142 もう秘密はないの
しかしそのすぐ後、リアンはふと考えるように首を傾げた。
「いや。困らないかも」
「まぁ。どうして?」
「公爵家の資産運営だけでも充分な仕事量だからね。とりあえず、家の仕事だけすればいい。父の手伝いをするのが早くなるだけだ。そうすれば、ソフィアとずっと一緒に居られる」
「呆れた。飽きてしまうわよ」
「飽きないよ。きっと、絶対に」
「変な人」
私の言葉に笑い、リアンは手を伸ばし、ゆっくりと私を自分に引き寄せた。私はそれに身を任せ、リアンが私を抱きしめてくれるのをじっくりと味わった。力強い腕だ。リアンは元気になっている。よかった。
「もう秘密はないよね?」
「うん?」
私は思わず顔を上げてリアンを見た。
「秘密なんて、ないよね?」
「ないと……思うけど……」
何かあったかしら? 私は慌てて考えたが、何も思い浮かばない。
例えば、キースが私の部屋を使っていた話なんて、する必要ないわよね? あれは私の秘密ではなくて、キースの秘密だ。リアンが知りたいのは”私の”秘密なんだから。それに、話したところで、もうしばらくしたら私はあの部屋を使わなくなるわけだし、知らない方がきっといい。
「思い出したら、その時には教えて」
「秘密なのに?」
「前は必要だったかもしれない。でも今は、必要ないだろう?」
「どうかしら……」
あ、でも、一つだけ。
「私の部屋は、今、魔力に満ちてしまっているの。魔法研究室のオゼイユ様が処理してくださることになったわ」
「そ……そうか」
リアンは少し警戒したように笑みを浮かべた。不思議ね。これから私が言いたいことが分かっているみたい。
「とてもありがたいわ。立ち上げて公的な存在にしたアンソニー様に感謝をせねばと思ってるの。それでね、リアンはどうしてそれを私に教えてくれなかったの?」
私が問うと、リアンは無言で微笑んだ。誤魔化すつもりね。でもそうはさせないんだから。
「私の秘密ばかりじゃなくて、あなたの秘密も知りたいわ」
「秘密にしていたわけじゃない。言う機会がなかっただけで」
「これだけ呪いの鏡に魔力が使われていて、魔法だなんだって、本を調べまくっていたのに、どうして教えてくれなかったの? 私一人でバカみたい。あなたが魔法を使えることも知らなかった。練習したことがあるんですって?」
すると、リアンは大きく息をついて、肩を落とした。
「ずっと昔だよ。最近は何もしてなかった」
「でも、教えてくれても良かったのに」
「魔法に関しては、鏡に関わることだから、ピアニー家には教えないようにと言われていたから……」
わかるけど。それでも、少しくらいヒントは欲しかった。
「味方だと思っていたのに」
「もちろん僕はソフィアの味方だよ。でも、その……ピアニー家から拒絶されていたし、あなたに教えたらどうなるかわからないし、研究室の人もあなたに関わってはならなかった。何一つ、あなたに言ってはならなかったんだ。それが研究室を立ち上げたときの条件で」
「呪いの解除も知っていたのじゃなくて?」
「知らなかったよ。調べ尽くしたし、僕だけはピアニー家の書物を読めたから目を通したけど、わからなかった。結局のところ、書物にはなくて、鏡から聞いたのだろう? そんなことわかるはずもないし、前代未聞だ。それにあの研究室は、本当にピアニー家には関わってはいけなかった。一つとしてあなたに影響を与えてはならなかった。彼らは書物の確認もしたことがないし、鏡を調べたことだってないんだから」
私に黙っていたことを、必死で弁明してくれるリアンを見ながら、私は意外と自分が恨み深いのだと知った。本を調べ、不安で仕方なかった時も、リアンたちは影で調べてくれていたのだろう。でも私には教えてくれなかった。教えられなかったのに、私が調べ尽くして鏡に影響を与えることが、怖かったはずなのに。私はずっと見守られていたのだ。
なんでも一人でできるなんて、そんな自惚れが恥ずかしいし、悔しい。
でも私だって、何も言わなかったのだから。不安も焦燥も、全てその都度伝えていたら、違っていたかもしれない。
「それなのに……アンソニー様はどうやって……?」
「ノアがいいと言ってくれたんだ」
「ノアが?」
「当主として、あなたを助けるために、鏡の調査も許可し、彼女たちを呼んでいいと言ってくれたんだ。ノアはろくな引き継ぎもできないまま、当主になって、ずっと勉強してきた。魔法研究室との契約を見直してくれたのは、その一環だよ。本当に、目覚ましい成長をしてる。ソフィアのおかげだ。あなたの存在を励みに、頑張っていると言っていたんだ。ノアはきっと、素晴らしい当主になるだろう」
リアンが輝く笑顔で言った。とても嬉しそうな様子に、私は言葉にならない感情で胸がいっぱいになった。
ひどいわ。ちょっとからかおうと思っただけだったのに。ノアの話になるなんて、聞いてない。泣かせようとしてる? 私の涙腺が、最近、とてもゆるいことを知っているのかしら?
リアンはゆるゆると優しく微笑んで、私の目尻に溜まった水滴を、指で優しく弾いただけだった。
「私は何もしていないわ」
「いいや。あなたは前向きで強く、優しい人だ。リズにも似ていて、おじさんにも似ている。会えばきっと励みになるだろうと思っていた。そして、ノアが自分一人だけ残ってしまったと悲嘆する前に、あなたが現れて、ノアを救ったんだ。それはあなたにしかできなかった」
「それを言うなら、リアン、あなたがしてくれたことよ。鏡に願ってくれなければ、私はここにいないのだから」
「それなら、それだけが僕のした功績だよ。いつか誰かがしたのなら、僕ができてよかった」
「私は……その、今でよかったと思ってるわ。鏡の呪いも消すことができるし、あなたとも……会えたし」
「ソフィア……」
リアンが私をぎゅっと強く抱きしめ直した。
「……僕はお世辞にもいい人間ではなかった。そんな僕が誇れるのは、あなたをこの手にしていることだけだ。それに見合うように、僕もいい人間になりたいと思っているんだ」
「まぁ。あなたがいい人間でないのなら、私はなんなのかしら?」
「キラキラと美しく可愛らしい、賢く気高い女性、僕の最愛の人だよ」
そういう意味ではないのだけど……でもリアンが嬉しそうだから、否定しないでおいてあげよう。他の人からどう見えようと、リアンの目にはそう見えているのだから、それでいいわ。他人に吹聴しなければ。
私にとってのリアンだって、他の人とは違うだろうから。私もそれを、人に言いたいとは思わない。