12 翌朝
翌朝、多少不愉快な気分で目が覚めた。
久しぶりの朝だ。
すぐに起きて着替えると、早速お腹がすいてきてしまった。召使いたちはいないから、自分で作るしかない。
リアンはどうするつもりだったのかしら。おそらく完全にノープランだったに違いない。だって私が本当に出てくるとは思ってなかったのだから。
私は屋敷を探検しながら厨房へ向かった。小さなものから姿見まで、鏡をいたるところに配置してくれたのは、デイヴィッドの考えだったのだろう。こちらのことはわからないとはいえ、私が鏡を移動できることは知っていたのだ。きっと私が退屈しないように。
食料庫には保存食がまだ残っていた。おそらく、誰かが時々見に来ているんだろう。いつでも帰ってきていつでもすぐにご飯を作れるように。ベーコンとソーセージが結構ある。外をちらりと覗くと、やっぱりあった、ちょっとした菜園が。私はそこから野菜を取り、厨房へ向かった。
ベーコンを焼いて、サラダを作っていると、リアンが私を探してやってきた。
「ソフィア! こんなところで何をしているんですか」
リアンの焦ったようなきつい声に、私は不満を覚えながら肩をすくめた。
「何って、ご飯の支度よ。お腹空いたでしょう?」
「街に食べに・・・ソフィア、心配したんですよ。お迎えにあがりますと申し上げたはずです!」
「・・・そういえばそうだったわね」
忘れてた。私が視線を泳がせると、リアンはため息をつき、乱れた髪をかきあげた。無造作な様子が、何だかとても色っぽい。
「本当に、・・・やめてください」
か細い声で言いながら、私をジロリと睨む。そして、ふと真顔になった。
「そのドレス、・・・着ていただけてるんですね」
「え? これ? それはそうでしょう。どう? 似合う? 少し大きいけど、ゆったりと着られて、概ね満足な着心地よ」
淡いブルーと白の細い縦ストライプは、遠目から見ると、ごく薄いブルーにしか見えず、おそらく白の部分が映えるのかとても艶のある生地に見えた。ご飯を作る上で長袖はまくってしまっているし、そこらへんにあったエプロンをかけていたので、おそらくスカートがよく見えなかったのだろう。
私はくるりと回って、思った以上にロマンチックに広がるスカートを見せた。
「スカート、すごく広がって素敵だと思わない?」
「・・・ええ、」
リアンはぽかんと口を開けて惚けている。
「どうしたの?」
「いいえ、・・・お美しいなと、思いまして」
「ね、シンプルなのにエレガント。ご当主夫妻は良い趣味をお持ちで」
私が嬉々として頷くと、リアンは首を振った。
「そうじゃないです。ソフィアですよ」
「私?」
「良くお似合いです。瞳の色と同じ・・・綺麗な輝くパールブルーですね。金色の髪がドレスにかかってとても美しいです」
言いながら、リアンは私に近づき、私の頬にそっと手を触れた。そして、その茶色い艶がかった目で、私の目を覗き込む。
「本当に・・・素敵だ」
なんだろう。瞳の色フェチなのか。うっとりと細められた目が、私の目を食べそうで怖い。そういう趣味があるのだろうか? 魚の目は食べてもいいけど、美味しくなかったはず。人の目だって、美味しいとは思えない。
その時、私のお腹がぐるる、と鳴った。
「あっ」
私が叫んだと同時に、リアンが電光石火のごとく飛び跳ねるようにして私から離れた。
肩で息をして、心臓に手を当てている。どれだけびっくりしたんだ。お嬢様は腹の虫がならないとでも思っているのだろうか。
「お腹空いたのよ」
私が言うと、リアンは眠気を覚ますように頭を振って、息を整えた。
「すぐに出ようと思って、早くから外に馬車を待たせてあったんです」
「まぁ。それは・・・ありがたいけど、仕方ないわ。いいじゃない。待たせておきましょう。ご飯を食べて、散歩に出ればいいわ」
「あなたって人は・・・」
「ご飯くらい作れるのよ。召使いとして雇ってくれる?」
「とんでもない。あなたはここの正式な跡取りになるかもしれないんですよ。そんな方を召使いにするわけにはいきません」
「でもなぁ・・・別にそういうのはいいのに。王妃にだってなりたかったわけでもないし。大体、ニコラスはわかりにくいのよ。なんで私がわかると思ったのかしら?」
