146 挨拶にはとても良い日
ノアは私の言葉に、肩をすくめた。
「面倒だよね、貴族って」
「ピアニー家は無縁に過ごしましょ。商人としても名が通っているんだし、経済だけにしておいたほうがいいわ」
「夏離宮を提案して、その人材を独占して請け負っていても?」
からかうようなノアの言葉に、私は澄まして頷いた。
「そうよ。二兎追うもの一兎も得ず、っていうくらいなんだから、うまくいかなくなるわよ。商売も権力も、なんて、無理だわ」
すると、ノアはあっさりと頷いた。
「まぁ、そうだよね。そのつもりもないけど、うちは権力に手を出すような家系じゃない。だって、そもそもソフィアがいるような家系だもの」
ノアはからかうように言って、私を見た。『ソフィアがいる』というのは、言わずもがな、王妃になりたいなど微塵も思わず、プロポーズさえ理解しなかった権力に無関心な先祖という意味だ。
「デイヴィッド様も賢王の友人という位置を崩さず、一度だって政治に介入したことがなかった。それがあって、今があるんだ」
「詳しいのね」
「これでも勉強したから。ちょっと早かったし、父上から直接学びたいこともたくさんあったけど……こればかりは仕方ないことだと、諦めるしかないんだよね。きっと、デイヴィッド様のように」
「弟のことはもう良いでしょ」
私が再び膨れると、目を輝かしていたノアは残念そうにうつむいた。
「伝説なのに」
「姉弟で伝説とか勘弁してほしいわ。だいたい、伝説は王家にまつわる話だけで充分でしょう。ニコラスだけでお腹いっぱいになっても良いはずよ」
「僕たちはね、物語に飢えてるんだよ。ロマンチストな人も結構多いものだから。チャーリー殿下も、”伝説の令嬢”ソフィアに一目惚れしてたじゃない」
う……それを言われるとなんとも言えない。
「きっと家族以外に会った人は、私が初めてだったのよ」
「そんなはずがないけど……でも、まぁ、そうかもね。今ではコレット様がお気に入りみたいだし。順調に行けば、婚約するんじゃないかなって言われてる」
「まぁ! それは良かったわ。喧嘩ばかりしていたし、もうちょっとかかると思ったけど、そうでもないのね?」
デボラからは今でもケンカばかりと聞いていたけれど……ケンカするほど仲がいいという関係かしら? コレットのあの美貌はもっと磨かれそうだし、なんなら今、会う度に美しさが増す頃だろう。となれば、チャーリーがそれに屈するだろうと容易に考えつく。
私は想像しながら、何度もうなずいた。
何より、チャーリーは聡明なコレットに反発しても、ちゃんと意見を聞いて、検討できる人物だ。ノアが知ってるということは、すでに周囲から縁組を固められ始めているのだろうが、コレットもちゃんとわかっているだろう。自分の力を一番に発揮できるのは、チャーリーのそばだと。
勉強嫌いで、一目惚れしてすぐに告白してくるほど、迂闊な人だったけど。でもコレットがそばにいれば、将来の立派な王弟として活躍できそうで、これは期待できる。
ノアは笑いながら楽しそうにうなずいた。
「もちろん、喧嘩ばっかりだよ! 僕もこないだお会いしたけど、素晴らしい言い合いだったよ」
「素晴らしい……?」
「うん! あれだけの反応ができるのがコレット様しかいないね。チャーリー殿下も、論破されないようにと、とてもよく勉強するようになったみたい。国王陛下もとても喜んでるそうだよ」
「……勉強ね……恋愛はどこに行ったのかしら……?」
「喧嘩するほど仲が良いって、ああいうのを言うんだと思うな」
想像と違う。
「それは、まぁ、そうね。私もそうであってほしいと思うわ」
いつか、リドリーやコレットから、話を聞けるかしら。私は想像してみた。仲睦まじいコレットとチャーリー、それを眺める笑顔のリドリー。とっても素敵。王家との縁とすれば、ちょうどいい塩梅だ。
「早くお祝いを言えるといいなぁ。でもきっと、怒ったりするんだろうな……あ」
それで思い出したかのように、ノアは私に向き直った。
「隣国のエリナ令嬢から、ソフィアにお祝いのお手紙が届いたよ。結婚式にはご招待するの?」
「どうかしら」
リアンの見合い相手だけど、結果、それも関係ないような感じだったし、呼んだ方が良いのかしら。
「リアンに聞いてみないと」
「では、ウルソン王子は? お手紙も頂いたし、今度うちにもいらっしゃるし、呼ばれる気満々だと思うけど、お見合い相手だったよね?」
「そういう意味では、国内でも私のお見合い相手だらけよ、リアンが呼ぶ人は。外務大臣の息子だって、リドリー様だって、外すわけにはいかないもの。そんなことを気にしていられないと思うわ」
すると、ノアはクスクスと笑った。
「わだかまりもないのなら、呼んで良いということで、うちからもオッケーを出しておくことにするよ」
「何が?」
「来賓リストをいただいたので。ピアニー家として、オッケーかどうか確認してたから」
「来賓リスト? 何の?」
「結婚式だね」
結婚式?
「もうリストを? だって、……えぇと、ずいぶん先なんじゃ?」
「先って? 二年も三年も待たせるつもり? リアンはそんなに先にしたくないでしょう」
「そりゃ……でも一年くらいはあるでしょ?」
「さぁ? でも、一年後の準備は今からするものだよ。リズとアーロンだって、来賓リストを吟味してたもの」
私は首を傾げた。とはいうものの、結婚式を挙げている自分など、全く想像がつかない。
「そういうもの?」
「そういうものでしょ。ソフィアにとっては、あまり馴染みのないことだから仕方ないね。僕だって初めてだけど、準備をしていた姉たちを見てたから、なんとなくは知ってるよ」
「そう……」
帰ったらデイジーとヘンリーにどうしたらいいか聞かなくちゃ。
私が考えていると、ノアがふと言った。
「だから、ほら。今日はちょうど良いでしょう」
馬車が止まった。しばらくするとドアが開き、先に降りたノアが振り返って微笑んだ。
「本当にいい天気だね、ソフィア! お父様たちに挨拶して、快く見送ってもらいなよ」