135 一人ではできなかったこと
「キース様とアンソニー様が待機してらしたなんて」
配慮されているのか、私自身の部屋から遠く離れた客室に通され、私はソファに座って寛いでいた。正確に言えば寛がされていた、のだけれど。
私が頬を膨らませると、ノアは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね。でも、僕はまだうまく動けないし、秘密を共有している者同士、連絡を取っていたんだ。心配だったんだよ」
「あの時、デイジーが呼びに行っていたのね」
「うん。デイジーには伝えてあったんだ。何かあったら、すぐに来るようにって」
「でも……ねぇ、じゃ、私がノアに伝える前から、鏡のことは知っていた?」
「ううん、知らなかったよ。でも、聞いてすぐに、二人に連絡したんだ。ソフィアが何をするかはわかっていたから、いつでもサポートできるようにみんなで考えた」
私はため息をついた。
何でも自分でできると思うなんて。私ったら、何て浅はかだったんだろう。考えてみればいつだって、みんなから手助けしてもらっていたのに。
今回だって、そうだ。私は、私が処理した後のことばかり考えていたけれど、そうじゃなかった。もっと最初から、相談しなきゃならなかったんだ。そうすれば、きっと、処理するまで時間をかけることなく、こんな失敗もしないでいられたかもしれないのに。
「……ごめんなさいね。そんなことまでさせてしまって。私、……反省してる」
「そんなことないよ。僕だって同じ立場なら、同じようなことをしただろうって、想像つくよ。だからこそ、僕たちは何も言えなかったんだ」
「アンソニー様にもお礼を言わなきゃ。いろいろ手を尽くしてくれたんだもの。それなのに、リアンが倒れてしまうなんて」
「想定内だよ、大丈夫。医者を呼んであったからすぐ診てもらえたし、リアンはきっと元気になる」
「ノア……」
ノアの微笑みに、私の頬を涙がこぼれ落ちた。
「ソフィアの気持ちが落ち着いたら、リアンの様子を見に行こう。キース様とアンソニー殿下がついてるから、大丈夫だよ。後で迎えに来るね」
「えぇ、……えぇ……」
私ったら、泣いてばっかり。強くならなければ。
ノアが部屋を出て行き、私がため息をつくと、おずおずと向かってくる足音がした。
「……ソフィア様」
「デイジー」
「あの……怒っておられますか」
「どうして?」
「キース様と殿下のことをお伝えしませんでした」
「そんなこと……関係ないわ。あなたは必要なことをしただけよ。怒るなんて。あなたこそ、怒っていない?」
「何をですか?」
「やっぱりリアンに言っておけばよかったのにって」
「それは……確かに思いましたけれど……でも、ソフィア様のお考えを大事にするのは当然です。お気持ちもわかりますので」
私はデイジーをそばに呼んで抱きしめた。
「心配かけたわね」
「いいえ、ソフィア様。私は……ソフィア様がご無事でよかったです。本当に、本当に」
「ありがとう」
私はデイジーを抱きしめながら、気持ちが落ち着くのを感じ、ふと部屋を見回した。
「そういえば、私の部屋はどうなってるの?」
「ソフィア様の部屋は泥棒が入ったかのように、大変乱雑にな状態になっております」
「そうなの……大丈夫かしら? ものは壊れてない?」
「えぇ、大丈夫です。ただ、……あまり気持ちの良いものではないので、誰も入っておりません。ソフィア様のご許可もないのに、お片づけはできませんし」
「わかったわ。これから確認しに行く」
「これから? まだお身体が」
「大丈夫よ! 衝撃で驚いたけど、もう元気だもの」
「お医者様に」
「平気平気。片付けはしないから。入り口からちょっと見るだけ。いいでしょ?」
「……すぐにお戻りになるなら」
「もちろん。すぐに戻るわ」
「私もご一緒いたしますよ!」
「助かるわ」
部屋を覗くと、ついさっきまで何事もなかった部屋とは思えないくらい、ものが散乱していた。
