141 大切な日々
第二十章です。
よろしくお願いします。
「……ソフィア?」
リアンがゆっくりと目を覚ました。私がその目を覗き込むと、リアンは安心したようにまた目を閉じた。
私は息を吐くと、リアンの額に手を置いた。熱はないけれど、体力が落ちているらしく、寝てばかりだ。
「どうやら、魔力疲れを起こしているだけのようですね」
オゼイユがリアンの容態を確認して言った。
「体力低下以外は問題はないようです。魔法を少し習得していたのがよかったのでしょうね。悪い影響はありません。寝ていれば治るでしょう」
そう言うと、オゼイユは励ますように私の肩に手を置いた。私たち三人は、話した後、そのままリアンのお見舞いに来たのだった。
「でも……本当に?」
「もちろんですとも。あなたという栄養剤もありますからね。キスの一つでもすれば劇的に良くなるかもしれません」
言い放ち、オゼイユは楽しそうに微笑んで部屋を出て行った。私は別に顔なんて赤くないですよ。頬が熱いこともないわ。ちらりとアンソニーを見たが、彼は言いたいことを飲み込んだような顔で、話を変えた。
「ふむ……これでは、まだしばらく執務はできないな。長期休暇が必要でしょう」
「アンソニー様……執務は大丈夫なのでしょうか?」
「当たり前です。何のためにキースを雇ったと思うのですか?」
「……私の尻拭いをするため?」
私の言葉に、アンソニーはふっと笑った。いかにも予想がついたといった風に。
「当たらずとも遠からず……と言いたいところですが、違います」
「では、なぜ?」
「家柄と信頼のいい使い道だからですよ。リアンもキースならと安心してくれますし、キースもリアンのためならと仕事に忠実だ。私はいい部下を持ったと思いますよ」
ニコニコと笑顔で話すアンソニーは要注意だ。本当に思っていることも言えるし、思ってることの正反対のことも言えるから。
私は少し腹立たしく、同じくらいにっこりと笑顔で口を開いた。
「キース様は、図らずもアンソニー様にお仕え出来て、喜んでおいででした」
「ほう?」
「最初は戸惑っておられたようですが、今ではもう、生き生きとしてらして、アンソニー様にお褒めいただいた時など、目をキラキラなさって」
「それは嬉しいね」
「それに、仕事に支障があるからと、女遊びもなさっておられないようですわ。今なら、どんな方でも喜んでお相手してくれそうに思いますのに。放蕩なさっていた時だって、おモテになってなっておりましたしね」
すると、アンソニーはピタリと私の顔の前に手を伸ばした。何事かと口をつぐむと、アンソニーはため息をついた。
「ソフィア様……、私はもう驚きはしませんが、その言い方はオゼイユの前ではやめてくださいね……」
「え? 特におかしなことは言ってないと思いますが……?」
「女性関係について言及すること自体が、貴婦人にはありえないことですよ……」
「あ、あら……」
言われて思い出した。プライベートで話すことに慣れてしまって、社交用の顔などすっかり忘れてしまっていたなんて。この私が。かつて、鬼のような特訓を受けた、それしか取り柄のない、貧乏令嬢が。
私が口ごもると、アンソニーは得意げに話し始めた。
「かつてのあなたの部屋の使い道については、トップシークレットなんですよ! もちろん、外交に使ってきたということは周知されていますよ。ですから、ピアニー家で教育された使用人が信用されるのです。バレリーニ子爵で厳選された優秀な使用人候補を教育していただきますからね。そして、それとこれとは別です」
「……もう一つの使い道を……」
「リアンに知らせるのは構いませんよ。あなたに知識があるのは彼にとって朗報かもしれません。ですが、対外的にはダメです。いいですか、”伝説の令嬢”という肩書きはですね、」
アンソニーの説教にも似たありがたいお話は、確かに面倒なものかもしれませんが、我々にとってはやはり崇高で美しいものであって欲しく、と続き、さらに続きそうだったので、私は思わず声をあげた。
「あら、リアンが!」
「え、どうしました? 容態が悪く?」
「……いいえ、気のせいでした。もしかしたらアンソニー様が知っていることをぐちぐちとおっしゃっていたかもしれませんわね」
にこりと微笑むと、アンソニーは少し不満そうに私を見た。
「それはあなたでしょう、ソフィア様」
「そんなことありませんわよ。アンソニー様のお説教はしっかりと受け止めましたとも」
「説教じゃありません。念押しです」
「同じことですわ」
「ソフィア様、私はいいですがね、」
まだ続くの? 私は戦々恐々としたが、それも寝ているリアンを確認するまでだった。リアンが身じろぎし、まぶたがぴくりと動いている。
「ほら。本当にリアンが目を覚ましそうですわ」
「それなら私は退散しよう。あなた一人の方が嬉しいでしょうからね」
「アンソニー様もご一緒の方が嬉しいのでは?」
「寝起きは思いっきりあなたに甘えることが、今のリアンには必要でしょう。オゼイユも言っておりましたし」
「あんな冗談」
「本当かもしれませんよね? なのでぜひお試しください」
「アンソニー様ったら」
「ほら、リアンが起きましたよ」
慌てて振り向くと、果たしてリアンが眉をひそめ、ううん、と唸っていた。その隙にと、アンソニーは部屋をさっさと出て行ってしまった。
「……リアン?」
今の話、聞かれたかしら。
慎重に声をかけたが、リアンはぼんやりと目を開けただけで、特に何か気にしている様子はなかった。ホッとしたのもつかの間、リアンは私を認め、嬉しそうに微笑んだ。
「ソフィア! いてくれたんだね」
「え……えぇ」
「よく寝た……少しお腹が空いたな」
「そう? なら、廊下にいるブルータスに何か持ってきてもら……えぇと、そうね、ヘンリーに持ってきてもらいましょう」
「僕の従者だからって、気を使わなくてもいいよ」
「いいえ、違うの、でも、そうね」
何だか変に意識してしまうわ。
「僕はどれくらい寝ていたのかな。そろそろ仕事に戻らないと」
「しばらくお休みしていいって、アンソニー様がおっしゃってたわ」
「本当?」
「えぇ。キース様がとっても優秀だからって。ぼやぼやしていると、側近の役目をキース様に取られてしまうかもしれないわね」
「それは困るな」
私の冗談に、リアンは軽く微笑んだ。