147 幸せになる”呪い”
自分の墓石を見るのも、ずいぶん不思議なものだ。
私自身が作りたかったわけではなく、私を偲んで作ったものだそうだから、余計にそう思う。
墓の前で立ち尽くす私に、ノアがふと思いついたように言った。
「そういえば、リアンは、墓でソフィアに会えるかもしれないと、一時期、よく来ていたんだって。社交界に出る前くらいかなぁ……でも結局、鏡の中にいるんだから墓に出るわけがないって気付いて、やめたみたい」
「他にすることあるでしょうに……」
幽霊にでも会うつもり? 私は言いながら、自分の墓石に刻まれた文字を読んだ。
”偉大なる淑女 ソフィア・アレクス・ピアニー 鏡の中に眠る 幸ある帰還を望み、ここに記す”
「ひどいわね。誰が選んだの……」
私が思わずつぶやくと、ノアはクスクスと笑った。
「デイヴィッド様が考えられたそうだよ。こればっかりはニコラス賢王に考えてもらうわけにはいかないと、墓作りが決まった際には随分と早くにお考えになられたんだって……」
「あの子は商売は上手だったのだろうけど、言葉選びはなってないわ。偉大なる淑女って。何? それ」
「さすがに”おてんば娘”などと書くわけにはいかなかったでしょう。それでも、あなたを慕って訪れた方は、感じ入っていたのだから、おかしくないよ。僕も、いい言葉だと思うし。ソフィアによく似合うよ、”偉大なる”って言葉。いろんな意味に使えるもの」
褒められているのか何なのか……それでも、ノアの笑顔を見ていれば、デイヴィッドに言われているようで、私は何となく納得した。
「きっと商売もはかどったでしょうね」
「あ。そういうことを言わないで」
「私のお墓へ来ることも、特別な計らいとして人気だったんでしょう。そんな気がするわ。むしろ、そうであってほしい。私はデイヴィッドに何もしてあげられなかったから」
「そんなこと……ないと思うけどな」
私は隣にある両親の墓、そして、デイヴィッドの墓をそれぞれ見舞った。不思議だ。私の墓石を含め、綺麗にはされているが、百年の劣化がある。でも私にとっては、やはり、彼らは数年前まで触れて目の前にいた人たちなのだ。
「変ね。寂しいような、実感がないような。でも、……そうね、私、戻ってきたわ」
”幸ある帰還”。私は彼らの望む”幸”を享受できているだろうか?
私はそれぞれがそこにいるかのように、墓に向かって話しかけた。
「私、どう見える? 私が幸せそうに見えたのなら、それは、みんなのおかげよ。デイヴィッドも、お父さまもお母さまも、ありがとう。ニコラスたちにもお礼を言ったけれど、……帰ってくると信じてくれてありがとう。待っていてくれてありがとう。私は、この時代で生きていくわね。みんなの分も、……えぇと、みんなは幸せだったから、みんなと同じくらい、幸せになります。私ができることは、それだけだから」
私が言い切ると、ノアが私の肩を優しく叩いた。そして、私より少し前に出ると、頭を下げた。
「僕からもお礼を言わせてください。僕は大怪我をしたまま、家を継ぐことになりました。ピアニー家の当主として、僕はまだ若く、実務も心許ない状態です。そんな僕を励まし、みんなが助けてくれましたが、一番支えになったのは、ソフィアの存在でした。みなさんが信じ、託してくれたことで、僕はソフィアに出会え、だからこそ、ピアニー家を存続させることができるでしょう。みなさんのご期待に沿えるよう、当主として、より良い発展と継承を目指したいと思っています。本当に、……ありがとうございます」
「ノア……」
そんな風に思っていてくれたなんて。
「私こそ、どうもありがとう。これからも、協力してピアニー家を盛り立てて行きましょう!」
「嬉しいけど……ソフィアはほどほどにね」
「まぁ、どうして? 私だってちゃんと家のことも考えて……」
「ソフィアはリアンが一番だからね」
ノアがにこりと笑った。
「あら。でも、リアンは優秀だし、私のサポートなんていらないんじゃ?」
「公爵家は領地も広いし責務もあるし、雑事もとても多いよ。現ワグレイト公爵だって、夫人がしっかり支えてるんだから、ソフィアだって当然するでしょう? 公爵夫人の勉強だって、これからするんだから」
「そう……だったわね……」
私にできるのかしら? でもやらなければならないのよね?
