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鏡の中  作者: 霞合 りの
第一章
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4 病室を訪ねて

 病院はいつでも消毒液のにおいだ。職業体験で、看護師を見たことがあるから覚えている。医者も看護師も、真摯で難しい仕事だ。


「こっちです」


リアンが小さな声で私を促す。


小綺麗な個室だ。ドアを開けると、ベッドが一つあった。


「ノア」


リアンが近づき、声をかけた。


包帯でぐるぐると巻かれた頭に、腕、足。シーツで隠れている体もきっと、損傷を受けているのだろう。見ていて痛々しかった。


「・・・リアン?」


か細い声が聞こえた。声を出すだけで苦しそうだ。


「話さなくていい。今日は、親戚が来てくれたんだ」

「親戚?」

「ノア? 初めまして。ソフィアよ」


私がノアの顔を覗くと、ノアはぼんやりと私を見た。うまく目が見えていないようだ。ノアは私と同じくらい、同じ・・・


「・・・っ、デイヴィッド」


よく似てる。


弟によく似ていた。金色の巻き毛に優しい形の眉、うっすらと細める大きな瞼の奥に、深いブルーの瞳がある。とっさにノアの手を取った。


こんな風にデイヴィッドの手を取ることができていたら。恨んでなどいないよと言ってあげることができたなら。


「あなたに会えてとても嬉しいわ、ノア。元気になったら、一緒に遊びましょう」

「・・・ソフィア・・・?」


デイヴィッドと同じ声で私を呼ぶ。


「ああ、リズ姉さんだね? また真似して遊んで・・・助かったんだね、良かった」

「・・・ええ、あなたも助かるわ」

「僕はもう、ダメみたい」

「そんなことないわ。大丈夫。助かるから」


この姿でどのくらいいるのだろう。私は何も知らない。いつ事故があったのかも、怖くて聞けていないのだ。


「・・・姉さん、鏡を知ってる?」

「鏡?」

「父さんが言ってたんだ。鏡を・・・鏡があれば、ソフィアが助かるって。覚えてる?」


リアンが息を呑んだ。


「姉さんは結婚しちゃうけど、・・・だから僕がずっと、守って、助けてあげるんだ・・・いつか・・・」

「ああ、ノア。そうでしょう、その日のために、生きなくちゃ」

「でも姉さん、・・・」


言いながら、ノアは目を閉じた。私は背筋が寒くなったが、ノアは眠っただけだった。力の入ってしまった私の肩を、リアンがそっとつかんだ。ゆっくりと緊張が解ける。


「もう出ましょう」


こっそりと耳元で告げると、リアンは私を促した。私はそのまま部屋を出て、廊下でリアンを呼び止めた。


「リアン。鏡って、どういうこと?」

「わかりません。僕も初耳です」

「もしかして、デイヴィッドが言い残してきたってことかしら」

「そうですね。あなたを呼び戻した時に、あなたが困らないように」

「老女でも少女でも?」

「そうですね、きっと」


リアンが柔らかく微笑んだ。出会ってから初めての優しい笑顔だ。


「ノアに会えて良かったわ。ありがとう、リアン。元気になったノアに会いたいわね」




「リアン?」


廊下の向こうから、呼ぶ声が聞こえた。


振り向くと、リアンに似た、精悍な顔立ちの青年がやってきた。風のように颯爽と。


「見舞いか。ノアはどうだ?」

「ああ、アンソニー・・・君もか」

「助かるんだろ? そうでなければ、・・・友をなくすのは嫌だ」


アンソニーは沈痛な表情で語る。


リアンとノアの友人。・・・リアンに似ているとなれば、彼の親戚・・・王族の一人か。もしくは、位の高い人。


私は素早く目星をつけた。こんなことは朝飯前だ。何しろ、視覚情報だけで状況把握することには年季が入っている。位が高いと踏んだのは、アンソニーはリアンよりも厳しく、躾と教育をされてきている気がしたからだ。佇まいが堂々としていて、威厳があった。加えて、着ている服が上質で手が込んでいるし、そもそも、廊下の端には護衛が待機している。


「・・・こちらのお嬢さんは?」


アンソニーの視線が私に移った。リアンが慌てて間に入った。


「アンソニー。紹介するよ。彼女は・・・えーと、・・・サリーだ。ノアの・・・ごく近い親族なんだ。ようやく見つかったんだ。ね?」

「あ、はい。サリーでございます」


サリー? 疑問に思いながらも、私は慌ててお辞儀をした。身についた所作がとっさの時にも優雅に見せてくれる。


考えてみれば、ソフィアという名前はつけてはならないと言う家訓のあることをみんなが知っているのなら、私の本名をイキナリいうのは訝しく思われる。アンソニーは心底ありがたそうな笑顔になった。


