29 ドレス選び
「ソフィア様、そろそろドレスをお選びにならなくては」
ヴェルヴェーヌが困ったように、後ろから声をかけてきた。
「そうね・・・」
私は自分のクローゼットの前に腕を組んで立った。
うん。わかってた。
今日の夕食にはリアンが久しぶりに一緒につく。
だからと思ってドレスを選び始めたのはいいが、どんなドレスがいいのかわからない。
この中にはないのかもしれない。
だって私が着たいのは・・・
「・・・赤いドレス、かしらねぇ・・・」
「赤ですか・・・」
デイジーがうーん、と唸りながら言った。
ピアニー家への帰宅から、数ヶ月が経っていた。
実を言うと、数ヶ月経っても、私は広い家には馴染めていなかった。家の構造を覚えるのはさほど難しくはなかったが、そこそこ広く、私にはなかなか覚えられないのだ。
鏡の中を行き来していた頃とは違うとわかっていても、鏡の中の感覚で動きそうになってしまう。説明付けられないのだけど、なんかこう、扉を開けなくても扉が開いて、違う空間に行くような、そんな感覚。デイジーに言っても、ぽかんとするばかりだ。
正式にこのお屋敷に住むことになった私には、同時に、舞踏会へ出るための淑女教育が再び始まった。再び、というのは、鏡に入るまでは、ずっとやってきたからで、鏡の外にいると言う意味では、ついこないだまでやっていた出来事だ。
その上、マナーや礼儀に関しては、基本的に、新たに覚えることはとても少なかった。若干違うことはあるものの、そこまで変化のあることではない。
ある意味、代わり映えのしない毎日だと言ってもよく、逆に、これが現実だと身に染みて実感できるようになった。
初日から私が部屋のことで突っ込んだ話をしたせいで、デイジーは最初から、随分と打ち解けてくれた。若干の距離はあるものの、だいぶ屈託なくなってきて、随分リラックスして話してくれるようになった。
このまま、もう少し軽口を叩けるようになるといいのだけど。
リアンに頼んで声をかけてもらったヴェルヴェーヌは、最終的に喜んで私の侍女になると言ってくれた。
私が伝説の令嬢ということで、自分の侍女としての経験不足などから、仕事ができるか不安だったらしいが、リアンの説得と、エリザベスのことを教えて欲しいと伝えてもらったからなのかもしれない。彼女にはまだ、教えて欲しいことはたくさんある。今はまだ態度は硬いけれど、随分と落ち着いてきたような気もするし。侍女の仕事に慣れてもらえれば、きっともっと自信がつくだろう。
しかし、他の使用人達とはろくに話す機会がなかった。ノアのケアに新しい体制、そういったことに使用人達は忙しい上に、私は伝説の令嬢で、彼らにとっては警戒すべき相手なんだろうと思う。何しろ、この家の大いなる役割をなくしてしまうかもしれないのだから。
それに、私はみんなが何をしていたのか全くわからないのだ。”秘密の仕事”は停止状態だし、きっと、していない人もいただろうから、変に切り出すわけにもいかない。ヘンリーに関しても同様で、デイジーからは部屋を使えなくなった説明はできている、それだけしか教えてもらえなかった。その分、デイジーとは部屋の業務のその後について、色々と話し合った。結論はまだ出ていないけれど、きっといい方法が見つかるだろう、・・・と信じるしかない。
でも、それが戻ってきた私の義務なのかもしれないと思える。
私という”伝説の令嬢”は、このピアニー家の商品だった。
神秘性と、憧れと、いろいろなものが詰まって、このピアニー伯爵家を作っていたのだと思う。
私が戻ってきてしまったことで、伝説を使ってやってきた使用人達の”仕事”が転換を余儀なくされ、おそらく、当主としての仕事も変わってしまう。
私がその神秘性を示さない限り。
伝説の令嬢はここにいて、まさしく舞い戻り、また奇跡を起こすのだと。
「でしたら、エリザベス様のドレスがありましたわ」
ヴェルヴェーヌが言ったが、私は首を横に振った。
「まさか、借りられないわ。クローゼットにあるもので十分よ」
「でも、・・・そうしたら、・・・」
そこで、ヴェルヴェーヌはパッと顔を上げ、明るく言った。
「新しいのを作りましょう! 今のソフィア様にあったものを!」
「え、でも、今日着るドレスはどうするのよ・・・」
「それはもう、なんでもいいと思いますわ。先日の青いドレスもよくお似合いで、リアン様も気に入ったご様子でしたし、ソフィア様にお似合いになるならなんでも大丈夫かと思われますわ。そんなリアン様のために着たいとなれば、目一杯ソフィア様の魅力を引き出すドレスがいいと思うんですの。素敵なドレス、作りましょう! だって、デビュー用の白いドレスも作るんですよ? もう一着くらい、相談すればきっと大丈夫ですわ。リアン様もきっと、お喜びになると思います!」
「そうかしら・・・」
私が言葉を濁すと、ヴェルヴェーヌは不思議そうに首を傾げた。
「何をお迷いになられてるのですか?」
「リアンがどんな赤が好きかはわからないから、気に入らないこともあるだろうと思って・・・そしたら、作る意味ってあるの?」
「それでしたら、ソフィア様が好きな色になさったらどうでしょう? もしくは、お似合いになる色を。お気に入りの色のドレスは、きっと楽しい気持ちにさせてくれますわ。それに、デビュー後には、晩餐会や別の舞踏会、軽いディナーやお茶会と、お誘いがあるはずです。ここのクローゼットのドレスを使いながら、結局は、新しいドレスをお作りにならないとなりません。それが今になってもよろしいと思いますの。それに、リアン様でしたら、いつだって見ていただけますし、その方が、リアン様はよりお喜びになるのでは?」
ヴェルヴェーヌが言うと、デイジーが反応した。
「そうですわ、リアン様の大事なソフィア様ですもの。どんな色でも柄でも、きっとリアン様には喜んでいただけると思います。ご一緒に舞踏会に出られることを、楽しみにしておいでですから」
「それはそうですね、デイジーさん。退屈で仕方ないといつもおっしゃってましたけど、今回は嬉しそうにされてますもの」
「ソフィア様にお会いになる時は、いつも安心したような表情をなさいますわ。きっと、ソフィア様が楽しそうにしてらっしゃるからですわね。いつも、ここへ戻してしまって大丈夫なのかと心配なさってますもの。なんにせよ、ソフィア様が舞踏会に向けて前向きでらっしゃることが大事なのでは・・・」
安心するのは、私が鏡の中にまた戻ってしまわないかと心配だからだわ。ノアが、そして自分が、また一人になってしまわないかと、不安なのよ。
私はそう言おうと思ったが、言えずに口をつぐんだ。不安なのは私も同じだった。
いつかまた、鏡の中に戻されてしまうのではないかと。ここにいても大丈夫なのかと。