「大丈夫、できるよ、ソフィアなら」
私の心の声が聞こえてしまったかのように、ノアが微笑んだ。
「ありがとう」
「そうしたら、次は父上たちに会いに行こうか。でもその前に、少し疲れたから、椅子に座ってもいい?」
「えぇ、もちろんよ。長いこと立たせてしまって申し訳ないわ」
「これくらいはなんでもないよ。いつものリハビリはもっと厳しいくらいだし、そのうち走れるようにもなるだろうって、先生がおっしゃってくださった。だから、そんな心配そうな顔をしないで」
「えぇ、そうね」
私はにっこり笑って、頷いた。
でもね、私はわかってるの。あの鏡がなくなっても、ノアにかかった”呪い”はもちろん解除されない。ノアは後遺症もなく元気になって、幸せになる。だから、心配してるわけじゃないわ。それを伝えられないもどかしさが表情になってしまうのよ。
その時、誰かがやってくるのが見えた。
「誰かしら?」
私が首を傾げ、ノアが振り向くと、その相手は足早に近づいてきた。仕立ての良い服を着た、恰幅の良い男性だ。
「ピアニー伯爵ではないですか!」
いそいそと彼はやってきて、ノアに手を差し出した。握手をしながら、彼は嬉しそうな顔をした。
「こちらで会えるとは思っておりませんでした。おや、こちらは伯爵のご親族、ソフィア様ではありませんか? よければご紹介いただけますでしょうか?」
「……えぇ、構いませんよ。ソフィア、こちらはサム・ホレイショ男爵です。船で外国の商品を買いつける仕事をしていて、うちは時折取引をしているんです。ホレイショ様、彼女はソフィア・アレクス・ピアニー、僕の家が長年所有していた”伝説”を体現する方です。実質、僕の”姉”となります」
彼が私に投げた訝しげな視線を、ノアは難なく笑顔でしのぎ、私をすんなり紹介した。不躾でも、悪いことではない。商売人らしい視線といえば、聞こえがいいだろうか。
「ほぅ……お姉様」
サムは目をパチクリとさせた。そしてノアはにっこりと、少し幼い様子で私を見た。
「はい。ね、ソフィア?」
「えぇ、そうね。ホレイショ様、私はソフィアと申します。すぐに嫁いでしまう身ですので、家の事業のことはよくわかりませんの。ですから、あまりお会いすることはありませんでしょうが、よろしくお願いいたしますわ」
私が頭をさげると、サムは慌てて同じように頭を下げた。
「えぇ、えぇ、はい! 私は男爵家当主、サム・ホレイショと申します。今日はお会いできて光栄です。場所がここでなければなお良かったでしょう」
サム・ホレイショが私の手を取って、丁寧に挨拶をした。型どおりの挨拶。でも彼は私をどう思っただろう? ピアニー家の事業を揺るがす存在? それとも……いいえ、違うわ。彼はなんとも思っていない。むしろ、好意的なくらいだ。
だが、私は思わず後ずさり、ふと手が離れた。光の加減か、随分と霞みがかって、サムの姿が曖昧に見える。
私、態度が悪かったかしら? でも、何だかあまり近くにいたくないのよね……
それでも、サムはにこりと微笑むと、そのまま話を続けた。
「あぁ、リアン様とのご婚約おめでとうございます! 息子が友人でして、私も親しくさせてもらっているんですよ」
「まぁ、そうでしたか。私、まだこちらの社会には疎くて、リアンの友人はほとんど知りませんの。知らなくて申し訳ありませんでしたわ。リアンに伝えておきますわね」
「は……はい、いえ、滅相もございません! こちらこそで過ぎた真似をいたしまして、失礼いたしました」
そう何度も頭を下げられてしまうと、逆に辟易してしまう。確かに商売に長けているようではあるけれど……私が悩ましく思っていると、ノアが助け舟を出してくれた。
「ところで、ホレイショ様、こちらへは何をしにいらしたんですか?」
「あぁ、お客の依頼で、墓に特別な装飾を施す予定なのです。それで、墓石の大きさや見栄えを現地に確認しにまいりました」
私は驚いてサムを見た。
「そのようなお仕事もなさってるんですね」
「はい。外国から嫁いできた方の故郷の思い出も墓石に刻みたいと、旦那様が特別に取り寄せることにしたそうです」
「何であるか、聞いても?」
「はい。奥様が好きだった故郷の花を、現地の鉱物を使って装飾いたします」
「まぁ、素敵ね」
「えぇ。そのような思い出に残る仕事をさせていただいて、私どもも光栄に思っております」
誇らしげに微笑むサムは、嬉しそうだった。人柄も悪くないし、仕事も丁寧そうだ。でも、同時に、なぜか避けたい気持ちが収まらず、私は自分に嫌気がさした。