145 ノアの成長
二十一章です。
よろしくお願いします。
明るい太陽の下で、私とノアの乗る馬車は、コトコトと順調に進んでいた。通り過ぎた人の耳には、おそらく、いかにも楽しそうに笑い声が響いてきただろう。何しろ、ノアがお腹を抱えて笑っていたからだ。
「笑い事じゃないのよ、ノア」
「わかってるんだけど、でもさ、でも……本当、ソフィアとリアンは飽きないね!」
ノアはまだ、心底おかしそうに肩を震わせて笑っていた。私は憮然としてノアに視線を向けたが、笑われても腹立たしくは思えなかった。
ノアはすごく元気にしている。本当に、ずいぶん回復した。ノアの手元のステッキは以前より軽いものに変わっており、以前よりずっと目立たなくなっている。先ほど、馬車に乗る時も従者の補助は最低限で、スムーズに乗れていた。その方がずっと大事なことだし、私にとっては一番の朗報だ。
「このお出かけが最後かぁ」
少し寂しそうに、ノアが窓の外を眺めた。私は少しムッとして反論した。
「まぁ、縁起でもないこと言わないで。またピアニーの家には戻るわ。ちょっとリアンの家へ行くだけよ」
「そうだけど……結局、今か先かってだけで、変わらないもん」
「やっぱり、心細いかしら? まだあの屋敷にいた方が……」
私が言うと、ノアは首を横に振った。
「ううん。わがまま言ってみただけ。言ってみたかったんだ。でも、アーロンのことを思うと、リズには言わなかったし。実際、あの頃は言わなくてもよかったけど……今はね、言ってみたらどうなのかなって思ったんだ」
「……どうだった?」
「ちょっとホッとするね」
「ホッとする?」
「まだ僕にも素直になれる人がいるんだって、安心した」
「ノア……私と同じように思ってくれているなんて、とても嬉しいわ。しっかり勉強しているから、どんどん成長してしまって、私にはもう甘えてくれないんじゃないかと思ってたのよ。魔法研究所も、許可するまでには、本当に大変だったでしょうに」
一気に家族を失って、本当に辛かっただろうノアが、私には甘えてもいいんだと考えてくれてる。まだまだ、家の仕事を任せるには若い、若すぎる当主。心配されていたが、ノアは急成長して、すでに家の事業を動かせるようになっていた。冷静にならねばならない場面はたくさん出てくるだろう。それならば、少なくとも、ノアが離れていく暇で、私はノアに甘えられるような存在でありたい。
「いつでも、私はノアの味方よ。それが許されるなら。寂しいなら、そう言って頂戴」
「ありがとう。でもね、まだいた方がいいなんて本気で言ってる? すぐにウルソン王子が調査しにきちゃうんだからね。その時は居合わせないようにしないと」
「そうね……ご挨拶できないのは申し訳ないけど、仕方ないわね。微量でも私に残っていたら困るもの」
私が複雑な気持ちでため息をつくと、ノアはそれに同意するように何度もうなずいた。
「そう。それにそもそも、特殊な状況では魔法がかかるってことがわかってるんでしょ? 鏡の魔力が消えても、それは消えない可能性が高いんだから、用心しないと!」
なんとなく、この次にノアが言うことがわかる気がする。
「”リアンに怒られる”?」
「そう!」
ノアが弾けるように笑った。こうして話せば、年相応の男の子だ。
「でも僕だって、ソフィアと過ごしたいからね。ちゃんと守るよ」
「それは嬉しいわ。私もノアと過ごすのは楽しいもの」
「うちでのお茶会も、結婚して家を出ても、手伝ってね?」
「もちろんよ。あなたの結婚が見つかるまでね」
私が言うと、ノアはため息をついた。
「ずいぶん先だね……でもまぁ、”ソフィアの部屋”がもう使えないのは、みんな知ってるし、運営は夏離宮になるんだし、僕の負担はとっても減ったんだと思うよ。手配してくれてありがとう、ソフィア。改めてお礼を言わせて」
「私こそ……後押しをしてくれて助かったわ。ありがとう」
感謝しあって顔をあわせれば、自然と笑みがこぼれる。私とノアは、お互いにうふふと笑った。すると、ノアがふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、夏離宮の運営が準備段階に入ったって、聞いた?」
「いいえ」
「正式に王宮に採用されたんだ。もちろん、うちでも条件をすべて確認して、負担になりすぎないで利益になるように考えたよ。リアンと公爵、それにカーターが手伝ってくれた」
私は驚いて目を見開いた。
「カーターが? あなたの従者をするだけじゃなくて?」
「うん。最初はヘンリーだけがやっていたんだけど、カーターは子爵の家から来たからね。前提や条件など、確認して窓口に立ってくれた。子爵とも良好な関係でやっていけそうだ」
「それは素晴らしいわね。とてもよかったわ」
私はホッとして頷いた。カーターは掘り出し物だったのかもしれないわ。人材をそんな風に言ってはいけないかもしれないけど、でも、本当に良かった。何より、ノアに合う人柄らしい、というのは嬉しい。信頼し合えるのはとても大切なことだ。
「使用人達の教育ももう少し人材を多めにやらないとね。デイジーとヴェルヴェーヌは公爵家に行ってしまうんだし」
「ごめんなさいね、本当はきっと、この家にいてもらったほうがいいのだけど……」
私がしょんぼりすると、ノアは私を安心させるように、にっこりと笑った。
「ソフィアが気にする必要ないよ! もともとそういうものなんだし、いいんだ。二人とも、公爵家の侍女になる訓練は大変だと言いながらも、楽しそうにやってるし。何より、ソフィアについていきたいんだよ。僕だって行きたいよ。きっと楽しそうだもん」
「別に楽しいことなんてないわよ」
私の言葉に、ノアは首をひねった。
「そうかな。退屈したり、嫌な思いをしたりはしなさそうってだけでも、楽しみだよね」
「勝手なことばっかり」
私がむくれると、ノアは笑って少し話を変えた。随分と人あしらいが上手くなったこと。
「ヴェルヴェーヌは、デボラに会ったことはあっても、お話ししたことはないから、とても楽しみにしているんだって」
「あぁ、そうなの! それじゃ、すぐに虜になっちゃうわね。とっても可愛らしいもの。ますます綺麗になって、リアンに似てきたわ。アーロンの幼い頃にも似てるわね。お美しい母親のコニー様にも似てらして、本当に将来が楽しみ」
先日会ったデボラを思い出して、私はため息をついた。リアンに似て、美しいさらりとした茶色い髪に、長い睫毛、整った顔立ち。ほがらかな笑顔は可愛らしく、理知的な瞳は好奇心で輝いて、弱って療養をしていたとは思えないほど元気だ。
ノアも思い出していたようで、しみじみと頷いた。
「小さい頃は、チャーリー殿下にお輿入れするんじゃないか、何て言われていたんだよね……」
「それは……お気の毒に、とても心配だったでしょうね」
「どうして?」
「政治的に、ワグレイト公爵令嬢が王家に嫁ぐわけにはいかないでしょう。その気がなくても、勢力がつきすぎてしまうもの。二人が惹かれあったら悲劇だから、なさそうでよかったわ」