「そうか! それなら、ノアを助けてもらえるのかな。えぇと、私はアンソニー。リアンともノアとも友人だ。私とも友人になってくれると嬉しい」

「それはもちろん・・・ですが・・・私と友人に?」


この人、そんな簡単に人を信用していいのだろうか? 私が戸惑ってリアンに視線を投げると、困った顔をしたリアンが口を開く前に、アンソニーが会話を引き取った。


「ダメだろうか? 私は今、特に身分を名乗ったりできない立場なのだが・・・リアンに免じて、私を信用してもらえないだろうか? ノアの家は私もかつて一度だけ行ったことがあってね。私の家にはない、優しくて温かい空間だったよ。ノアが帰ってくる時まで、維持していただけるということなのだよね? あの家が絶え、他家に渡ってしまうのは惜しいものだ。そのためにも協力は惜しまないよ」

「あ。あの、いいえ。あなたではなく。私のことです、」


殿下、と最後につけそうになって、危うく言葉を飲み込んだ。そのことに気づいた様子はなく、アンソニーは私に笑いかけた。


「なんだ。そんなことか。リアンは私の信頼する友人であり、部下だ。そのリアンが見つけたのなら、きっと身元もしっかりした、敵愾心のない人物なのだと思っているのだが・・・」

「ソ・・・サリー」


リアンが私の腕をとった。自然と自分に引き寄せる。そして私に耳打ちした。


「お気づきと思いますが、アンソニーは現在の王太子です」


きっとそうよね。そう思ってた。私は頷いた。


「だと思った。威厳があるもの」


顔も、リアンに似て、そう、ニコラスに似て、とてもしっかりした顔立ちをしている。こちらも先祖返りか。それとも、もともと、ニコラスたちは似ている家系だったか? 思い出そうと思っても、なかなか思い出せない。それに、似てはいるけれど、似ていない。アンソニーには人の上に立つような強さが感じられる。


「ニコラスにはなかったなぁ・・・」


書物が好きで、私と議論をして、負けてムキになって反論して、それでも負けて、ひょろりとしてあがり症で、ただの議論好きの青年だった。


それがまぁ、立派な子孫がこうして彼の志を継いでいるのだ。すごいことだ。ニコラスの志なんてよく知らないけど。


「ご先祖と比べるなんてひどいです。それもニコラス様は伝説級に賢王として名高かった方ですよ」

「嘘でしょ」

「こら、リアン。早速独り占めか。リズには見向きもしなかったのに、サリーにはご執心か?」

「ご冗談を」


リアンが呆れ顔でため息をつく。エリザベスの時って? 私が不思議そうな顔をしていると、アンソニーは笑った。


「ノアには姉のエリザベスと妹のジェシカがいてね。リアンの兄のアーロンの名は聞いたかな? リズはアーロンと婚約していたんだよ。でもリズはね、最初、リアンと結婚したかったのさ。でも、リアンはさっぱりで。顔が好みじゃないのかと思ったが、そういうわけでもないんだな・・・」


そう言って、私の顔を覗き込んだ。


「・・・でも、サリー、君の方が綺麗かな?」

「ご冗談を」


私がにこりと笑顔を向けると、アンソニーは応えるようにクスクスと笑った。基本的に明るい御仁のようだ。しかし、すぐに真顔になり、ため息をついた。


「残念ながら、リズもアーロンも亡くなってしまったがな・・・。本当に、とても残念だ。あの家はとても素敵だが、親戚筋はね、あまりうまくいっているとは限らなくて・・・せっかくしがらみのない縁のあるものが見つかったというのに、君には、・・・なんと言ったらいいか」


「いえ、いいんです、アンソニー様。こうして出会えただけでも、良かったと思うことにしますわ。ノア様の看病をして、お屋敷を清潔に保って、ノア様が帰って来やすいように、屋敷を整えたいと思います」

「おお。そうか。ぜひそうしてくれ。・・・私も遊びに行っていいかな?」

「ええ、もちろん。ノア様のお話を聞かせてくださいませ。お待ちしておりますわ」


それを聞くと、アンソニーは嬉しそうに手を挙げ、ノアの個室に入っていった。廊下の陰から、変わらず、護衛たちが見守っているのが見えた。




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