31 舞踏会当日
「素晴らしいですわ!」
デイジーとヴェルヴェーヌの声に目を開ければ、鏡の前には、晴れやかな上品さに仕上がった令嬢がいた。
私は鏡の中の令嬢をしげしげと見つめた。
レースでデコレーションされた、滑らかなサテンの真っ白なシルクのドレス。胸元が緩く開き、デコルテの見え具合もちょうどいい。エレガントな長い白手袋に白い扇、白い靴。締まったウエストから広がるスカートはレースがふんだんに使われている。トレーンはバラの花びらのような手触りのいいベルベットで、真っ白な中に浮き出るように刺繍が施してあり、サテンのレースで縁取りがしてあった。
耳周りに巻かれて結い上げられた金色の髪には、控え目な羽根飾りとそれに合わせた小さな花飾り。そして、首元には、自分で選んだ、おそらく一番シンプルなネックレス。何しろ、不在の頃、私のために揃えられていたジュエリーは、あまりにまばゆく、初めての舞踏会に着けていくには気後れしかしないものだったからだ。
それにしたって豪華だ。
「・・・高かったんじゃない?」
私が恐る恐る下世話な話を振ると、デイジーとヴェルヴェーヌは顔を見合わせた。そして、デイジーが言った。
「そんなことをお気になさらないでください、・・・とリアン様なら申し上げるかと思われますわ」
「リアンが出したの?」
「実際のところは私にはわかりませんが、エスコートする側が出すものですわ。保護者代わりですので、当たり前のことといえば当たり前の事ですが」
「・・・だってこの家にもお金がないわけではないのでしょ? 私の基金とか、ないの?」
「もちろん、ソフィア様が帰ってらした時に使うための予算は組んでありますわ。ヘンリーさんから聞いています。でも、リアン様がそれを使うことを承諾するかどうかは、また別の話です」
「ソフィア様のドレスですもの、リアン様ならご自分で出すのがご自身のプライドではないかと存じます、ソフィア様」
「プライドねぇ・・・?」
責任を感じているのだから、それは仕方ないというものか。
私はハッと気がついた。
「もしかして赤いドレスも・・・」
すると、デイジーがにっこりと微笑んだ。
「ソフィア様。僭越ながら、リアン様は代々王宮でお勤めの確固たる地位の公爵家のあととりですよ。ドレス代など難しいことではありませんわ」
「でもこれ、かなりのお値段よ? こんなのをもう一着作ったりなんかしたら」
「大丈夫です。リアン様は笑顔ですぐに承諾してくださいましたし、何の問題もございません」
デイジーの凄みのある笑顔に、私は何も言い返せなかった。
私は渋々ながらも頷いた。それに、ここでそんなことを議論してても始まらない。もうドレスはできてしまったのだから。次から気をつけよう。
「ありがとう、デイジー、ヴェルヴェーヌ。特にヴェルヴェーヌ、ドレスはあなたに任せて正解だったようね。とっても美しいわ、このドレス」
「お褒めいただいて光栄です、ソフィア様。ソフィア様はお綺麗ですので、考えるのがとても楽しかったですわ。エリザベス様と似ていて、それでいて、全然違って・・・、きっとお二人が並んだら、さらにお美しかったでしょう・・・」
ヴェルヴェーヌが感極まってほろほろと涙を流した。私は手袋を脱ぐと、頬の涙をぬぐった。
「私でごめんなさいね・・・」
「いいえ、いいえ! どちらも私がお仕えする素敵なお嬢様です。それに、・・・私の”仕事”はまだ一度も出来ていなかったのですから、誰がいいなどと、言える立場ではございません」
驚いて思わずデイジーに振り向いた。ヴェルヴェーヌが言っているのは、秘密の仕事のことだ。デイジーは静かに首を横に振っていた。ヴェルヴェーヌはおそらく、仕事に就いたのが短すぎて、私が何も知らない立場であることを知らない、もしくはわかっていないのだろう。
「・・・あなたがあなたであるのなら、それだけで大切な仕事なのよ。あなたはよく働いてくれているわ。私の申し出も、嫌がらずに受けてくれたのだし」
以前デイジーと話したりしていなければ、問い詰めてしまったかもしれない。でも、ヘンリーからの信頼をなくす可能性や、彼女たちの混乱を考えると、受け流すのが得策だ。
「それはそうと、ノアの様子はどう? 昨日は、あなたがお手伝いに行ったのではなくて?」
私がとっさに話題を変えると、背後でデイジーがフッと緊張を解いたのがわかった。
「え? あ、はい、ええと、穏やかに眠っておられました。見える部分のお身体の傷は、だいぶ癒えたようですが、内臓部はまだのようで・・・でも、変わらずお元気でしたよ」
一瞬目を瞬かせたが、ヴェルヴェーヌはニコリと微笑んで、淀みなく報告をくれた。
「そう。それは良かったわ」
「はい。私たちがお世話をしている間、リアン様がおいでになりまして、本日、ソフィア様と舞踏会に出られると報告をなさっておりました」
「それはいい場面に居合わせたわね。リアンが・・・リアン? どうしたのかしら? 随分遅いわね」
私たちは顔を見合わせた。
そう。私がドレスを着ているのはそのため。
季節は巡り巡って、あっという間に半年ほど経ち、その日が来た。リアンが練りに練ってこの日に決めた。
今日は舞踏会にデビューする日だ。
「・・・そういえば!」
「もうすぐ、お迎えにいらっしゃるお時間ですが・・・?」
私たちは時計を見た。
とっくにリアンが来ていてもおかしくない時間だ。
きっちり時間を守るリアンがこんなにギリギリになるなんて、らしくない。
もしかして、病気?
いいえ、事故でも?
ありうるわ、ブルータスが馭者のふりをして、リアンを守るようにしてこの屋敷に来ていたのだし、・・・まだ、リアンの立場をやっかむ人も多いだろう。または、デボラが継ぐことを考えて、ピアニー家どころか、ド=マガレイト家をも手に入れようと考えてる人が。そういう人には、リアンはとてつもなく邪魔だろう・・・
「おかしいですわね、リアン様」
不安そうにヴェルヴェーヌが言った。デイジーはしかし、それをとりなすように続けた。
「ドローイングルームでお待ちかもしれませんわ。行ってみましょうか」
私は首を横に振った。
「いいえ、待ちましょう。ここで待つと約束したんですもの」
デイジーは不思議そうな顔をしたが、私は大丈夫というように頷いてみせた。
「リアンとの約束なのです。リアンが迎えに来ると言ったら、そこにいないと。私がいなかったら、リアンは困るでしょう?」
「・・・はい、わかりました」
納得は出来ていないようだったが、デイジーは頷いてその場に待機した。ヴェルヴェーヌは廊下に出て、辺りを探してくると行ってしまった。
約束は、厳密に言えば、ブルータスとのやりとりだ。でもその気持ちは痛いほどわかるし、私にとって、リアンはやはり大事な人だ。その人を不安にさせるわけにはいかない。私と舞踏会に出るのを楽しみにしているようだし、あの性格からして、すっぽかしたりするとは思えない。
舞踏会当日、ドレスの衣装合わせです。
まだ舞踏会には行っておりません。
次回もまだ家ですが、その次は舞踏会です。