42 やんごとなき方からの手紙
自分の部屋に戻り、一息ついていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「どなた?」
「ヘンリーにてございます、ソフィア様。お手紙が届きました」
「手紙?」
デイジーがドアを開けて、ヘンリーが入ってきた。
「どなたから?」
「国王陛下にてございます」
「は?!」
私は差し出される手紙をじっと眺めた。恐る恐る手に取り、息を詰めて手紙を開ける。手紙の中身は、つまるところ、今度謁見に来い、と言う話だった。
「・・・えー・・・」
私は頭を抱えた。デイジーがそっと紅茶を新しく淹れ直してくれる。いい侍女を持って私は幸せだ。
「アンソニー殿下にも言われたんですものね、・・・行かないとならないんでしょうね・・・」
私がぼやいていると、デイジーが呆れたように私の顔を覗いた。
「行かずしてどうするのです? 反逆罪で捕まりかねませんよ」
「牢屋で過ごすのも悪くないわね」
「ソフィア様!」
「ノアが元気になるんだもの、私はもういなくてもいいわけだし」
私が笑うと、デイジーは軽く私を叱った。
「そんなことありません。第一、リアン様はどうなさるのです!」
「別に私がいなくても・・・」
すると、デイジーは鼻を鳴らした。
「あれだけ不幸なことが重なって、お辛かったリアン様が笑顔で毎日を過ごせているのは、ソフィア様のおかげです。ソフィア様がいなくなっては、またにこりともしない毎日の繰り返しになるでしょう。そんなこと、私が許しません!」
「デイジー!」
それまでぐっとこらえていたヘンリーが、たまりかねたように声を上げた。
「お嬢様に向かってなんという口の利き方をするんです」
デイジーはヘンリーがいることを思い出し、慌てて私に頭をさげた。
「も、申し訳ありません」
私はデイジーに鷹揚に頷くと、今度はヘンリーに顔を向けた。
「ヘンリー、いいのよ。私は許可してるから。でもねぇ、ヘンリー、あなたも同じ意見でしょ?」
私が言うと、ヘンリーは口ごもった。
「それは・・・しかし・・・」
「いいの、考えくらいわかるから。あなたたちがリアンを大好きなこともね。私、貧乏貴族だったのよ。代々執事だったのなら、知ってるでしょう。使用人なんて、あなたのご先祖とあと数人のメイドくらいしかいなかったのよ。私にとってはとても身近な人たちだったわ。いつも相談して家のことはやってきたの。だから、あなたたちが誰を信じて、どう思うか、それなりに知ってるつもり」
「お見通しでいらっしゃいますか」
「そこまで言うつもりはないわよ。立場のことを考えれば、当然、そう思うだろうってこと。だから、そんなヘンリーに聞きたいことがあるのだけれど、相談に乗ってもらえる?」
「相談・・・でございますか?」
ヘンリーが警戒するように私を見た。大丈夫、そんな変なことは言わないわ。多分、おそらく。ヘンリーが知っていることだから。
「デイジーから聞かなかった? 私の話」
「聞いておりませんが」
そんなはずはないと言いたいところだが、正直に言えないのも道理だろう。
「それじゃ、話すわね。どうしたらいいか教えて欲しいの」
前置きをしてから、私は自分が鏡の中から部屋の様子を見ていたこと、舞踏会での話、そして今回の私の考えを話した。ヘンリーは神妙な顔で耳を傾け、私が話し終わるまで口を挟まず、静かに聞いていた。
「それで、夏離宮をお勧めしておきました。人員手配はこちらでする、という前提のもとにね。お使いになるならきっと、王宮で申請なさると思うけど、難しいことじゃないと思うわ。ヘンリーはどう思う?」
すると、ヘンリーは静かに頭を下げた。
「・・・構いません。それがご意思なら」
「本当に? そもそも、私が現れたのが間違いだったとは思っているんじゃない?」
デイジーが一瞬、息を飲んだ。
「恐れ多くもソフィア様。そのようなことは決して思っておりません」
ヘンリーは私を見て、しっかりと言い放った。
「代々、私たちはお会いしとうございました。ソフィア様がおられた当時、執事をしていた私の祖先もまた、そう思っておりました。ソフィア様は明るく気立てのいい才媛だったと伝え聞いております。 規模が小さく蓄えが少なかったからといって、使用人たちにも気取らず接してくださる主人はそうありません。ピアニー家の方々はいつもそうで、それが我々が支えていきたい所以でございます。ですから、そのソフィア様のご意思なら、逆らうことなど考えられません」
デイジーがホッとしたように胸をなでおろしていたけれど、私の聞きたいことは、そうではなかった。私は首を横に振った。
「いいえ、ヘンリー。使用人の意見を聞きたいんじゃないの。あなたの意見を聞きたいのよ。できれば、思うことをそのまま、意見交換したいと思ってる。雇い主と使用人ではなくて、私とあなたで。それが一番いいって思わない?」
