36 伝説の令嬢として
その男性は、落ち着いた秋の銀杏のような色の髪で、明るい栗色の瞳に柔らかい笑顔をたたえ、とても魅力的な人物に見える。
彼はニコニコとしたまま、話を続けた。
「リアン殿もお人が悪い。ソフィア様がアンソニー殿下ともお親しくされていたなど、知りませんでしたよ」
リアンは無表情に、読めない笑顔の彼を一瞥し、私に顔を向けた。
「・・・ソフィア、彼はバーニー・イーズデール伯爵です」
すると、バーニーは少しだけ瞼をピクリとあげた。
「愛称呼びとは、随分とお親しいのですね?」
「後見人として必要な距離です」
「なるほど?」
バーニーの笑顔が私を捉えた。どうやら、リアンが無意識に私を呼び捨てにしたのが気になったらしい。
怖い、なんか怖いんですけど。
私は小さく喉を鳴らし、丁寧に令嬢らしいカーテシーをすると、ゆっくりと頭を上げた。
「イーズデール伯爵様? わたくし、ソフィア・アレクス・ピアニーと申します。ノア様の代理として参加しております」
私がおっとりと微笑むと、バーニーは笑顔を崩さず一歩前に出た。
「外務大臣をしております、バーニー・イーズデールと申します。以後、お見知り置きを」
バーニーは丁寧に深いお辞儀をすると、充分に時間をとって、ゆっくりと頭を上げた。私はすかさず会話を続けた。
「イーズデール様はリアン様とはお親しいのでしょうか?」
「・・・リアン殿は、アンソニー王太子殿下の側近として活躍しておりますからな。アンソニー殿下が外交なさる時には、必ずと言っていいほどお会いしますので、よく知っておりますよ」
なるほど。会うだけは会っている、と。聞いた限りでは、親しいわけではなさそうだ。
私が了解したようにただ頷くと、バーニーは心底残念そうに目を伏せた。
「今回は、大変なことでございました。ルイス・ピアニー伯爵を筆頭に、素晴らしい方々を失ったのはこの国の損失です」
亡き者を悼む気持ちは本物のようだ。しかし、それがルイス本人を失ったことなのか、人材の損失があったことなのか。
私は首を傾げた。
「随分と大きな出来事としてお捉えになってらっしゃいますのね」
「当然のことです。損失を埋めるのは、たやすいことではありません。リアン殿にも、協力をしていただいておりますが、兄上のアーロン殿も非常に優秀でしたから、お一人で二人分の穴を埋めるのは大変なことでしょう」
「まぁ、そうなのですか? リアン様は何も教えてくださいませんの。リアン様がお忙しかったのなら、舞踏会に出たいなどと、わがままを言いませんでしたのに」
私が言うと、リアンは非難めいた視線を私に送ってきた。
リアンが舞踏会嫌いなのはデイジーたちから聞いて知っているのだ。私が無理を言って参加したと言ったって、問題はない、はず。女性が舞踏会に出たいと言い出すのは常だし、私には、ノアの代理をしたいという大義名分があるのだから。
すると、バーニーは神経質に軽く笑った。
「これは失礼いたしました。レディに政治の話など、退屈でしたな。リアン殿、私がダンスを申し込んでも?」
「まぁ。リアンとダンスをなさるの? 男性同士のダンスって見たことがないわ。最近は随分と楽しい趣向がありますのね」
私が言うと、リアンが呆れたように私を見た。
「・・・あなたにです、ソフィア様」
「わたくし?」
「ええ、もちろんです。ソフィア様、私と踊って頂けますでしょうか? 昔も今も、男性同士のダンスは開発されておりませんよ。ご安心ください」
くすくすと笑いながら、バーニーが私に手を差し出した。
「まぁ。わたくしったら、お恥ずかしいですわ、つまらない勘違いを・・・」
「いえいえ。とてもお可愛らしいですな。頬を真っ赤にして、初々しいこと、この上ない」
そして、声を小さくしてぽそりとつぶやいた。
「ニコラス賢王が熱心に信奉したのもわかる気がいたします」
ひやりと冷気を感じ、私は一瞬身を縮こませた。
「イーズデール殿」
リアンがぎりりと歯ぎしりをしてバーニーを見た。あまりの殺気に、私は慌ててバーニーの手を取った。
「ええ、あの、お受けいたしますわ、イーズデール様」
そして私は足早にリアンの隣からホール中央へ向かった。
もう誰も私には注目していない。けれど念のため、なるべく目立たない様な場所を選んで向かい合った。
バーニーの顔を見ながら記憶を紐解く・・・キースともアンソニーとも違う。
彼の”家宝の鏡の間”の使い方。黒ではあるが、私にとってはグレーだ。
あの部屋は使っていたが、恋愛事ではなかった。
「・・・噂の通りであれば、ソフィア様はニコラス賢王の時代にお詳しいとか?」
踊り始めると、バーニーはいきなり話し始めた。はや。もうちょっと踊りを楽しんでくれてもいいんじゃないの? 私は嫌な顔をしないように表情を保ち続けた。
何はともあれ、バーニーはすぐに本題に入ることにしたようだ。私が鏡の中から出てきた令嬢であると、伝説そのものであると、彼は信じていると伝えているのだろう。私はやりやすいけれど、バーニーが先手を取ってやったと思ったのなら、それは申し訳ないことだ。
「何のことでしょう? わたくしは、以前から政治には詳しくはありませんのよ」
私がにこりと微笑むと、バーニーは優雅に私を回転させながら、小さく呟いた。
「あなたは知らないでしょうが・・・”伝説の令嬢”は、他国でも大変に人気な物語です」
「・・・そうなのですか?」
何それこわい・・・でもそうか、劇にまでなっているというのだから、広くに伝えられていても不思議はない。ないけれど・・・私にとって、歓迎すべき事態ではない。
「あなたの部屋を秘密裏に使えることには、とてもメリットがありました。使えないとなると、”伝説の令嬢”のファンは私たちに要求してくるでしょう。”本物を出せ”と。そういうときは、どうすればよろしいのか、教えていただきたいのですが」
何と。直接の要求が来た。これもあまり歓迎できない。デイジー助けて。
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