116 朝の挨拶
いつもより少し早起きをすると、デイジーはすでに私の身支度の準備を終えていた。
昨日は朝からリアンが部屋に来て再プロポーズの話をしてきたり、ノアがそれに喜んで傷を痛めたり、どうも慌ただしい一日だった。今日はゆっくりしたい。
「おはよう……早いのね?」
「当然ですわ、ソフィア様! 楽しみで仕方ないんです!」
「……何が?」
聞かなくてもわかるけど、でも一応、聞いておこう。朝食がいつもより豪華だとか、そういうことかもしれないし。
「もちろん、ソフィア様がリアン様を起こしにいくからです!」
そうだと思った。想像と違わなくて逆にありがたいくらい。私は息をついてベッドから出ると、温かいタオルを渡してくれるデイジーをちらりと見た。
「面白いことなんてきっとないわよ」
「まぁ。私たちはお二人が仲良くしているところを見たいだけです」
「……仲が悪かったことなんて、ないじゃない」
「”より”仲の良いところです、ソフィア様!」
いつになくはしゃいだ様子のデイジーは、ちょっと張り切りすぎのように見える。私は若干、引き気味にその様子を見ながら、心配してくれていたのだから、それくらいは当然かと考え直した。
デイジーには昨日、呪いが解けた経緯を、一昨日のリアンとの会話を含め、できるだけ話した。涙を流して喜んでくれたのを見たら、まだ状況に追いつけていなかったけれど、逆に冷静になれた気がする。
「ありがとう、見守っていてくれて」
着替えを手伝ってもらっている間、思い出したように私が言うと、デイジーはきょとんとして首を傾げた。
「今日のお洋服はいつもと変わりませんよ。もっとお手伝いしていたでしょうか?」
「違うわ。鏡のこと。突然現れた私のことも、私がかかっていた呪いのことも、デイジーはいつも受け入れて見守ってくれたでしょう? リアンのことも。みんな知っていたのに、黙ってくれていたわね。気づかなかったけれど、それが、すごくありがたいことだったなぁって思ったの。特にあなたは、一番そばで助けてくれたもの。本当に感謝してる。呪いが解けたのは、あなたたちのおかげよ」
「いいえ。全てはリアン様の強い愛のおかげです、ソフィア様。私たちがお手伝いできることは、本当に少なかったのですから」
最後のボタンを留めてくれたデイジーが、にっこりと微笑んだ。
「それに私はソフィア様の侍女なのですから。ソフィア様の幸せを一番に願っていると、自負しております」
「いつまで持つかしら。知ってるのよ、みんな、私よりリアンの方が好きなんだから」
「ソフィア様は意地悪ですわね。馴染みのなかった最初はそうだったかもしれません。でも、今では同じくらい好きですわ。だってソフィア様と一緒にいるときの、リアン様のお顔ったら、本当に素敵なんですよ!」
それは結局、リアンが好きということなのでは? 私は反論したかったが、諦めた。どのみち、私が好感度でリアンに勝てるとは思えない。リアンは顔もいいし頭もいいし性格もいい。なんで私を好きなのか、よくわからないくらい。私は打算的で古臭くてあまり純真な心を持ち合わせていない。
「……もういいわ。約束したのだから、リアンを起こしに行くことにする」
「承知いたしました。リアン様もお喜びになられますわね。今日は、リアン様のお好きなブルーのストライプのワンピースにいたしましたのよ」
ニコニコとありがたい説明をしてくれたデイジーを従えて、私はリアンの部屋に向かった。
ドアの前に差し掛かったところで、ブルータスがちょうどドアを叩いているところに出会った。
「おはようございます。ブルータスです、リアン様。失礼いたしま……す」
私を視界に入れたブルータスは、一瞬戸惑ったが、恭しく私に頭を下げた。私はにっこりと微笑んで、人差し指を立てて、シィ、と微笑んだ。意図をくみ取ったらしいブルータスは、そのままドアを開け、私を先に部屋へ入れてくれた。
「……ブルータスか?」
リアンのくぐもった声が聞こえ、ベッドが軋む音がした。前は気づかなかったけれど、意外とこの部屋は殺風景だ。特に、ベッドカバーはもう少し明るい色でもいいんじゃないだろうか。そんなことを思いながら目を向けると、リアンは目を閉じたまま、ゆっくりと起き上がったところだった。
「もう朝か」
「リアン様、あまりよく眠れなかったご様子ですが」
ブルータスがカチャカチャと音を立てて準備をしながら声をかけた。おそらく私の気配を気づかせないため、わざと音を立てているのだろう。私は共犯者の援護を面白がりながら、リアンに近づいた。
「うーん……嬉しくて眠れなかったからな……」
「確かにおはしゃぎのご様子でした。お酒も飲まれておいででしたね」
「あれはアンソニーが悪いんだ。仕事に行ったら、すぐにバレて……なんでだろうな? でもとにかく、アンソニーが酒でも飲みながら話したいと言ったから……帰ってくるのも遅れて、ソフィアとゆっくり話すこともできなかった」
「そうでございますか。私どももリアン様がお幸せそうで何よりだと思っております」
言いながら、ブルータスは温かいタオルを私に手渡した。私は頷いて受け取り、リアンに差し出した。リアンは目をこすりながら、差し出されたタオルをなんの違和感もないように受け取った。
「しかし昨晩のソフィアは可愛らしかったなぁ……覚えているか、ブルータス? 僕の帰りを待っててくれて、おかえりって言ってくれた時の顔を? それに、思わず僕がキスをしたら、頬を赤らめてくれたんだよ。今までまるで気にしたことがなかったのに。何か困るような振る舞いをしただろうか? いつもと同じだったよな?」
「ええ、いつも通りでした」
ブルータスが間髪を入れずに答えた。そして、その場から逃げそうになった私に、リアンのシャツを渡してきた。
この状況で? ドアを叩くところからやり直しちゃダメ?
思わず訴えるようにデイジーを見ると、にっこりと微笑まれた。そうですね。いたずらしようとした私がいけませんでした。こんな恥ずかしいことになるのなら、リアンを叩き起こした方がマシだった。この顔の火照りはリアンが私を認める前に治まるだろうか……
「僕は本当に幸せだ。絶対に叶わないと思ったのに、ソフィアはどうして僕なんかでいいと言ってくれたんだろう? 夢じゃないよな? 今日から毎朝、ソフィアが来てくれると言っていたから、ちゃんと身支度しないと。朝食前に会えるなんて、何て嬉しいんだろうな。仕事に行きたくなくなってしまいそうだ……」
言いながら顔を上げたリアンの言葉が止まった。
「……ソ」
ええい。
「おはようございます、ワグレイト公爵の若旦那様。お着替えはこちらでよろしいでしょうか?」
私は無理やり笑顔を作って、シャツを前に差し出した。リアンはそのシャツと私を比べて眺め、手を頭に当てた。