22 森歩き
「わぁー」
私が感嘆の声をあげると、リアンは嬉しそうな笑顔になった。
森の中は緑の木漏れ日が踊り、生命力の強さに溢れていた。美しく、優しい。私は森が好きだった。今でももちろん好き。それが確認できて、実感できたのは大きな出来事だ。
「リアン、・・・どうもありがとう」
「いいえ、お安い御用です。よろしければ、いつでもお申し付けください」
「本当?! あー、でも、その前に、馬の練習をしなきゃ」
「乗馬ですか」
「そうよ。自分で馬に乗って来たいの」
「アルタイル号でも練習できますよ」
「いいの?」
「ええ。少し大きいかもしれませんが、おとなしくていい子です。きっとすぐに乗りこなせるでしょう」
「一人で来ても?」
「それはまだやめてください」
「どうして?」
「危ないからですよ。女性一人で遠乗りなんて、僕は許しませんよ」
「でも」
「昔の話はいいです。僕は今、目の前の話をしているのです。いいですか?!」
「わ、わかりました・・・」
「まったく・・・」
リアンはブツブツ言いながら、森を歩いていく。
アルタイル号は森の入り口で、ゆったりと草を食んでいる姿が見え、それが小さくなるのを確認しながら、私はリアンにおとなしくついていった。
小鳥のさえずりと、リスが走る音、タヌキが駆け抜ける音。ここだけ世界が切り離されたように感じる。過去も未来も関係がなく、私とリアンも呼び出したり呼び出されたり、そういう関係でもない。リアンは私に憧れたりしていなくて、私の恩人でもない。リアンは今、大切な人を失って、助けたい人を助けられなくて、それでも責務を果たそうとしている。強くあろうとする姿は、応援したくなる。
「いいですか、仮ですが、今のあなたの保護者は僕なんですから、僕に従ってくださいね?!」
「わかってるわよ」
「本当ですか?」
「本当よ。リアンを怒らせるようなこと、するはずがないじゃない」
「・・・それが本気だとありがたいんですがね」
「何よ、嘘なんかついてないわ。まだいくらも過ごしてないのに、私のことなんて分かるわけないじゃない」
「だからですよ。心配なんです」
リアンは肩をすくめた。
「でも、それも、・・・あなたが私から離れたいと願うまでです。どうせ、どこかへ行ってしまうんでしょう。行きたいところができたら」
私は憤慨した。そんなに尻軽と思われては困る。
「根拠のない話はよして。私は約束したでしょ。あなたがいて欲しいと望む限り、私はそばにいるって」
「でも、それでは」
「だって、あなたはそれを叶えたくて鏡に願ったのでしょうから」
「・・・そうですね。でも、それは過ぎた願いです。それに、あなたが出てきたことで、私の望みは果たされています。あなたは好きなように、生きていいんですよ」
リアンがかみ砕くように言う。木漏れ日に髪が反射してキラキラと踊っていた。
「僕が、それが叶うようにお手伝いします」
「それじゃ、あなたのお願いは誰が叶えるの」
「いや、ですから、叶っています」
「嘘よ」
それはほとんど直感だったけれど、自分の中では真実だと思った。しかし、リアンはわけがわからないという顔をしていた。
「ソフィア、」
「リアン、あなたが何を言おうと、私はあなたが寂しがってることはわかってるわ。私ね、鏡の中でずっと人を見ていたの、何を考えてるのか何を感じてるのか、ずっと考えてきた。もちろん、誰も正解なんて教えてくれなかったけど、でも私は、目の前の人がどんな人か、どう思ってるのか、だいぶわかるつもりよ。誰も助けも借りずに強く生きるなんてできないわ。ね、あなたのご両親もアンソニー殿下も、あなたが困っていればきっと助けてくださるわ。私も、その仲間に入れて欲しいの。ダメかしら?」
「・・・でしたら、僕が一番あなたに願っていることがわかるでしょうか?」
「何かしら」
私は首を傾げた。リアンは優しく微笑んだ。
「ノアのことですよ」
「ノアのことは、アンソニー殿下が言っていたように、国王が助けてくれているのではなくて?」
「それも、あなたの存在があってこそですよ。そうでなければ、今までのように、アンソニー個人が見舞いにくるだけで終わっていたでしょう。あなたが帰ってきたことで、ピアニー家は断絶しないかもしれない。いえ、ちゃんと存続するようにあなたには動いてもらいたいんです。そのためには、早く家の方へ戻っていただかないと」
「それはもちろん、戻るけど・・・リアンもくるのよね?」
「僕は・・・、そうですね、最初は」
「え、最初だけ? いつまで? どのくらい居られるの?」
「そうですね。あなたが慣れるまで、でしょうか。ひとまず、執事とメイド長、侍女たちとうまくやれるまでが目安になるでしょう。あとは、ノア次第といったところになります」
「リアンはそれでいいの?」
「ええ、もちろん。むしろ、それが当たり前です」
確かに、そのはずだった。ことの発端は、そのためだったのだから。
とはいえ、その頃には、リアンの周辺も落ち着き、縁談の二、三も出てくるだろう。公爵家を継ぐ有望な適齢期の男性なのだ、ないはずがない。そうしたら、その中から結婚相手を選んだ時、リアンは私のことをいらなくなるだろう。
「なら、それまで、そばにいてくださる?」
「お望みとあれば」
リアンが礼儀正しく私にお辞儀をした。私はおかしくなってくすくすと笑ってしまった。
「リアンたら、それじゃまるで執事だわ」
「あなたのためなら、執事にだってなりますよ」
「あら、ダメよ。あなたは公爵家を継ぐ人なんだもの。素敵な人と結婚なさらなくちゃ」
「・・・そうですね」
リアンは言うと、ふいと視線をそらし、先を進んだ。
足跡に残る緑の香りが鼻をくすぐる。しばらく進んでいくリアンの後を、私は追いかけて行った。リアンは先を急ぐふりをしながらも、私が追いつけないほど遠くへは行かない。突然、ピタリと止まって、私を振り返った。
風がふわりとなびいて、驚くほど幻想的だった。木の茂みが終わる森の外れの手前では、まだ自然の静寂さが残っていて、リアンの向こうに見える田園風景が、色鮮やかでまぶしかった。まるで初めて運命の恋人と出会ったような、そんな身震いを感じた。
この景色を見ただけで、私はここに戻ってきた甲斐がある。なんと愛おしい景色なんだろう。生きて、感じて、私の存在を知ってる人がいる。
「ソフィア・・・?」
ハッとして、私はリアンに視線を戻した。逆光で表情がよくわからなかった。
「・・・もう、戻りましょう。そろそろ、日が落ちます」
リアンが静かに言い、私の傍を通って道を戻っていった。リアンの耳が赤くなっている気がした。リアンはどんな顔をしているのだろう? 私はどんな顔をしていたのだろう? 気になりはしたが、それもリアンの背中を追いかけているうちにどうでもよくなっていった。そして、アルタイル号の姿が見えると、それは完全に消えて無くなった。
また乗って帰るのか・・・!
ちらりとリアンを見ると、リアンはいつもと同じように、優しく笑った。
誤字報告ありがとうございます。
第二章、終了です。
先の部分をまとめて、少し書き溜めてから投稿予定です。
第三章では、使用人達が戻ってきたピアニー家のお屋敷に、ソフィアはリアンとともに戻ります。
もしよろしければ、またお付き合いくださると嬉しいです!