117 告白の行方
「あー……僕の目がおかしくなったのかな、ブルータス? 新しいメイド? ソフィアによく似て、……似過ぎてやしないか?」
「私にはわかりかねます、リアン様。ご自分でお確かめください」
「ちょ……」
勝手な。私が本当に新入りのメイドだったらどうするつもりだ。リアンはとんでもない好色男になってしまうわよ? 私が思わず振り返ると、リアンが私を背後からギュッと抱き寄せた。
「おはようございます、ソフィア」
リアンは言いながら、私の顔を自分に向けた。そして、顔にかかる髪を耳にかけてくれる。
「リ、リアン?」
「やっぱり、本物だ……」
言われて、私はムッとして身をよじった。メイドか私かわからないのに、抱きしめて確認するなんてどういうことよ。
「本当にメイドだったらどうするつもりだったの?」
すると、リアンはふっと笑った。
「ブルータスはですね、メイドだったらメイドだって言ってくれますので」
なんてこと。からかったのね、私を。
私はブルータスを睨んだ。
ひどいわ、いつもよくしてあげて……たのかしら、迷惑ばかりかけていたような気がしないでもない。
とにかく、ブルータスは動じず、素知らぬ顔でリアンのジャケットの埃を払っていた。そのジャケット、窓から投げ捨ててやりたい。でも多分、すごくいい生地でいい縫製なんでしょうね。ここから見てもよくわかるもの。そんないいものを貧乏症の私が投げられるはずがない。
……そもそもリアンをからかおうと思ったのは私だ。
「じゃ、最初からわかってたってこと? つまらないわ、せっかく黙っていたのに」
私が諦めてリアンに視線を戻すと、リアンは私の頬をくすぐって、軽く笑った。寝起きはちょっとだけ、意地悪なのかもしれない。それとも私が先に驚かせたから? ……きっとそっちね。私の自業自得なんだわ。
「一瞬、本当にわかりませんでしたが、そもそも、メイドは僕のところには来ません。禁止しているんです」
「……禁止?」
「年頃になった時は、いろいろありましたので」
不思議なくらい笑顔だ。言っている表情と、言葉の意味が全く噛み合っていないけれど、公爵家次男だし、寝室だし、私にだって意味はわかる。何しろ、ほらね、自分の部屋が情事に使われていたわけだから。
「そうなの。……ならいいけど」
渋々頷いた私に、リアンは不思議そうに首を傾げた。
「……もしかして、怒っていますか?」
「当たり前でしょ」
誰にでも簡単に手を出す人なのかと思ったわ。違ってよかったけど。私がふくれっつらをしていると、リアンは私の顎をすっと指で引っ掛けて、自分の正面に据えた。そして、顔を近づけながら囁いた。
「ソフィア……愛しています」
急に何を?!
私は驚いて、驚きすぎて、思わず足を滑らせてしまった。床に転がってしまったけれど、おかげでリアンの腕からするりと抜けることができた。
「だ……大丈夫ですか、ソフィア?」
リアンが慌ててベッドから降りたが、私は極めて落ち着いて立ち上がると、リアンをじっと見た。
「足を捻ったりなんか……?」
「してないわ。ありがとう、リアン……」
ただ心配そうに私に怪我がないか確認しているのを見ていると、動揺した私が馬鹿みたいだ。
どうも、いつもと調子が違うわ。
私はため息をついて頭を下げた。
「朝のご挨拶には参りました。ですから……朝食でお会いしましょ、リアン」
返事を待たず、私は慌てて部屋から飛び出した。追いかけてくるデイジーが殊の外嬉しそうだ。きっと言いふらすに違いない。
でもそれも仕方ない。あれが毎朝繰り広げられるのなら、私は慣れなければならないんだから。
でもなんで急にこんなに動揺してるんだろう?