「まぁ……」
これは確かに。どこから手をつけていいかわからないわ。嵐が来たみたい。
それに、暗い部屋の中は不思議と威圧感があった。私はよく知ってる。これは鏡と話した時に感じた、古い魔法使いの存在感だ。強く優しく、主人に忠実だった魔法使いの。
目を走らせると、いつもの場所に鏡が見えた。正面ではないのでわからないけれど、割れてもおらず、曇ってもおらず、鏡の機能を果たしているように見える。
私は背筋がぞくりとした。
私、失敗してしまった? 間違えてしまったの? あの鏡の光には、何の意味もなかったのかしら。この部屋はどうしてこんなに雰囲気が悪いのかしら……
「ソフィア様?」
声をかけられ、振り向くと、キースが立っていた。
「リアンの部屋はそちらではありませんよ。寝ぼけてお間違えですか?」
「何が?」
「お見舞いにいらしたのでしょう? 先ほど、従者がお迎えに行ったのですが、すれ違いになったようですね」
デイジーを見ると、しきりに頷いていた。肯定せよの合図だ。私が勝手に自分の部屋を見に来たことが知られたら、私もデイジーもアンソニーに長ったらしい文句を言われるだろう。それは避けたい。
「えぇ、そうね、ありがとう。ぼんやりしていると自分の部屋に行ってしまうみたい」
「それだけこちらの時代に馴染んでいただけたということですね。ありがたいことです」
キースがニコニコと頷く。少しばかり罪悪感を感じながら、私は誘導するキースの後ろをついていった。
「リアンは目を覚ましたのですか?」
「まだです。でも、しばらくすれば目を覚ますでしょう、と医師が言ってしました。その時にあなた様がいらしたら、リアンも喜ぶと思いまして」
「……あなたって本当に、よく気のつく人ね。女性から人気があるのもわかるわ。あれからお相手はどうなさってます? なかなか難しいのではなくて?」
「ソフィア様?」
「はい?」
「さすがに今は、側近補佐を務めておりますので、軽率な行動はしていません。仕事も忙しいですし、できませんよ。約束を取り付けるのも、場所の確保も、見合う楽しみではなくなってしまいましたので」
「あら、そうなの」
「そうです。周囲の目も厳しくなりましたしね。あなたが殿下に私を推薦してくださってから、両親は目に見えて浮き足立っていまして……まぁ、王宮付きの騎士団に所属はしていましたが、遊んでばかりいましたのでね。放蕩息子が実力を発揮したと鼻高々です。あなたはうちでは女神のように崇められてます」
「えぇえ……」
それは予想外だわ。
「……謝ったほうがいいかしら?」
「そういったお気持ちがおありで?」
「キース様にはご迷惑をおかけしたもの。殿下に推薦したのだって、私を邪険にしたことの嫌がらせなんですから。わかっておいででしょう?」
「そりゃ……最初は何をしてくれたんだと思いましたよ。殿下なんてほとんど会ったことがありませんでしたし。適当に、どこか男子のいない長女と結婚してその家を継ぐか、生涯騎士としてそれなりに遊べればいいかと思っていただけなんですよ。それがどうして……人の情事を覗いても平気な令嬢と親友が結婚の誓いをしたり、王族の側近補佐になってあらゆる社交の場に連れて行かされたり、無謀な魔法解除が無事に終わるのをジリジリと待ったりする羽目になるんですかね」
「でも、嬉しそうでしたけど?」
どこが? と訪ねてきそうなキースの視線が、刺すようで痛い。でも今、キースは生き生きとしているし、アンソニーに褒められた時も誇らしげだったし、決して嫌ではないのでしょう? 私が対抗するように視線を返すと、キースは困ったように視線を逸らした。
「……あなたには感謝してもしきれませんね! 何としても、リアンと幸せになっていただかなくてはならないんですよ!」
そう言って、プリプリと怒りながら、キースはリアンの部屋のドアをノックした。
ドアを開けたブルータスに通され、私たちは、眠っているリアンの枕元へ向かったのだった。