「ソフィア様・・・」
困ったように言い淀んだヘンリーに、私は慌てて付け加えた。
「もちろん、私がこんなこと言って失礼なのはわかってるわ。・・・本当は、本来の形のまま、あなたに任せた方がいいと思ってるのよ。でも、世間では当主がしてきていると思っているわけだから、あなたがするわけにいかないでしょう? 今更違うといったところで、評判が悪くなるだけかもしれないし、それは避けたいし・・・かといってノアには・・・」
そこで私は一瞬、言葉を切った。
結局はそういうことだ。
「私はね、ヘンリー。結局、元気になったノアに知られたくなくて、彼が仕切る羽目になるのが嫌なだけなのよ。次の当主として話をされてきた中に、私の部屋の使い道はなかったはずでしょう? だから、・・・やっぱり、そのあたりの夢は壊したくないというか、何というか・・・」
「私どもも、ノア様に知られることは避けたく存じます。ですから、ご意見の方法でよろしいかと」
「本当? それでいいの?」
「はい。旦那様が亡くなり、あなたが現れ、その時点ですでに、私どもの手から離れるべきだったものです」
「でも、あなたたちがこれまでやってきたのは、デイヴィッドの意志を継いできた当主たちのためで、”伝説の令嬢”のためではないでしょう? それに、そもそも、私が鏡に囚われなければ、伝説も密談も情事もなかったことだし。その責任を取るとしたら、・・・こうするしかないのかなって。でも、他にも方法があったんじゃないかって、思ってるの」
ヘンリーはため息をついた。
「・・・ソフィア様は本当に困った方でいらっしゃる」
「え? 何が?」
「自ら負担を受けに行き、それを負担と思わない」
「そんなことないわ」
「以前からですよ。ニコラス王の時もです」
「そんなことあった?」
「課題が終わらないご友人のお手伝いをなさったところ、先生に見つかり、逆にそれを咎められ、課題を増やされたとか。その後、謝るご友人に笑顔をお向けになって、ご自分の増えた課題をやりきったと。ご友人は課題の残りをするだけでしたのに。そういったお姿が多々見られ、ニコラス王ご自身も助けられ、その精神にソフィア様を見初めたとのことですが」
何してたんだ、その頃の私。
今なら過去に戻ってやめておけと忠告するのに。
「そんないいものじゃないわ、ヘンリー」
私がため息をつくと、ヘンリーは静かに礼をした。
「ソフィア様は当時の執事を覚えておりますか」
「・・・カイの事?」
私が鏡に囚われる前、執事はヘンリーの先祖、カイだったはずだ。
「はい。四代前になりますでしょうか、カイはソフィア様を大層尊敬しておいででした。その伝えられたお姿をこの目で確認する事ができ、私はとても感激しているのです」
何その話、初めて聞いたわ。
「その上、私たちの”仕事”を咎めもせず、そればかりか、私たちの自主性を認めてくださり、手を出す事もなさらない。まさしく、私たちが求めた主人の姿そのものです。ですから、反対するような事はいたしません、という事です」
なるほど。
「それは・・・私を認めてくれたということ?」
「最初からわかっていたことでございます」
回りくどいが、慎重に私を観察し、今日までの私の行動で合格したということなのだろう。不合格なら、どうなっていただろう? ・・・いいえ、だったらきっと、そもそも、私を舞踏会に出しはしなかっただろう。あんな風に、無防備に。
「それなら、改めて聞きたいわ。ヘンリーならどこを提案していた?」
ヘンリーは少し考え、口に出した。
「・・・夏離宮か、ガーデンアトリエをお勧めいたしますが」
「ガーデンアトリエ? 私、行った事ないけど・・・なんで?」
「ニコラス王がかつて、そこであなた様の肖像画を描かれたからです」
「・・・ゲェ・・・」
私のつぶやきに、ヘンリーが眉を上げた。
「ソフィア様」
「え、でも、だって」
「肖像画と言いましても、お一人ではございませんよ。デイヴィッド様とご両親様がご一緒の、ごくごく一般的な家族の肖像画です。ソフィア様一人のものはございましたし、家族でのものはありませんでしたので、絵画を嗜んでおられたニコラス王が、ご自身の結婚前に、お気持ちを封印するつもりで描いたそうです」
そういうことなら・・・
「・・・批判できなくなってきたじゃない」
私が言うと、してやったりといった表情で、ヘンリーは微笑んだ。なんとなく、仲間に入れてもらったようで嬉しくなった。
「でもガーデンアトリエは、今でも時折、使われる方もいらっしゃるようですからね。より向いているのは夏離宮でしょう。王宮からも遠くはなく、美術品や思い出の品などを置くようにすれば、それらを見に行きたい方々で賑わうでしょう」
ヘンリーは言うと、空になった私のティーカップに紅茶をゆっくりと注いだ。