125 鏡と侍女
鏡と話すのはやっぱり少し、不思議な感じだ。
顔もなくて、抑揚もなくて、ただ響く声というのは、いつまで経っても慣れない。
「デイジー……よくわかった?」
私は翌日、デイジーにも付き合ってもらい、リアンのいない間に鏡との会話に挑戦した。
鏡から、魔力の解除の説明を聞くのは、殺してくれと言われるようで、なんだか嫌な気分だった。
ただ、説明を聞いてわかったことは、魔力を解除するのに、そんなに手間はいらないということだった。私はまた亜空間に入っていくわけでもなく、鏡の過去を漂うわけでもなく、”願い事”を唱えるときのやり方の、逆をして、いくつかの呪文を唱えるだけ。生贄も犠牲も必要がない。
「えぇ、聞きましたけれど……私が聞いたところで、意味はありませんよ」
「でも私が失敗したら、やってもらうことになるかもしれないし」
「失敗したら、再挑戦できないのですか?」
「え? あぁ、私が消えるだけ消えたりして、ってことよ」
「ソフィア様……」
「ごめんなさい」
それにしても。
「……私が鏡の中にいる間に、実行されていたら、どうなっていたかしら?」
「それは……ありえませんわ、ソフィア様。あなたを失うかもしれないなんて、そんな危険なことはいたしませんとも。ソフィア様の存在なくして、今のピアニー家はない、そう教えられてきているんですよ。家訓をなくしてしまうようなものです。ご安心ください」
「重いわね」
「そんなことありませんわ」
デイジーが笑う。
「実行なさるのですか?」
「そうね……しないとならないわね。鏡に頼まれてしまったし」
私が淡々と言うと、デイジーはためらいがちに私の手を握った。
「もう少し待って、……どうしたらいいか、探すことはできないのですか? 確実にソフィア様が残れるように、できる方法があると思うんです。ウルソン王子の国で研究していただいたって、構わないじゃないですか。ソフィア様が必ず……ここにいるのなら。帰ってきてくださるのなら。私たち、いくらだってお待ちしますわ」
「でもね、デイジー。あの鏡はね、本当に”なんでも叶う”のよ。司書さんが『ソフィアが死ね』と願えば、私は死んでいたでしょう。消えてしまえと願ったから、どこかへ行ってしまって、……そこで自分たちを羨ましがって見ていればいい、そう願ったから、私はここにいるの。細かく願えてるでしょう。国を滅ぼせとも願えるし、もしかしたら、永遠の命だって願える。誰かが悪用するかもしれないでしょう?」
「ソフィア様」
「使えることが知られてしまったら、必ず誰かが欲しくなる。研究対象で秘匿するにしては、あの鏡は有名になりすぎたの。私も原因だけど……それはともかく……あの鏡を他の国に知られるわけにはいかない。魔力の鑑定もされたら困る。その前に……消さないと」
「ご自分の命をかけなくても」
「もう充分よ。百年以上、生きてるのよ」
「違います。まだ十八年です。ここでは二年です」
デイジーは強く、私を説得するように私の目を見た。私はにっこりと微笑んだ。大丈夫。
「ノアに言わなくちゃ」
「私、ソフィア様に初めてお会いしたときのこと、まだ昨日のように覚えております。ソフィア様はリアン様のお隣で、とても緊張なさってて、でもリアン様を見て安心なさって、……お優しい笑顔で、私たちにご挨拶いただいたんです。お二人が幸せになるというのに、すぐにそれがなくなってしまうかもしれないなんて」
「まだ決まったわけじゃないわ」
「でも……お二人は必ず幸せにならなきゃなりません! リアン様が、どれだけあの肖像画に惹かれていたのか、知らないでしょう? お会いできるまで、十年以上、お待ちしていたんですよ」
「デイジー、泣かないで」
「だって、だって……」
「きっと、大丈夫よ。私は鏡の一部だったけど、それは解消されたんだもの」
泣きじゃくるデイジーの肩に手を置いて、私は思わず呟いた。
「もしかしたら、リアンが私を好きだと思ったこと自体、鏡の呪いかもしれないわ」
「まぁ」
「鏡がなくなったら、リアンは私のことなんて、どうでもよくなるかもしれないでしょ」
「そんなこと」
「だから、正式に婚約する前に、全て終わらせたい。気持ちに魔法はいらない。もしリアンの気持ちが残るなら、それが一番いいことでしょう?」
「うう……ソフィア様を閉じ込めた司書が憎い……でもそうしなかったら、今の私もソフィア様もいなかった。私はどうすれば?」
「ごめんね、辛い思いをさせて。何かあった時、もし私の記憶があなたたちに残っているなら、私がみんなを大好きだったと伝えてちょうだい」
私が消えた瞬間に、私はいなかったことになるかもしれない。そうしたら、それならそのほうがいい。あえてその話をする必要もない。
「ノアのところへ行ってくるわね」
私がそっとデイジーから離れ、ドアに向かうと、デイジーは涙をこらえながら私に訴えた。
「本当に、リアン様にはおっしゃらないのですか」
「……どう言っていいか、わからないの」
リアンが私を失いたくないのはわかる。でも私はそれ以上にリアンを失いたくない。消えてなくなるならその日まで。いつもと変わらずに愛して欲しい。
でもそれはきっと、ただのわがままだ。