「なんの話です?」
「私は承諾したつもりはないけど、二人が勝手に盛り上がってたって言ったでしょう。ニコラスが私と結婚するつもりだったって。あの原因がわかったの。私、正式ではないけど、ニコラスにプロポーズされていたんだわ」
「はぁ・・・?」
なんだかわからない、といった顔のリアンに、私はひとまず、近くの使用人部屋らしきところへリアンを連れて行くと、席を勧め、腰を落ち着けさせた。そして、食事を持って行き、食べながらでいいからと私のわけのわからない思い出を説明したのだった。
・・・・・
「なんでデイヴィッドったら、自分で言ったこと忘れちゃったのかしら?」
私がぐちぐちと言い募ると、リアンはしばらく考えて、口を開いた。
「それは、ソフィアの記憶を一時無くしたことに関係してるんじゃないでしょうか。デイヴィッド様のあの日記は、おそらく、ニコラス様の記憶が混じっているということでしょう」
「ニコラスの?」
「”姉はたおやかで美しく、聡明で優雅だった。しとやかさは人一倍で、ニコラスにいつでも優しい笑顔を向けていた。その二人の仲を引き裂いたのは、私が早計に渡してしまったあの鏡なのだった。”」
「なにそれ」
「日記の一部です」
「信じてるの?」
というか、覚えてるの? 私が気持ち悪そうにリアンを見ると、リアンはそれを吹き飛ばすように明るく笑った。
「眉唾だとは思っていました。美化することはまヽありますから。でも、半分くらいは当たっているんじゃないでしょうか。所作は美しくてしとやかな淑女そのものですし、見目は麗しいですしね」
「半分も当たってないと思うわよ? だいたい、ニコラスに優しい笑顔って、当たり前じゃないの。デイヴィッドと同じだったんだもの。可愛いなと思えば、笑顔は優しくなるものでしょう?」
「そうかもしれませんが・・・弟、なんですね、ニコラス様が」
「私にとっては。つまり、デイヴィッドは、取り戻した記憶とニコラスから見た私の像がごっちゃになって、理想化した姉を作り出したのね。だからこんなに伝説的で、大事にされてるんだわ」
「その頃は、ご両親もいらっしゃらなかったでしょうし。・・・ニコラス様は、ソフィアの事を生涯忘れなかったそうですよ」
「言い伝え? まぁ、そうなのかもねぇ・・・こんなに理想化した女性なら、きっと忘れられないでしょうよ。これは私じゃないけど」
「怒っていますか」
「ううん。少しは腹立たしいけれど、どうにもならないことだし、過ぎたことだし・・・今いる私自身とは、もう関係のないことだから」
それと同時に、わかったことがある。
あの私の心に引っ掛かりもしなかったニコラスのプロポーズを、聞いていた者は何人もいたのだった。私以外の人間であれば、それが何であるか分かる。とすれば、私を排除したいと思っても当然だ。なるほど。どうせ断るだろうから、この人はどうにもしなくても良かったのに。
ニコラスやデイヴィッドがどう思っていたかなんて、もうどうでもいい。けれど。
「礼を言うわ、リアン。ありがとう。意図したことじゃないと思うけど、手の甲にキスしてくれたおかげで、思い出すことができたんだもの。・・・まぁ、少し、腹立たしいけど」
「お気に召したようですね」
「そうね。鏡の中から、今時は頬にキスしているのを見ていたから、私が驚かないように古風なやり方でやってくれたんだなぁって、ありがたく思うわ」
「古風ですか」
「そうでしょ? まぁ、しないことはないと思うけど」
「・・・昔と今では、意味が違うんですよ」
「え、そうなの? どういう意味があるの?」
「知りたいですか」
「そりゃもちろん! ニコラスの時みたいに、失敗したくないもの」
「”あなたに忠誠を誓う”という意味です」
「は?」
「僕はあなたを呼び戻したのですから、あなたが幸せに暮らせるよう、手を尽くす義務があると思いまして。ですから、」
「忠誠なんて、軽く使っていいの? 今時、流行らないわよ」
「あなたは今の人ではありませんし、僕は流行に左右されたくありません」
「まぁ。生意気」
私が笑うと、リアンも笑った。