慮?」
「リズ姉さんのことで。気にする必要なんてなかったのに。結局、収まるところに収まったんだから」
少し寂しそうにノアは笑った。
「初対面なのに、自分たちの話もしないなんて、変ですね」
「いいのよ。いらないわ。だって私たち、家族なんだもの。よく知っているでしょう?」
私が言うと、ノアは急にポロポロと涙を流した。
「まぁ、ノア・・・」
ベッドカバーの上に置かれたノアの手の上に、私はそっと自分の手を重ねた。ノアは手を返し私の手を繋いだ。彼の涙は止まらず、私はそれ以上、何も言うことができなかった。
長いこと、私たちはただ沈黙の中で、お互いの手を握り合った。