134 完璧で最強で美しいなんでも願いが叶う鏡
「リアン……」
私が泣くなんて。悔しくて愛おしくて悲しくて、何が本当の気持ちなのかわからないまま泣くなんて。
「……あっていいわけがないの。私がここにいたら、魔力も時間も、おかしなことになるかもしれない。みんな未来が歪んでしまうかもしれない……」
でも根底は、いつだって怖いだけ。リアンが後悔したら、嫌いになったら、疎ましくなったら……
「でも、それでも私はあなたと一緒にいたい。間違っていても、過去の遺物でも、誰に厭われても、リアンが願ってくれるなら……ううん、あなたが願わなくても」
声が震えてしまった。気づけば体も震えている。リアンは震える私に、穏やかに微笑んだ。
「魔法の力になど、負けないでください、ソフィア。何度でも僕が呼び戻します。だから、心配しないでいいんです。僕を信じてください。鏡の魔力を消して、あなたの中の繋がっている魔力も消し去って、あなたはここで生きていくんです。僕のために、僕の隣で」
「リアンの……隣……」
「そうです。鏡の魔力は、もう必要ありませんよね? ですから、手順通りに消すだけです。僕はそばにいます。もしあなたが行ってしまうなら、僕も一緒に行きますと言いましたよね? それが僕の幸せで、あなたは気にしなくていいんです。あなたの責任ではありませんから。それを言うなら、あなたがここへ来たのも、僕の責任で、僕がその責任を取ってあなたを引き取る言ったら、あなたはそれを当然と思うのですか?」
私はかぶりを振った。
「リアンが責任を取る必要はないわ」
「そうです。それと同じです。あなたは、あなたが正しいと思ったことをする。どうしようかなんて、迷わなくていいんです」
「わ……わかったわ」
私は目をこすって涙を乾かすと、冷静さを取り戻すため何度か深呼吸をしてから、鏡に向き直った。
うん、大丈夫。
鏡は揺らめくようにキラキラとしていた。
「最後よ、鏡。私はもう、あなたへ同情しないの。あなたには消えてもらわなくちゃ。だって私はここにいたくて、あなたとはいられないから」
私はゆっくりと、伝えられた方法で鏡を法則的に撫で、幾つか言葉を唱えた。呪文のような、語りかけのような、不思議な言葉だ。
鏡が揺らめき、透けるような表面が煙のように曇り、またキラキラと揺らめいた。
私は正しいことをしていると理解していた。少なくとも、”正しいと考えている”ことを実行している。のちの人が私が間違っていたと批難するかもしれない。でも、それでも、必要なことだから。
不意に鏡がカタカタと震えた。
”……お前が迷ったままなら、未完成に終わったものを! お前のような不完全な奴が、完璧で最強で美しいこのなんでも願いが叶う鏡を、永久になくすなど! あってはならぬ!”
鏡が絶望的に叫んだ。
だが、冷静に戻った私はこれが”鏡の妨害”だと気づいていた。”鏡”そのものが考えていることでも、願っていることでもない。そもそも、人と同じようには願わないのだ、鏡は。
「あなたを作った人も、不完全だったのよ、鏡」
仕えた人に応えるために、自分の命すら削ってしまうような人なんだから。
鏡が再び、虹色にキラキラと輝き始めた。
「同じだ……僕が願いをかけた時と……」
リアンが呟いた。私はその時のことはもちろん覚えていないけど、自分で願い事をした時や、鏡と話した時、こうだった気がする。そして、リアンの願いが叶った時の、私の呪いが解けた時。
その輝きは、いつの間にか私にまとわりつき、手の先から腕の先から、鏡へこぼれていく。
どこかの文献にあった、魔力の可視化だ。わかりやすいように可視化されてる。願いを叶える時だけじゃなく、解除される時にも影響できるなんて。改めて、この鏡を作った人は、すごい人だったんだ。
気がつくと、リアンは私から遠くにいた。ハッと気がついたリアンが私に近づことしたが、はじかれてしまうようで、近くへは来ることができなかった。
「リアン、そのままで」
私が言うと、リアンはサッと青い顔になり、首を横に振った。
「いいえ。そばに行きます」
「無理よ。遮られているでしょう」
「いいえ。僕にも多少は魔法が使えます」
「嘘? 初めて聞いたわ」
「使ったことはありませんので」
「本当に使えるの?」
「多分……授業はやりましたし、文献を読んだので」
「それだけじゃ」
笑いかけた私の足がよろけた。力がなくなっていく気がするわ。それに、めまいもする。
「ソフィア! 大丈夫ですか!」
「え、えぇ……、大丈夫よ」
私がリアンに答えた時、鏡にひびが入った。……ように見えた。
実際はわからない。
破片が飛び散ったようにも見えたけれど、それも幻だったのかもしれない。
気がついたら私は爆風で宙に浮き、床に叩きつけられるように落ちていた。
「いた……あれ? いたく……ない……?」
私がごそごそと起き上がると、目を覚ますと、私はリアンに抱きかかえられた格好で、絨毯の上に転がっていた。リアンは目を閉じていて、私をぎゅっと抱え込んだままだ。
「……リアン?」
恐る恐るリアンの頬に手を伸ばした。それと同時に、私は自分の頬も触った。変わらない。年老いてもいないし、髪の長さも変わらない。色も変わらないし、服も変わってない。
「ソフィア?」
リアンが小さくつぶやいて、うっすらと目を開けた。
「生きてる? ここにいる?」
リアンの言葉に私が頷くと、リアンは私をぎゅうっとさらに強く抱きしめた。
「……よかった……」
痛いな、これは。鍛え上げているだけに、力の加減が……
「どうしましたソフィア様?!」
「ソフィア様、何かあり……」
どうしてキースがいるの? アンソニーまで?
私が目を丸くしていると、ドアを開けた二人が、同じように目を丸くしてから、サッとそっぽを向いた。その上、その場から逃げ出そうとしている。
「お邪魔しましたー」
「ちょっと、ちょっと待って! リアンが気絶してるんです!」
私がありったけの大声で呼びかけると、二人の足が止まった。
「気絶?」
「わかりません。ですが、動かない、動けない……」
アンソニーは部屋を見回し、なんとなく察したようだった。アンソニーの視線に、キースも頷いてリアンを私から引き剥がした。リアンが抵抗するように手足をばたつかせたが、じきに大人しくなって、ぐったりとした。
「どれだけソフィア様から離れたくなかったんでしょうね」
からかうような、呆れたような言葉に、私はなんだか例えようもなくホッとした。
いつものキース。いつものアンソニー。
それなら私は、きっと、いつもの私なんだわ。いつもの? そう、この時代の、いつもの私。鏡から戻ってきて、この先、鏡に戻ることのない私なのだ。
私は消えてもいなくて、戻ってもいない。私は私のまま、ここにいていいのだ。