150 諦めた運命
だが、”あんな機会”は再び訪れた。
「これはこれは! ピアニー家の!」
「”伝説の令嬢”!」
「……ノア、どなた?」
ノアの付き添いで訪れたお茶会で、三人の男性が、代わる代わるノアに話しかけた。
「デンバー家の三兄弟さ。僕はティエリー」
「僕はシスレー」
「僕はネロ」
リアンについて来て貰えば良かった。だが、リアンは元気になって、復帰早々溜まっていた仕事をこなして忙しいし、加えて婚約式や結婚式の準備を進めていて、とても頼める雰囲気ではなかった。
「……ソフィアでございますわ」
私は頭を下げた。テンバー家といえば、手広く事業を営んでいる、大きな商会だ。そしてそんな家柄に自信があるのか、彼ら三人は、うんざりするほど私に興味を示し、我先にと様々な自己紹介をしてきた。早かったからといって、印象が良くなるわけでもないのに。
「ソフィア様は本当にお美しいですね。”伝説の令嬢”にお会いできるなんて、光栄ですよ! うちもノア殿と良好なお取引ができるといいんですが」
「お言葉添えくださいね、ソフィア様。僕が一番に信頼できるでしょう?」
「僕だって負けてはいない、ですが、……ソフィア様が口出しなさるとしても、決めるのはノア殿だろう。あまり負担をかけるようなことは言うなよ」
「えぇと……」
何かしら。なんだかとっても頭が重いというか……空気が……霞む……
「ティエリー殿、シスレー殿も、ネロ殿も、申し訳ありません。ソフィアは疲れやすいんです。あまり話しかけないでください。第一、ソフィアには婚約者がいるんですよ。親しげにしないほうがいいです。お相手は、とっても嫉妬深い方ですので」
ノアが言うと、少し不満そうにしていたが、分が悪いのを察したのか、三人とも謝りながら私たちから離れていった。
「まったくもう。彼らはいつもそうなんだ。女性に目がなくて……大丈夫、ソフィア?」
「えぇ。大丈夫……」
ごめんなさい。だって、またあの空気がやってきたんだもの。なんでこんな時に? ノアに言ったら心配かけてしまうかしら?
「ソフィア?」
「ごめんね。もうちょっと愛想良くしたかったんだけど……お仕事の相手なんでしょう?」
「うーん、まぁね。新規で取引をしたいんだって。僕みたいな子供と取引したいなんて、笑っちゃうよね。大方搾取するつもりだろうってわかってるよ。だからしたくないんだけど……しなきゃならないみたいで。あの中から窓口の人を誰かを選ばないとならないけど、誰が適任なんだろう?」
ノアが首をひねった。私はすっと背筋が寒くなった。これはもう気のせいでもなんでもないんだわ。
名高い商会で、ノアの未熟さを狙ってる新規の取引先。今、契約しておいて損はない……でも、間違えたらこちらが大損をする。どちらもそれをしないために、どちらも利益が出るような取引にしたいところだ。
その相手との出会いで、私がこんな気分になるなんて……最悪だ。
「彼らは、兄弟なんでしょう? 代表は誰なの?」
「あの家は、代表はそれぞれ得意分野を任されてるだけで、メインはいないんだ。それだけ実力が拮抗してるってことだね。うちとの取引がどう転ぶのか、わからないけど。でも、うちだって彼らに利益を出せる取引先の一つのはずだ。なんとしても、自分が窓口になりたいんだろうね」
ノアと話しながら、私はふと気がついた。……一人は大丈夫だったわ。あとの二人はちょっと具合が悪くなってしまったのよ。そうだったわ……
「そうね、なら、二番目よ」
「シスレー殿?」
私は頷いた。
「彼が良いわ。他の二人は、あなたを完全に見くびって、出し抜こうとしてる。ピアニー家を乗っ取れるんじゃないかって、画策してるくらいだと思うわ。でも、シスレー様は真摯に取引を考えてるし、あなたを対等に見てるわ。将来のことを考えてるのね。その方が利益になるって、わかってるから。だいたい、あなたをないがしろにして、ヘンリーが黙ってないし、私だって、何より、リアンも公爵も黙ってるわけがないんだから、取引は慎重にした方がいいに決まってるもの」
