127 新しい決意
第十七章です。
「ソフィアお姉様、またね!」
そう言って、デボラが軽快にステップを踏むように馬車に乗り込んだ。すぐに窓から手を振ってきたので、私も笑顔で手を振り返す。
「またね、デボラ」
私が答えたと同時くらいに馬車は出発し、みるみるうちに見えなくなっていった。
デボラは勉強会で定期的に王宮へ通うことになり、今日はその帰りに寄っていってくれたのだった。
「デボラが元気そうでよかったわ。リアンも安心ね」
「えぇ、あなたのおかげです」
「私がしたのはお手紙だけよ。二人が仲良くなるのがちょっと早くなっただけ」
「ですが、その数年がとても貴重なのですよ、ソフィア。あなたがいなければ、僕とデボラはあと数年はお互いに遠慮して、溝が深くなってしまっていたかもしれません。浅いうちに気づかせてくれました。兄を失ったことをただ悲観しているだけでは始まらないと。残された者たちは、……新しい関係を築いて行けるものなのだと」
「そうね。……その通りだわ」
私は頷いて微笑んだ。ぎこちなかったかしら。でも少しホッとしてもいた。もし失敗したり、私の存在が消えてしまったとしても、リアンはきっと前を向いてくれる。そんな風に思えたから。
もしその時まで言えなかったとしても。
「ソフィア。部屋へ戻りませんか。お茶を用意してもらっています」
ニコニコと頬を緩ませ、リアンが私の手を優しく引っ張る。
「まぁ。ありがとう。リアンはいつも気がきくのね」
「あなたのためならいつだって、いくらだって気を利かせますよ、僕は。あなたがここにいる幸せを喜んでいいのか、最初は悩みましたが……それもやめました。デボラが言ってくれたんです。アーロンがいてもいなくても、いつかきっと、僕はあなたを呼び戻しただろうって」
私はおもわず笑ってしまった。
「そうね。そうかもしれないわ。あなたは小さい頃から、私のことを探していたもの」
すると、リアンは目を丸くして私を見た。
「……そんなこと」
「鏡に向かって私を呼んでいたでしょう。声は聞こえないからわからなかったけど、あなたの顔はよく知っていたのよ」
もしかしたら、鏡は知っていたのかもしれない。リアンがいつか私を見つけ出すことを。”自分の中”から、私を引っ張り出すことを。
私の言葉に、リアンは耳まで真っ赤になった。
「知って……知っていたんですか」
「ええ、あなたのことはよく。そしていつもリズが鏡にしかめっ面をして、アーロンが困ってあなたを呼びに来た。でも私を呼んでいたなんて知らなかったわ。みんな根気強かったのね。決してあなたを否定しなかった」
「否定すると、もっと意固地になるとわかっていたからでしょう。あの頃は憧れていただけで、ただ、……あなた以上に惹かれる人に会えるまではと、両親も黙認していただけです」
「たくさんいたでしょう?」
「……いいえ。いませんでした」
そう言って、リアンはうっとりと目を輝かせて微笑んだ。つられるように私も微笑んで、リアンの手を優しく握り返した。
「そういうの、刷り込みっていうのよ」
「刷り込みでも、構わないでしょう? 僕は幸せなんですから。ただ、」
「何?」
「あなたの幸せを奪っていないかと心配です」
「それはないわ。私はここにいるだけで幸せなの。リアン、あなたに会えたこともよ。もしかしたら、この二年が、今まで生きてきた中で一番幸せかもしれないくらい」
そんなことを言ったら、弟に怒られるだろうか。メアリに怒られるだろうか。
でもきっと、笑って許してくれるに違いない。
デイヴィッドは私が結婚できるかどうかいつも心配していたし、メアリは令嬢らしい贅沢ができない私を心配してくれていた。でも今、私はどちらも叶えてる。二人は私の心配は、もうしていないだろう。するとしたら、リアンの心配かもしれないわ。
私はふと思いついて、リアンに顔を向けた。
「そうだ。お願いがあるの」
「何でしょう?」
「亡くなった人たちに会いに行きたいの」
リアンはしばらく考えを逡巡させ、ようやく合点がいったように頷いた。
「それは……お墓でしょうか」
「えぇ。本当は、ずっと気になっていたの。でも、向き合う勇気がなくて。今まで避けてきたけど、ここで生きていくからには、しっかり向き合わないとならないと思って」
「そう……ですか」
「リズやアーロン、みんな……デイヴィッドのお墓もあるでしょう? ちゃんと、挨拶しなきゃね。王族は難しいかもしれないから、アンソニー様に言ってみないとならないけど」
「きっと大丈夫でしょう。アンソニーでしたら、あなたがニコラス様に会いに行っていただけるのは大歓迎ですよ」
「だといいけど」
できればアンソニーとは顔を合わせたくはないけど。鏡のことで不満そうな顔をされそうだから。
「あなたは”伝説の令嬢”ですよ。きにする必要はありません。近いうちに会いに行きましょう」
「ありがとう」
私が言うと、リアンは首を横に振った。
「ソフィア……こちらこそ、ありがとうございます」
「何が?」
「僕から離れないでいてくれて。ここにいると決めてくれて……僕はあなたを決して後悔させません。約束します」
「あなたががっかりするかもしれないわよ?」
私は茶化したが、リアンはそれでも私をぎゅっと抱きしめた。
「それなら、約束してください」
リアンが私の耳元で囁き、視線を動かすと目を閉じた横顔が見えた。
「……僕があなたのそばにいることを、許してくれると」
どうしてそんなに、リアンはいつも謙虚なんだろう。謙虚を通り越して、卑屈になりかねない。
「あなたはもっと自信を持ってちょうだい。とても素敵な人なんだから。私が相手にしてもらえてるのが不思議なくらいなのよ」
私が言っても、リアンは私をさらにぎゅっと腕の力を強めただけだった。
「あのね、私はあなたが思うよりずっと、利己的なの。鏡の中からあなたに魅了の魔法をかけたかもしれないし、あなたの言葉に便乗してあなたを誘惑しに来たかもしれないじゃない?」
「覚えていますか。僕が一目惚れしたのは肖像画であって、鏡ではありませんから」
「それを利用したかもしれないでしょう?」
「言ったはずです。それでもいいんです」
リアンの茶色い髪が私の頬をかすり、私はふと、初めて会った頃のことを思い出した。
ソファで真面目な話をしながら、私の髪を弄んで、うっとりと私を見つめていたリアン、私に会いに来たアンソニーに不機嫌になったリアン、私のお見合いに無表情に対応していたリアン。
思えば、私はずっとリアンに守られてきて、リアンに甘えてきた。
でももう、それだけではいけない。
この先のことを考えても、生きているうちにできることしておこう。
私のお墓もまだあるはず。自分のお墓まいりなんて、きっとできないだろうから。