3 本物は目の前に
リアンは真面目な顔をして考え込んでいる。
私が嘘をついているのか、冗談を言っているのか、頭がおかしいのか、本当のことを言っているのか、そう思い込んでいるだけなのか・・・おそらくそういったことが頭の中を回っているだろう。
「いいわ。信じなくても。私だって信じられない。ずっと鏡の中にいて、もう出ることもできないと思っていたんだもの。鏡と一緒に朽ち果てるんだと思ってた」
「本当に鏡の中に?」
「それなら、どうやって説明するの? この状況を」
「それは・・・」
「エリザベスに似ているのは、私の子孫だからよ、リアン。それは仕方ないわ。そしてあなたは、私の知っている人に似ている。ニコラスの事を知ってるかしら。デイヴィッドの友達で、のちに王になった人よ。あなたは、王族の方?」
私の怒涛の言葉を聞きながら、リアンは私を見つめた。
「・・・”ソフィア”?」
「はい」
「本当にこんなことが起こるなんて」
リアンは戸惑った様に、視線をそらし、手を口に当てた。私は首をひねった。
「どういうこと?」
「僕は困っていたんです。だから、・・・書庫で見つけたデイヴィッド様の日記に、書いてあったことを実践したんです。まさか、本当に、本物が戻ってくるなんて・・・思っていなくて・・・」
「日記?」
書庫にそんなものが。そうだ。書庫には鏡がないから、わからなかったんだ。
「デイヴィッド様は、姉上を戻そうと努力したそうです。あちこち聞いて回って、時折詐欺に遭いながらも・・・見つけたんです。あなたを取り戻す方法を」
「どうして実践しなかったのかしら?」
「怖かったんです。・・・姉は恨んでいるんじゃないかと。自分のせいで姉が鏡の向こうで年老いてしまったと、思うに至ったようです。方法を見つけたのはもう老境で、先が見えてきた頃で・・・ニコラス王と姉が結ばれるはずだったのに、と」
それはないんじゃない? と思いはしたが、当時の流れだったらわからない。私の気持ちがなくても、一存で決まることも往々にしてある。
「あなたは・・・なんでそれを実行したの?」
「僕は・・・申し訳ありません、ソフィア様。助けることができませんでした」
何も知らないのに、リアンの言葉が私の心に重く刺さった。何か、ひどくよくないことが起こっている。私は声が震えそうになるのを抑えながら尋ねた。
「なにって?」
「ルイス伯父夫婦と、エリザベスとジェシカは、僕の兄とともに、事故で亡くなりました。ノアは生きていますが・・・おそらく持たないと言われています」
「事故?」
「はい。船の事故です。みんな旅行で、・・・僕は見送っただけでした」
苦痛に歪んだ顔をしながら、リアンは事務的な口調でテキパキと続けた。
「本当は、僕は、ノアの着替えを取りに来たところでした。ノアが生きているうちは僕の親が当主代理を任されていますから、その代理で僕が。あまりに急で混乱していたので、葬儀後は召使いたちには暇をやって、・・・ノアが帰ってこなかったら、この家は、僕の家になるかもしれない、と言われています」
そこまで言うと、リアンは口をつぐんだ。
何も言うことがなくなったかの様だった。私は聞きたくても聞けなかった。少し話しただけだったが、リアンは誰より悲しんでいて、ノアが助かることを望んでいて、この家を継ぐことを喜んでいるわけではない。さっきまで、アーロンやエリザベスが生きている様に話していたことからもわかる。実感のない中で、容赦なく手続きは進むのだ。
「リアン・・・、何といったらいいか」
「せっかく戻ってきたのに、近しい縁者がほぼいないなんて、・・・申し訳ないです」
「何を言うの。あなたのせいじゃないわ」
私が励まそうとリアンの腕を掴むと、リアンは柔らかく微笑んだ。私はホッとして笑顔を返した。するとリアンはポツリと続けた。
「この家は好きでした。みんな優しくて、いつも温かくて。兄もリズと婚約して、幸せそうでした。でも今は、寒々しいです。きっと、あなたが住んできた頃とは随分違うでしょう」
私は首を傾げた。確かに違うが、そもそもこんなに大きなお屋敷ではなかった。外から見たことはないけれど、内装はそこそこ鏡の中から見た。はず。
私はクスリと笑った。
「そうね。随分違うわ。デイヴィッドの日記を見たのなら、知っているでしょう。当時は貧乏貴族で、こんなに大きなお屋敷ではなかったのよ。デイヴィッドが建て替えて、私の部屋を作ってくれたのを覚えてる・・・」
喜んでいたのも、泣いていたのも。
そうか。私を取り戻そうと、ずっと方法を探してくれていたんだ。諦めたものと思っていたのに。
馬鹿ね。たとえ老婆になっても、デイヴィッドが呼んでくれたのなら、喜んで帰ったのに。・・・呼ばれたのもわからないだろうけど。何せ、今回だって気がついたら私はリアンを押しのけていた。その経緯はよくわからなかったのだし。
「ソフィアは、・・・ソフィア様は、人が入れ替わるところをずっと見てきたんですね」
「ソフィアでいいわ、リアン」
私は笑った。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるわ。実際に、見えたのは景色だけだし、名前もわからないし。だから自分で名前をつけたり、物語を作ったりしてきたの。もちろん、良くないことを見つけたら、鏡を動かして知らせて・・・それももう、必要ないのね。嬉しいけど、どうしたらいいのかしら」
「何がですか?」
「私、どうやって生きていけばいいと思う? 親族が誰もいなくなってしまっては困るわ。あなたが引き取ってくれる?」
冗談を言う私を、リアンは固まって凝視した。確かに不吉な冗談だった。
「僕は」
「ごめんなさい、よくない冗談だったわ。この家に居場所がなくなったらあなたの家で雇ってもらおうだなんて。そうじゃないわよね。私の居場所は自分で作るべきだわ。もちろん、ノアには絶対に生き残ってもらわなくちゃ」
「そうは言いましても・・・」
言葉を濁すリアンの顔色は冴えない。
「そういえば、何に困ってるの? 寂しいこと? 家を継ぎたくないのかしら?」
「いえ、あの・・・僕は構わないんです。この家に居られるのは嬉しいくらいで。・・・ただ、誰も味方がいなくて・・・、僕がこの家を継ぐのを反対しているのもいますから」
「どうして? あぁ、王族だから?」
「ああ、そうではあるんですが、僕は王にはなりえません。継承権がかなり下ですから。現在の王太子とは親しくさせてもらっていますが、それだけです」
「じゃ、どうして?」
「兄も亡くなりましたから」
「どちらの家も継ぐのはおかしいってこと?」
「いいえ、そんなことはありません。・・・元の家には、後から生まれた妹がいます。例えば僕が継がなくても、妹が婿をとればいいことでもありますし」
「それが良くないってこと?」
「まぁ、そうですね。この家は・・・僕でなくても継ぎたい人がわんさかいるんです。遠縁なら、親戚もたくさんいる。ノアはまだ生きてるのに、そんな話ばかりで」
リアンはため息をついた。
「ノアが助かればいいんですが」
「どこにいるの? 病院?」
「はい。王都のはずれにある、王立病院です」
「今から行く? 私も行っていいかしら」
「もちろんです」
「ありがとう。あと、敬語はやめて」
「どうしてですか」
「実際の年齢はともかく、見た目はおかしいでしょ」
「・・・なるほど」
斯くして、私はリアンについて、ノアのお見舞いに行くことになったのだった。