144 なりません
リアンに会いに行くと、リアンはベランダでお茶を飲んでいた。
私が早速、隣の椅子に座ると、リアンは散歩のことを口にも出さず、私の手を取って微笑んだ。私はその勢いで、オゼイユと話したばかりのことをリアンに伝えた。
「それもそうよね、ウルソン王子は来週に来てしまうもの。綺麗になくなって本当によかったわ」
「……ウルソン王子が来る?」
「そうみたい」
すると、リアンは少し考え込んだ。
「ところで僕は……もう家に帰れるのかな?」
「さぁ……わからないわ。主治医に聞いてみないと。どうして?」
「もう帰りたいから」
「まぁ……そうなの。さすがにそうよね。飽きてしまったわよね。ノアも元気だし、私も無事だから、一旦お帰りになって大丈夫よ」
できれば、早くこちらに戻ってきてほしいけど。寂しいし。どれくらい帰ってしまうのかしら。療養も兼ねると長くなるかしら。でも一緒にいたいなんてわがままよね。いっその事、ついていきたいなんて言ったら、笑われてしまうかしら。だって、そんなことできないのに。
私は考えながら、ずいぶんとリアンのそばにいたいのだと、自分で呆れた。するとリアンは私の心の声が聞こえたかのように微笑んだ。
「何を言ってるんだ。あなたも帰るんだよ」
「帰るって……」
「もちろん、僕の家。あなたが将来住む家だ。いや?」
私は目をパチクリとさせ、リアンを凝視した。
「え、でも、だって……おもてなしをしなければ……」
「大丈夫。そもそも、ノアがもてなすもので、あなたではないだろう?」
「でもノアはまだ未成年よ」
「正直言うと、ウルソン王子にもう一度あなたを会わせたくないんだ」
「お会いしたところで、何も」
「あの時だって嫌だったんだ。本当に嫌でたまらなかったんだよ。でもそんなことは言えなかったから……今は言えるのが嬉しいんだ。できれば、それを実行したい」
「でも……あの……」
私が思わずちらりと視線を向けると、食器を下げていたヘンリーは何でもない顔で頭を下げた。
「こちらは問題ございません、ソフィア様。使用人総出でお迎えいたしますし、王宮からもバックアップがあるでしょう。それに、私たちは夏離宮でお仕えする使用人の教育を監修する屋敷です。このくらいのこと、できないはずがありません」
「無駄に頼もしいわね」
嬉しいような憎らしいような。
私はため息をついた。
「わかったわ。私も……お会いしたいわけではないし、魔力のことで気取られても面倒だし……療養ということで、ワグレイト公爵邸へ行きましょう。報告は向こうで受けるわ、ヘンリー。ノアのことについては、カーターとも相談して私に伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
ヘンリーが頭を下げ、部屋を出て行った。心なしか、足が弾んでいたように思う。調査の時、私を厄介払いできて嬉しいんだわ。
私がヘンリーがいなくなった廊下を見つめていると、リアンが私の手を握りなおし、自分に向き直させた。
「良かった。……ありがとう、ソフィア。僕のわがままを聞いてくれて」
「何も問題ないわ。今まで、私のわがままはずっと聞いてくれたんだもの、何だって聞いてあげたい気分よ」
「何を言ってるんだ。あなたはずっと僕の願いを聞いてくれて、叶えてくれていたんだ。それ以上のわがままがどこにある? 僕が君の願いを叶える番だ」
「私の願いはとっくに叶っているもの」
あの鏡から出してくれたこと。私を私だと認めてもらえたこと。全て込みで愛してくれたこと。私にとって、それは叶えられない願いで、手にした今は、何にも代えがたい幸せだ。
「それで……部屋の確認をしたいのだけど、リアンも一緒に来てくれる?」
「僕も? オゼイユ女史と一緒ではなくていいの?」
「オゼイユ様はリアンと一緒に行って構わないとおっしゃったわ。部屋に戻る準備も一緒にしてね」
そこでふと、オゼイユの言葉が蘇った。
『どうせならリアン様と一緒の部屋になさいませと』
なりませんよ。それはできませんよ。仮にも公爵家と伯爵家、汚点があってはなりませんもの。
「どうしたの?」
リアンに顔を覗き込まれ、私はハッとした。慌てて笑顔を作り直し、早口で切り返した。
「いいえ。散歩に行こうと思っていたんでしょう? 今から私の部屋に行かない?」
すると、リアンは目を丸くして言葉を詰まらせた。私、何か変なことを言ったのかしら? すぐに思い出してみたけれど、変なことは言ってない。部屋の確認に来て欲しいと言っただけだし……まさか、オゼイユの言ったことを口にしてしまった?
「あの……リアン?」
「いや、ごめん。わかってる。わかってるんだ。でもその……あなたの部屋を使うお誘いのようで……、」
「え? あ、あら……?」
知られてしまったのはわかってたけれど、そう言われてしまうとなんだか申し訳ない。うん、本当に申し訳ないわ。
「私がそのように使っていたわけではないわよ」
「それは知っている。ジョルジョの時に調べたから、わかってるんだ」
私は首を傾げた。それはキースのことも知ってるってこと? だったら、キースがリアンに知られたくないと戦々恐々としてる意味もなくなってしまうかしら?
「名簿を見たりしたの?」
「いいや。見せてはくれなかったし、そもそもすでに破棄したと言っていたよ」
「あぁ、……そんなことを言っていたわね」
それじゃ、やっぱり知らないのかしら。でも、今は品行方正に頑張っているようだし、あえて言う必要もない。話を聞けばそれなりにわかりそうなことだし……気になることではあるけれど。キースは私の部屋のお客さん、ある程度のお得意様で、家としては人脈作りに助かっていたようだから。それは……いつかそのうち、そのうち、いつか。
「それにね、今知ったところで、関係ないと思ってるよ。意味がない、ともね。もう新しい生活が始まってるんだし、僕たちは前に進んでいるんだから」
リアンはにっこりと微笑んだ。
そう。私たちは過去を大事にしすぎてはいけない。
だとしたって、それが友人のキースだったら、また違ってくると思う。私がそれを知っているのは、キースが自分の部屋を使ってるのを”見ていた”からだって知ったら、……あまり考えたくはないわね。やっぱり、聞くのはやめにしよう。
「それで……部屋の確認に行くのだけど、リアンも一緒に行く?」
私が腰に手を当て、胸を張って澄まして言うと、リアンは私の頬を優しくくすぐった。
「もちろんだ。ソフィアが部屋に安心して戻れるのを、僕も確認しないとね。でも、安全でも、嫌だったら使わなくていいんだよ。部屋は用意してもらっているからね。いつだって僕の家に来てもらって構わない」
「そ……そうなの」
「父も母も、すごく楽しみにしているんだ。もちろん、デボラもね。あなたが来てくれる頃に、一緒に住もうかなんて話しているんだ。そろそろ、学校へも行きたいと言っているし」
「それは……嬉しいことだわ」
どうしよう。考えてなかったけど、本当に私、嫁入りするんだわ。どんな振る舞いをしたらいいのか、さっぱり見当もつかない。前の時代にだって、そんなこと教えてもらえる年齢じゃなかった。しかも、この時代でなんて、もっとわからない。
今度、ノアに聞いてみよう。早いところ。何か文献を知ってるかもしれないもの。いつ二人で会えるのかしら。
私は上の空で部屋の確認をしながら、ノアとゆっくり話せる時間を検討していたのだった。
第二十章、終わりです。
次章はノアとお出かけです。