ノアがぽかんと私を見た。
「どうしてそんなこと、わかるの?」
「どうしてかしら。でもわかったのよ。見ていたら……あれ?」
ノアの敵になりそうな人、信頼してはいけない人がわかる……気がする。これって、魔法なのかしら? 何かの力? でも、さっぱりわからないわ。
「やっぱり……」
ノアは興味深そうに、でも深刻そうに考え込んだ。私はノアの肩を掴んで、思い切り否定した。
「いやいやいやいや、気のせいよ。気のせいなのよ」
「……リアンには言わないよ。でも、どうせなら、僕の商談についてきてくれると嬉しいな。僕はまだ、一人で決断するには若すぎるし、誰か保護者が必要だから。王宮勤めのリアンには頼めないし、公爵にだって無理だよ。こんなこと、親族以外に頼めない」
ノアの真摯な瞳に、私は仕方なく頷いた。
「……わかったわ。リアンに言わないでくれるなら」
ノアの商談についていくなんて、またあらぬ噂を広げそうだ。でも仕方ない。これはきっと”呪い”のせいだ。私がノアが幸せになるように願ったから……それを実行するために……力が働いてる。
鏡の魔力はなくなったけど、私には、その瞬間だけ”降りて”くるのだろう。”呪い”が。それが、あの鏡の持っていた力で、”呪い”はかかったままなのだから。
これが私の能力なのだ。諦めるしかない。私はノアの幸せを自ら手助けするのだ。それはそれで嬉しいことだけど、リアンにいつまで隠せるか……でも言いたくない……
「ここには鏡はないのにね。家にだって置いてないのに、影響があるのかなぁ」
「怖いこと言わないで」
「鏡だけど、もうすぐ調査が終わって戻ってきそうだよ。何もなかったみたい。そうしたら、またソフィアの部屋にかけておくね」
「観光名所にでもする?」
「してもいいの?」
「それもまた面白いかもしれないわね。あ、でも、私が家を出るのはまだ先だから、まだよ!」
「わかってるって」
ノアが心底おかしそうに笑う。
「婚約式が終わったって、まだ私は家にいるんだから」
「でも……」
「鏡といえば、そうよ、アンソニー殿下が欲しがっていたわ」
なにか言いかけたノアを遮って、私は思わず声を上げた。自分の結婚式の話なんて、まだちょっと恥ずかしい。それに、まだリアンの家にいる私にはノアとゆっくり話す時間はなかなか取れないから、ちょうどよかった。あんなに魔法について興味があったんだもの、名残くらいなら、アンソニーに渡したほうがいいのかもしれない。きっと大切にしてくれるし。寂しいけど。
すると、ノアが首を傾げた。
「渡してしまって良いの? ソフィアがそうしてほしいなら、そうするけど……、僕は、ソフィアは鏡が部屋にあって欲しいんじゃないかなって思って」
「そうね……」
ノアの言葉に、私は少し考えた。私はあの部屋からいなくなるけど、鏡はあの部屋にいて欲しい……そんなの、わがままなんじゃないかしら。
「わがままじゃない? アンソニー様は手を尽くしてくださったのに、私は何もお礼ができていないわ」
「そんなことないよ。違う形で返したらいいんじゃないかな。夏離宮とか」
「これ以上、いったい何を?」
「散策とか、顔出しとか、絵姿とか……」
「か……鏡をあげたほうがいいんじゃない?」
すると、ノアは首を横に振った。
「鏡はソフィアの運命で友達だ。僕はそう思ってる。あの鏡は、”もの”じゃない。魔力を失ってしまっても、ソフィアにとって大切なことは変わりない。だから、ソフィアの部屋に置いてあげて。そして、名残のある場所で、思い出に浸りたい時に、いつだって遊びにおいでよ」
「ありがとう」
運命で、友達。
ちょっと怖くていい響きだ。それがとても私と鏡の関係に合っている気がした。
第二十一章、終わりです。