131 今日という日
第十八章です。
よろしくお願いします。
「よし」
とうとうこの日がやってきた。
今日はこれから、鏡と最後のお別れをする。
でも、特に準備することはない。そう思うと、なんだか気合いにも欠ける。
「何を着たらいいと思う?」
私が尋ねると、デイジーは首を傾げた。
「いつものドレスではお気に召しませんか?」
「そうじゃないけど……パターンはいくつかあるじゃない? そのまま残るなら何を着ていても大丈夫そうだけど、もしかしたら身ぐるみ剥がされるかもしれないし……もしかしたら、意識だけ抜かれてしまうかも? 骸骨になるかもしれないわ。もしくは、霧散するなら、ドレスも消えてしまうか、ドレスは残るかも……」
「ソフィア様! 残る前提でお願いします」
デイジーに注意され、私は一瞬口をつぐんだ。だが、胸にしまっておくには、私の心は狭すぎる。
「だから保険よ」
「残るつもりがあるとおっしゃったから協力するんですよ!」
「でもひょっとすると、あなたとも最後かもしれないし」
「やめてください。その時は私もご一緒させていただきます」
「どうやって?」
「わかりませんけど……今から、鏡にお願いしておきます」
わかった、もう蒸し返すのはやめよう。どうやったって、この話題は私の分が悪い。
「やめてデイジー」
「だって気持ちの問題もありますから! 強い気持ちがあるだけでも違いますでしょう!」
「そのつもりはもちろんあるわ。でも何かあったら困るでしょ? ノアには人払いをしてもらってるし、リアンを止めてもらえるように言ったし、あなたには私を隣の部屋で見届けるというか、聞き届けるというか……」
「ノア様は泣いてらしたんですよ」
「……あら」
「話し合いの余地があるなら、ちゃんとここにいたいと言ってくださいね! そして、最後にリアン様と幸せになる呪いをかけてもらうんです」
最後まで、ノアは賛成してはくれなかった。当たり前なのだろうけど、やっぱり少し寂しい。けれどそれが、私の心残りにもなる。
ノアったら、よくわかってるわ。
「そうね、それがいいわ。そうなるように頑張るわね。でも……少し話させて。私の決意を鈍らせないために」
「はい」
私はデイジーに向き合うと、両肩を掴んだ。
「最初にね、私を迎えてくれた時、本当にいたんだって言ってくれたわね。嘘つきなんて、一言も言わなかった。すごく嬉しかったのよ。リアンを騙す悪い女だったかもしれないのに」
「そうは思えませんでしたわ。私、これでも人を見る目はあるんですよ。何しろ、あの部屋の管理をしていたんですもの」
「そうね、目は肥えたでしょうね。心配になってきたわ。結婚出来る?」
「その時は目を瞑るのが正しいんですよ、お嬢様。自分だって完璧ではないのに、相手に求めてはならないと学びましたから」
「あなたは賢いわね。私はダメだわ」
「ど……どこがでしょうか?!」
「目を瞑ってもらってばかりで、開けさせてないからよ」
「あら。それを言うなら、恋は盲目というものですわ」
からかうように言ったデイジーに、私は笑いながら抱きついた。
「そう言ってくれるあなたがいてくれて、本当に良かったわ。大好きよ。私は自分のために、リアンのために、ノアのためにも、ここにいたいと思うけれど、でも、それはあなたが支えてくれてるからよ。とってもお世話になったもの。これからも、私を支えてくれる?」
「もちろんですわ、ソフィア様」
「それなら私、なんとしてもここにいるわ」
「リアン様に嫉妬されてしまいますわね」
そう言うと、デイジーが微笑んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デイジーが隣の部屋へ向かい、私は一人になると、鏡に向かった。
そして、教えられた通りの方法で、鏡を丁寧に撫でた。すると、だんだんと鏡がクリアになっていき、最後には、鏡は遠くまで見通せるかのように、きらめき始めた。
だが、そこに私の顔は映らない。何も映すことのない、空虚な空間が広がっている。魔力が充満した、鏡の広い世界だ。
「今度こそ、本当にさようならよ」
私が言うと、鏡は私を懐柔するように、優しい声色を出した。
”本当に未練はないのか?”
「まだわからないでしょ。気持ちだけはここにいたいと強く願ってるわ。でも、誰も知らない魔法なのだから、憂いていても仕方ないと思ってるの。最悪と最良を思い描いて、どちらも充分に満喫したわ」
”想い合う相手を置いていけるほど、お前の気持ちは軽いものか?”
急に言われ、私は戸惑った。
「一体……何を言うの?」
先日まで素直に応じてくれたのに。
”お前は共に生きたい相手がいるだろう。その相手が、別の相手と生きても構わないのか? このまま消えても未練はないのか? それを”愛”というのだろう”
「でも……それとこれは関係ないわ」
”そうだろうか? だが、<それ>があるから、お前はここにいたいと強く望むのではないか? 逃げずに、向き合うんだ。そうでないと、失敗するかもしれないぞ”
私はムッとした。
なぜそんなことを、鏡に言われなければならないの?
私はいつだって向き合ってきたはずだ。気づかないこともあっただろうけど、それでも、私はわかろうとしてきた。私のしたいようにしたくて、でも相手の望みに添えたらとも思ってきた。
以前の生活でも。今でも。
そこで私はふと思い出した。
あの時、鏡に言われたのだ。
『必ずお前を誘惑する言葉が発せられるだろう。それに惑わされるな。ほとんどが戯言だ。お前の心の影を映し出しているだけだ』
あの時は大丈夫だと思ってた。だってわかってたから。
でも、こうして言われてしまうと急に不安になる。
”ほとんどが戯言”。……”ほとんど”って! もしかしたら、何かが正しいのかもしれないじゃないの。
”どうした?”
心配するような、あざ笑うような、不思議な声だった。心底、ここにデイジーがいて欲しい。そして私の気持ちを軌道修正して欲しい。私は鏡の魔力がなくならない限り、魔力に囚われてしまうのだ。いつか能力は破綻して、鏡だけが残ってしまう。そもそも、私にだって寿命はあるだろう。今やらずして、いつできるというのだ?
今……
「ソフィア!」
鋭い声がして、ドアが開いた。声の主は振り向かなくてもわかる。心臓が止まるほど驚いたことが顔に出てないことを祈りながら、ゆっくりと振り向いた。
「まぁ、リアン……何しに来たの?」