115 新しい朝
第十五章です。
翌日の朝、目覚めてすぐ、リアンは私の元へやってきた。そして着替えたばかりの私の前で、深々と頭を下げたのだった。
「え、何、どうしたの?」
私が尋ねると、リアンは跪いて頭を上げた。
「昨晩は失礼いたしました。よ……よろしければ、なかったことにしていただきたく」
「えっ」
私が叫ぶと、リアンは一瞬、虚をつかれたように言葉を失い、すぐに我に返って話を続けた。
「そして改めて、結婚の申し込みをしたいのです。断っていただいても構いません。酔った勢いで迫るなど、紳士のすることではありません。ですから」
「断るわけないでしょう……」
私が戸惑っているうちに、ノアがやってきて、ギョッとしてリアンに話しかけた。
「おは……、どうしたの? 昨日、僕が席を外してから、何かあったの?」
「何もないわ、ノア」
言ってから、そうではなかったと気がついた。
「違ったわ。何もなくなかったんだった」
「何があったの?」
心配そうに振り向くノアに、私は何から話していいのか考えあぐねた。
待てよ、リアンが酔っ払った話か、プロポーズの話か、それを受けた話か、鏡の呪いが解けた話……は無理で……
「つまりね、私、リアンと結婚するの」
すると、ノアは目を丸くして、私にぴょこんと軽く抱きついた。嬉しそうだ。
「ほっ……ほんとに?! やったぁ!」
「えぇ。そうよね、リアン」
だが、リアンはぽかんと口を開けていた。
「リアン?」
「だ! ダメです! もう一度僕が正気な時に申し込んで」
「記憶がないわけじゃないでしょう? それに私は二言はありませんと言いました。私を望んでくれるのなら、私は生涯、あなたを愛すると誓いましたわ。もう一度、私に言わせるおつもりですか?」
割と恥ずかしいセリフなんですけど。
すると、部屋にいた侍女や廊下にいたメイド達が、キャーと叫び騒ぎ始めた。
「……みんなブルータスやヘンリーから聞いているのではないの?」
「教えて下さらなかったんですよ! ひどいです!」
「リアン様が、朝になったら大々的に報告くださると思って……その時が初めての方がいいかと……」
どちらでも構わないけれど、涙ぐむリアンをどうにかしてほしい。
「良かったかしら、リアン? 私、鏡の魔力のせいで、長生きし過ぎるかもしれないし、歳をとらないかもしれないわよ。子供だってできないかもしれないし、迷惑かけるかもしれないわ」
「問題ありません。全てのことは、僕が解決します。もちろん一緒に歳を重ねたいと思いますが、そもそも諦めていたことです。今、目の前にいて、そのあなたが僕の気持ちに応えて下さったことが、既に奇跡で、何ものにも代えがたい出来事です。僕が生きる限り、あなたをお守りします。……えぇ、必ず」
言いながら、リアンは私の手にキスをした。
私が先にいなくなっても? 鏡の魔力をなくした時に、消えてしまっても?
反応が怖くて、私はリアンに言えなかった。私がリアンよりずっと長生きするならいい。そうなればいい。でも、全くわからないのだ。
呪いから解き放たれて、私は変わったのかしら? 何か違うのかしら? 考えたけれど、目覚めは昨日と変わらなかったし、お腹は空いていた。
とにかく、生涯共に生きることが望みなら、それを叶えるしかない。それに私は、リアンが素敵に見えて仕方なかった。私に頭を下げたリアンも、手にキスをしたリアンも、いつもより、なんだか特別に見えた。
私はそんな自分に戸惑っていた。
「えぇと……その……私……でも、具体的に何をどうしたらいいか、わからないのよ」
何しろ、ずっと鏡のいいなりになっていた気がしたので。でもリアンは私が選んだ、はず。嫌なら、私はたとえ死ぬことになっても断っていただろうから。
「僕を生涯愛すると言ってくださっただけで満足です。もちろん、僕に同情しているわけではないことはわかっていますが、僕がそれに値しないことも知っています。実際に心から愛して頂けるよう、今までよりずっと精進するつもりです」
「うん……?」
何だって? 私は信じられていないの? それとも信じられてる?
リアンが張り切ったように言葉を続けた。
「仕事のできない男はお嫌いですよね? ですから仕事も成果をあげたいと思いますし、あなたを今までよりずっと大切にするつもりです。毎朝、朝食前にお迎えに行っても? 毎日、贈り物をしてもよろしいですか? そんなことだけで僕の愛が全て伝わるとも思っていませんし、気が引けるとも思っていませんが」
「あの……」
私だって頑張るつもりよ? でも今、リアンが何を言ってるのかちょっとわからない。
私の対応能力のなさに、デイジーが背後で少し呆れたように息をついたのがわかった。相変わらずリアンに同情的だ。やっぱりみんな、リアンの方が好きなんだから。
私は急いで考えを巡らせ、検討した。そして、朝のお迎えは厳しいものだと結論付けた。寝起きの顔とか、まだ見られたいと思えない。
「朝は……えぇと……私がお迎えに行っても? それで、そうね……贈り物は……そんなにいらないわ。だって、今までたくさんもらってるし……ほら、リアンに会えるのがプレゼントみたいなものだから? 会えるだけで嬉しいわ」
よし、これでどうだ。私が言うと、リアンは感極まったように私の頬にキスをして抱きしめてくれた。
「あぁ、ソフィア……」
使用人達も嬉しそうにしているし、これで正解らしい。
そこで私はハッと気がついた。
断っても! 大丈夫!
リアンが何をして欲しくないのか、考えなくても大丈夫!
何をしたらいいのかわからなくても、リアンが喜ぶことを当てなくてもいいんだわ!
全力で飛び跳ねそうになり、リアンが私の手を握っていることを思い出した。残念。私はリアンが部屋を出て行くまで、飛び跳ねて喜びたいのを我慢しなければならない。
あぁ、でも、これで素直にリアンの顔を見ることができる。
私は満面の笑みをリアンに向けながら、リアンの背中をぽんぽんと叩いた。
私がリアンにしてあげたいことをすればいい。そして、私が一緒にしたいことを。もちろん、リアンが私と一緒にしたいことを。