19 答えあわせの終わり
怒涛のようだったけれど、アンソニーとの面会は終わった。
王の代理とはいえ、王太子がわざわざ出向いてくれるなんて、一体私はどんな伝説を残しているのだろう。主にデイヴィッドとニコラス。
当時の若いなりのロマンチストさ故なのだろうか、よくわからないものだ。しかも、この手紙は正直、ずるいと思う。憤ったこととに対する謝罪も非難も、引き受けてはくれないからだ。
百年前の、一方的な、後悔の上の、一度きりのラブレター。
「・・・リアンも、読む?」
「いいのですか?」
「もちろん。アンソニー様より先に読みたいでしょう?」
「アンソニーにも読ませるので?」
「それはリアンに任せるわ」
私は言うと、リアンに手紙を手渡した。
リアンが震える手でその手紙を見つめる。あの憧れのニコラスの直筆だ。感動に打ち震えているに違いない。
アンソニーが座っていた場所に座り、両膝にそれぞれの肘をかけて手紙を読むリアンの様子を見ながら私は考えていた。
この調子だと、歴史書を見ても、意味がないかもしれない。先ほど、ワイアットが言っていたではないか。史実として残されているものとは違う、と。ただのロマンスのようなものだけれど、一つ間違えれば私自身が全く違う人になっている。歴史家の書物を全部引きあわせるなどすれば、平均が取れるかもしれないが、それでも、王家が隠してしまえば意味がない。
これは、もっとプライベートなものが必要だ。ニコラスの私的な文書とか、デイヴィッドの私的な文書とか。日記とか・・・そこで私は気がついた。
リアンが持ってたじゃない。でもダメだ、あれはロマンチストの夢日記になってる。きっと本物がどこかにあるんじゃないの? それも探さなきゃ。
私は深くため息をつくと、リアンを見た。案の定、暗い顔をしている。ぼんやりと、ただ絨毯を見つめていた。あまりに楽天的でも困るが、暗くても困る。
「リアン?」
私が声をかけると、どんよりとした目で私を見た。手紙は机の上に丁寧に置かれている。
「良いお手紙でした。ニコラス王は、本当に、・・・素晴らしいお人だ。僕など、敵いませんね」
「リアンは王様になるわけじゃないでしょ? 敵わなくたっていいじゃない・・・」
「ですが・・・」
リアンはちらりと私を見た。私はよそ行きの言葉遣いを砕けたものに変え、笑顔を見せた。
「答え合わせは終わったの。あの時の私は断っただろうし、何年もかけたら、もしかしたら私は受けていたかもしれない。でも、もう過ぎたことでしょ? 私はその瞬間のままで今ここにいて、ニコラスは、これを書いた時、随分と晩年よ。そりゃ、思慮深いロマンチストにもなるでしょう。ちょっと郷愁が過ぎるわね」
「あの時に戻りたいとは思わないのですか」
「戻ったところで、結局私は鏡に飲み込まれるのでは? あの時、意味がわかって、受けたとしても、・・・逆に、良くなかったかもしれないわ。ニコラスが復讐の鬼になったかも。なくて良かったじゃない?」
「ですが」
「いい? もう、終わったことよ。ニコラスだってメアリだって、もういないんだわ。私はここで生きていくの、過去のことはもういいのよ」
「ソフィア」
「そうでしょう? ね、私をここへ戻してくれたご主人様」
するとリアンは不服そうな顔で口を尖らせた。こんな子供っぽい顔もするのだと、少しくすぐったい気持ちになる。
「僕はあなたの主人ではありませんよ」
「正確には主従関係はないけれど・・・」
私は頷きながら続けた。
「でもね、私はあなたが鏡に願ったから出てきたわけだし・・・実際のところ、あなたが身元保証人になってくれないと、生活だって難しいわ」
「・・・そうですね」
言いながら、リアンはため息をついた。
「僕は保護者ですか」
「そうでしょう? そうでなくては困るわ。私のことをちゃんと世話していただかなくちゃ」
私は冗談めかして笑うと、リアンはテーブルの上に残った紅茶を飲み干した。
それ、アンソニーのじゃない? あ、本人はもういないし、すごく仲がいいから、いいのかな?
でも、リアンが礼儀作法を吹っ飛ばすのは珍しい。私がなんとなくどぎまぎしていると、リアンが私に向き直った。
「そばに来ていただけませんか」
なぜいく必要があるだろうか。私は思ったが、こう思いつめた顔をされると逆らいづらい。私はしずしずと移動した。ストン、と隣に座ると、リアンがそっと私の手に自分の手を重ねた。
「あなたはあなたの御心のままに、ソフィア。僕はあなたを戻したからといって、あなたを操りたいと思っているわけではありません。命令して何かを叶えて欲しいわけでもない。だったら、あなたではなくて・・・もっと別のものを出しているんじゃないかと」
「そうね。魔法使いとか、精霊とか、ね」
「そうです。僕は・・・わかっているとは思いますが、あなたに憧れていました。どんな方なのか、会ってみて、知りたかったのです。夢は叶いました。だから、あなたはあなたの好きなように動いていいのです」
「ありがとう」
返事をしながら、ふと疑問が沸き起こる。
リアンはなぜこんなにも、私に会いたがっていたのだろうか。アンソニーは私には興味がなさそうだったのに。あの家にあるという、私の肖像画が原因なのだろうか。初恋だとブルータスは言っていたし。
あんなもの、と言っても見たことがないから、そんなもの、と言うしかないのだが、早々に捨てて仕舞えばよかったのに。私の十六歳の誕生日に送られるはずだった、私の肖像画なんて。
実際のところは、ゴタゴタですっかり捨てそびれていただけなのだろう。捨てるに捨てられず、そのうちに誰かが意味を見出して、飾ったのだ。ロマンチストが。そのおかげで私は出てこられたのかもしれないけれど、やはり、困惑する。
「あなたの思うように。僕は、あなたをサポートし、お守りいたします。ずっと」
「そんなに責任持たなくてもいいわ。私が生活の基盤を持てるまでで充分よ」
私が言うと、リアンは呆れた顔で肩をすくめた。
「そんなこと、許されますか? アンソニーが今日手ぶらで帰ったのは奇跡ですよ。本当は、あなたを王宮へ連れて帰るつもりだったんですから」
「え」
「でも、しませんでした。あなたの心身の安定を図ること、それは、僕が、・・・呼び戻した者があなたを守りお世話することが一番大切なことだと、訴えたからです」
「誰が?」
「僕がです。父も援護してくれましたけど」
「まぁ、でも、どちらかというと、私がいなくなったら、あなたの方が困るのかもしれないわね」
私が微笑むと、リアンは困ったように眉を下げた。
「それはどうしてです?」
「だって、あなたの望みは誰かがそばにいることだったでしょう? お兄様も幼馴染も伯父とも慕う人が亡くなって、それは心細かったんだと思うわ。まるで蘇らせたみたいに、私をここに呼んだのは、きっと、新しい友達じゃダメだったのよ。亡くした人と直接の知り合いでもダメだった。そういう条件の人がそばにいて欲しいと思ったんじゃない? それがたまたま、私だったっていう」
「たまたまではありませんよ」
にっこりと微笑むリアンは、うっとりするほど色気があった。これは一筋縄ではいかない。
でもともかく、この条件下で”伝説の令嬢”を引っ張りだしてくるなんて、誰もが思いつくことじゃない。不確かな鏡に願いをかけたりして。リアンはアンソニーに勝る変わり者なのかもしれない。それは、私の髪をいじったり、頬を摺り寄せたりするのも当然かも。