23 家に戻る
時間が空いてしまったので、これまでの簡単なあらすじなど。
公爵令息リアンのおかげで、約百年ぶりに鏡の中から出てきたソフィアは、彼の案内で、子孫である伯爵令息ノア、王太子殿下アンソニーと会った。その後、リアンの生家、公爵家に身を寄せることになり、訪ねてきたアンソニーから改まった歓待の言葉と、ニコラスからの手紙をもらう。それでも実感の乏しかったソフィアだが、リアンと森へ行った時、生きていることを実感するのであった。
ついにピアニー家へ戻る日がやってきた。
アンソニーの訪問後、しばらくの間、私はマガレイト公爵邸の書庫や図書室にこもり、過去の文献や歴史書、そして私の裁判時の調書を読み漁った。裁判の調書は原本ではなく、写しだったが、それでも十分だった。そのうちいつか、原本を見たいとは思うけれど、問題はない。
それより、リアンが教えてくれたことより多くの情報はなく、この百年で、私がどうやって伝説になったのかがわかっただけだった。
ノアの状況は一向に良くならず、私はどうしてもお見舞いに行くことができなかった。あのデイヴィッドに似た、憔悴しきったノアを見たら心が折れてしまいそうだったからだ。
ノアがいなくなってしまったら、どうすればいいのか、また一から考え直さねばならないし、そんなことを考えるのも嫌だった。私が帰ってきた意味がなくなってしまいそうだから。
しかし、そんな不安も、焦燥も、この時ばかりはと、すべて吹き飛ぶことがやってきた。
私がリアンの家に身を寄せてから数週間後、ようやく戻ってきたピアニー家の使用人たちが揃い、私とリアンが住む条件が整ったと連絡が来たのだ。
私は、ピアニー家へ戻るのだ。
生まれた家、見守った家。ずっと住んでいたのに、まるで住んだことのない家に。
そうして馬車は再び、ピアニー家のお屋敷に向かっていた。
「会うのね」
私は両手を胸の前で組んで息を整えた。
「・・・そんなに緊張しなくても」
「しないでいられないわよ。使用人たちがみんな戻ってきているんでしょう? 私の紹介をするんでしょう? 緊張しない人間がいますか」
「それを希望したのはソフィアでしょう」
「そうだけどっ でも緊張はするのよ。当たり前でしょ。みんな、受け入れてくれるのかしら?」
あまりにも心配そうな声を出す私に、リアンは軽く笑った。
「・・・この屋敷に縁を持つものは、”ソフィア”の名前は有名ですからね・・・使用人達も心得ているんじゃないでしょうか」
「うー、緊張する」
ついに馬車が止まり、私は屋敷の敷地に足を踏み入れた。緊張する一歩一歩を、リアンが促してくれた。
「大丈夫ですよ、ソフィア。きっと、大丈夫」
耳元で囁いてくれる言葉は、非常にありがたく、心強い。私は息を吸って、屋敷の建物の中に入った。
使用人達が一様に並んでいる。圧巻だ。総勢二十人程度、覚えられないことはない。なんにしろ、私は鏡の中から見ていたのだから。知っているけれど知らない顔。不安と期待に顔が揺れている。
リアンが使用人たちを眺めながら、にこりと微笑んで、一歩前に出た。
「皆さん、本日は復帰してくれたことに礼を言う。ありがとう。こちらの事情で翻弄させてしまってすまなかった。もう心配することもないから、安心してよろしい。ノアの代わりに父が、その代理として、僕がここの管理を暫定的にする。しばらくはね。落ち着いたら、彼女に任せようと思う。ソフィア、前へ」
リアンの声に押されて私は前に出て、軽くドレスの裾を持ち上げ、丁寧に礼をした。
身についた癖というのは恐ろしいものだ。実質百年していないのに、なんの違和感もなく、使用人用の、慇懃でたおやかで尊敬されるような動きができた。
それにも驚いたが、私はリアンにも驚いていた。自分ではなく兄のアーロンが生き残るべきだったとこぼしていたように、自信がないのかと思っていた。いや、きっとないのだろう。
でも、リアンは堂々と、よく通る声で私の説明をしている。ソフィアはあの伝説の方である云々。もうずっと跡取りとして過ごしてきたような、そんな威厳のある声をしていた。あの言葉はなんだったのかと問い詰めたくなるほどに。
会ってからこのかた、自信なさそうだったり、甘やかだったり、弱々しかったりと、ついぞこんな姿は見たことがなかった。私が守ってあげなくてはならないと思っていたけれど、その必要はきっと、ないのだろう。
リアンが話し終わっても、人々は動かなかった。信じられるような、られないような、そんな顔をしている。
だよね。わかる。
しかし、さすが心得たもの、立派なジャケットのおじさまが一歩前に出て、きっちりと礼をした。リアンが若干、ホッとしたように頷き、私に耳打ちした。
「彼が執事のヘンリーだよ」