もしかしたら、鏡の呪いがなくなったからなのかもしれない。私は鏡の一部だったから、感情が薄くなってしまった可能性はある。まだ若干、繋がりはあるけれど……
私は自分の手のひらをじっと見た。
考えてみればリアンを好きにならなかったのもおかしな話だ。確かに恋愛には疎かったし、擦れてしまったけれど、楽しいとか嬉しいとか悲しとか、感情は全部あったんだから。
とにかく、リアンも私も、ひどく面倒な状態になっていたのは確かだ。
「ソフィア!」
慌ただしい足音がして振り返ると、最低限に身支度を整えたリアンが、追いかけてきていた。
「怒っていますか? 許可なくあなたに触れたりなどして」
そこ? 触れるのは構わないし、むしろ今更な気がする。怒るなら、出会ったその日に私は怒っているはずだ。でも急に愛の告白されたら驚くでしょ? 朝から何でって思うじゃない? 驚かないの? 今度やってみたほうがいいのかしら……
考えて、そのハードルの高さに無理無理無理、と私が頭を振っているうちに、リアンは謝罪を進めていた。
「申し訳ありません。少しはしゃぎ過ぎてしまったようです。寝ぼけていたなどと言い訳していては、あなたに信用してもらえないでしょうから……その……会えて嬉しくて、確かめたくなってしまったのです。夢か幻かわかりませんし。あまりに会いたくて、メイドの顔があなたに見えたのなら、ブルータスは殴ってでも止めてくれるはずですから」
なるほど。信頼の厚い従者でよかったですこと。間違いを訂正するタイミングをなくしてしまった私に、リアンは少し、拗ねたように口を尖らせた。
「それに、メイドのふりをするなど、ずるいです」
「何がずるいの?」
「以前、おっしゃったでしょう。僕のメイドになってもいいと」
「言ったけど……」
「今でも思っておりますか?」
「そうね……」
なんだかんだ、それも楽しそうだ。でも身分を考えたら、公爵家の跡取りがメイドと結婚なんて、ちょっともめそうだから、やめておいたほうがよさそう。
「言われた時、僕はあなたが僕専属のメイドになるのなら、それでもいいと思ったんです。あの時は、あなたを独占したくて、でもできなくて、ひどく辛かったものですから。……あなたを閉じ込めて、ずっと僕の世話をしてもらえたらいいのに、と思ってしまいました」
それはかなりの独占欲ね?
私が首をかしげると、リアンはふふふと笑った。
「今でも変わっていませんよ。だから、あなたがメイドのふりをした時は、僕は自分の願望が形になってしまったのかと思って……その……嬉しくてたまらなかったんですよ、僕専属のあなたなんて!」
どうやら、リアンは頭のネジがおかしくなってしまったらしい。思ったことを何でも口にしてしまうようになってしまった。さすがのデイジーもちょっと引いた様子でこっちを見ているし。結婚するって言ってるのに、あえてメイドにして閉じ込める必要はないわよね? でももっとおかしいのは、そんなリアンを可愛いと思ってしまっている私だ。
私の戸惑いを知ってか知らずか、リアンは目をキラキラさせて私に目を向けた。
「でもそれ以上に、あなたの意思を尊重したいんです。僕自身の気持ちより、あなたを優先したい。そう思えるのは、あなただけです」
リアンの声がうっとりと響いた。なんだかすごく腹立たしいわ。どうしてこんなに違って聞こえるんだろう? リアンも私も、何も変わっていないのに?
「メイドにはならないわ。だから、あなたも私をメイドにして閉じ込めようなんて、思わないでくれる?」
私が言うと、リアンはうなずいて、嬉しそうに言った。
「もちろんです。あなたは僕の妻になるんです。いいですか、僕はあなたの夫になるんですよ!」
リアンが私の手をとって、満足そうに引き寄せた。
困ったわ。毎朝こんなだったら、どうしよう。このテンションについていける自信がない。
早々に挫けそうな私を察してか、ブルータスが私たちを追い越し、食堂のドアを開けて軽快に告げた。
「リアン様は毎朝を楽しみにしてらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします、ソフィア様」