「執事のヘンリーでございます。私の代でソフィア様をお迎えできるとは、大変に栄誉なことでございます。何なりとお申し付けくださいませ」
執事が認めた、ということは、私はこの家ではソフィアと認められたということだ。私はホッとしてリアンを見た。リアンも力強く頷く。
「家のことを取り仕切ってくれている。頼りになる執事だよ」
「ええ、わかったわ」
ソフィアが頷いた時だった。
「ヒッ・・・え、エリザベス様・・・!」
「違うわ、違うわよ!」
「だって、声まで似て・・・」
ひそひそと幽霊を見るような目で私を見る。覚悟はしていたけどやっぱり辛い。平気なふりをするのも。リアンが口を開こうとしたその時、誰かがつぶやいた。
「・・・ソフィア様?」
一斉に、視線がそちらへ向かった。若い、小さくて可愛らしい女の子だ。私の部屋でよく見かけていた気がする。あまりにみんなの視線が集中したので、失言をしたと青くなっていた。
「ああ、デイジー、そこにいたんだね」
リアンが安心させるように、ニコリと微笑んだ。
「よかった。ソフィアの部屋の侍女をしてもらっていた甲斐があった」
「まぁ」
私は目を丸くした。
よく見かけていた女の子は、なんと私のための侍女だったのだ。エリザベスの侍女が私の侍女を、戯れに兼任しているわけではなく。
「・・・ソフィア様なのですね! ・・・本当に、私のご主人様が・・・」
デイジーが言いながら、歩み寄ってきて、私の前で立ち止まった。涙ぐんでいる。心なしか、足元がおぼつかない。緊張しすぎているのかもしれない。
「まぁ、デイジー・・・」
すると、さっきまでデイジーの隣にいた侍女たちがやってきて、デイジーを支えた。そして、私に顔を向け、頭を下げた。
「ソフィア様、あの、私たち・・・」
やってきた彼女たちに、私はなんとなく見覚えがあった。
「いいのよ。エリザベスの侍女よね? ごめんなさいね、私しかいなくて・・・」
「私、リズ様の侍女のヴェルヴェーヌと申します。・・・あの、どうかそんなことおっしゃらないでくださいませ。・・・私たち、その、どうしていいか、わからなくて・・・どうか追い返したりしないでください」
「私にはそんな権限はないから気にしないで。きっと、リアンがいいようにしてくださるわ」
私がリアンに振り向くと、リアンは心得たようににこりと微笑んだ。紳士然とした美しい笑顔に、侍女たちの頬がポッと赤くなる。
あらあら。あらあら。モテないと言ってたのはどこの誰かしら。
私は思いながら、にこりと笑顔を返した。リアンが嬉しそうに頷く。私は使用人みんなに顔を向けた。そして、なるべくはっきりとした声で、堂々と告げた。
「初めてお目にかかります、私、ソフィア・アレクス・ピアニーと申します。皆様には晴天の霹靂と申しますか、夢物語だったと思いますが、こうして鏡の中から舞い戻ってまいりました。百年前のことはわかっても、今の勝手はわかりません。いろいろ教えていただけると助かります。”伝説の令嬢”などと呼ばれているようですが、私にとってはどうでもいいことです。なるべく普通の令嬢として扱っていただけたらと存じますわ。よろしくお願いしますね」
シン、と小さな沈黙が訪れたが、次の瞬間、使用人たちの背筋がピンと伸び、私に恭しくお辞儀をした。全員だ。すぐそばにいたデイジーも神妙な顔でお辞儀をしている。私がデイジーの腕に優しく手をかけた。
「デイジー。顔を上げて。・・・みんな、顔を上げて。かしこまらなくていいわ。私が戻ってきたことを、謝らないとならないかもしれないけれど・・・そうならないように、頑張るわね」
「そんなこと、ございません! 私達一同、本当に・・・この家に仕えることを・・・誇りに思って・・・」
肩を震わせるデイジーに私は微笑んだ。
「ええ、ありがとう。みなさんが良い方なのはわかってるわ。鏡の中から見てきたもの。ノアには一度しか会ったことがないけれど、私は彼に会えるのをとても楽しみにしています。ノアが帰ってくるときのために、お屋敷を綺麗にして、明るい雰囲気を保ちましょう」
「はい!」
使用人達が一斉に返事をする。
おお、快感。すごいすごい。
私が感激していると、リアンが私のそばに来て耳打ちした。
「素晴らしいご対応でした」
「いいえ。リアンのおかげよ。リアンが連れてきたから、私はこうして受け入れてもらったの。だってみんな、リアンをとっても信じてるもの」
「ありがとうございます」
軽くお辞儀をすると、リアンはさっと使用人の方を向き、当主代理の顔つきになった。
「さぁ、みんな。いつものように準備と片付けをしておくれ。侍女の方々は・・・ソフィア、お願いできますか?」
「ええ、みなさんと一緒にお話するわ。お願いしたいこともあるし」
私が頷くと、リアンも頷き、私たちはそれぞれ、自分にできることを始めた。