114 叶えたいこと
私はウルソン王子と話していた時の状況を思い出していた。
あのときのキースの視線が、多分物語ってるんだわ。私の態度だ。私にとって、リアンに作ってもらったドレスを褒められることが、どんなに嬉しいか、……キースは知っていたのだ。
私、なんて鈍いのかしら……
「キース様に聞いてみるといいわ。きっと答えてくれるでしょうから」
私が言うと、リアンは不服そうにしながら、頭を抑えた。まだぐらぐらするらしい。
「……キースに嫉妬するなんて、バカだと思いますか」
「え? いいえ? でも、よくわからないわ」
「仲がいいではないですか。友情だと知ってますよ、わかってます、ええ。でも、部屋の相談を受けたり、あなたの様子を僕より知っていたり……羨ましいです」
キースが聞いたら、憤慨するだろう。私の言動にヒヤヒヤして青い顔をする場面ばかり見てるから、あまり羨ましいとは思えないし、本人だって自慢にも思わないだろう。むしろ、イヤなんじゃないかしら。
それなのに、羨ましいだなんて。
私は思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんです」
「なぜウルソン王子が、わざわざあなたに会いに行ったと思うの? 私があなたの話題を口にしたくらいで。……それに、どうしてモテモテのリドリー様が、あなたにそんなことを伝えたと思うの? ふられたなんて、かっこ悪いと思わない?」
「……なぜ、……でしょう?」
リアンは初めてそれに疑問を抱いたようで、頭を押さえながら不思議そうに私を見た。
リアンだって、全然わからないんじゃないの。鈍いなんて、私を責める筋合いはないはずだわ。
「それはね、リアンが私にとって特別だからよ。あなたはね、親しかった友人に似ていて、全く似ていなくて、弟みたいで、兄みたいで、でも他人で……一緒にいない時は思い出すだけで幸せになって、嫌われたくなくて、そばにいたいと思うの。そんな特別な人は、リアン以外にいないわ」
百年、ずっと、鏡の中にいて。すっかり世慣れてしまって。キースに半泣きになりながら文句を言われたくらい、すれっからしになっていて。
だって生まれてこのかた、百年以上、知らなかった気持ちだもの。鏡の中から、様々な恋愛事情を眺めてきたのに。したこともない恋愛なんて、縁がないと思っていたし、家族という縁以外に愛する人なんて、できないと思ってた。全然、わからなかった。
それなのに。そんな私を、リアンはここまで待ってくれたんだ。なんてモノ好きなのかしら。
私はだんだん混乱が落ち着いてきた。
鏡には、”できないことは願わない。願えない”。
それはつまり、私は、きっとどうしたってリアンに恋をしたのだろうってことだ。
鏡の前で、あの時、リアンが私にプロポーズしていれば、こんなに悩まずに、私はきっと、すぐにリアンに恋をして承諾しただろう。だってそれが鏡の力だから。でも、鏡でなくてもわかることだったのかもしれない。鏡の力がなくたって、きっと私はリアンに恋をしたのだ。そういうことなんだろう。
まだ二年。たった二年。もう二年。リアンの限界がくるまで、私が自分の気持ちに気がつくまで。
「僕が……特別?」
リアンが胡散臭そうに私を見た。信じてないな。でも特別なのだから仕方ない。
「知らなかった?」
私は言ったけど、私もその意味は知らなかったことだから、リアンも知らなくて当然だ。
でも、リアンはどうにもならなくなるまで待ってくれた。多分、どうにもならなくなっても、待ってくれるんだろう。そんなリアンだから、私はこうして、自分の気持ちを信じて、リアンを信じられるんだわ。
「……知っています。えぇ、もちろん、そうですよ。だって、僕はあなたをここへ呼んだ、鏡に願った人間なんだから。僕が願わなければ、あなたはここにいなかった……」
リアンが震える声でつぶやいた。
確かにそうだ。そして、リアンは最初の願いを言わずに飲み込んでしまった。長らく鏡にいたため、私の一部は鏡の一部になってしまって、それを叶えない限り、私は蝕まれることになってしまった。もしかしたら、リアンが願いを飲み込めたのは、私が完璧だった鏡の一部になって、出てきてしまったからなのかもしれない。きっと、そのほころびが、リアンを黙らせてしまったのだ。
「だからあなたは、僕に感謝をしている。だから、あなたにとって、僕は”特別”なんです。それ以上でも、それ以下でもない……でしょう?」
この自信のなさも、もしかしたら鏡のほころびのせいかもしれない。私がリアンを好きにならずにいられないような、リアンが飲み込んだ言葉を、私が言わなければならないような、そんな気にさせられる。
「リアン、そういうのはね、恩人っていうの。特別な人とは、また別よ。あなたは恩人で、特別な人」
なんにしろ、リアンが私に望むことは、今まで一度だって、本当の意味で逆らいたいと思ったことはなかった。
いつだって、できる限り叶えてあげたいのだ。もちろん、これから先も。
だから、どうやってリアンのそばにいられるか、叶えてあげられるのか、ずっと考えていた。
リアンの一番の願いを叶えることに、どうせ逆らうことなどできやしないのだけど。こんなにも、簡単なことだなんて、思わなかった。リアンのそばにいるには、リアンと結婚すればいいだなんて。
リアンの幸せの中に、私がいたっていいの? 私が? いつまで生きているかわからない、私が? 鏡の魔力とともに消えてしまうかもしれない私が? 希望を持ってもいいの? ちょっとだけ、未来を夢見てもいいの?
私は自分の両手を胸の前でぎゅっと握った。
鏡よ、答えを頂戴。
「リアン、私と結婚してくれる?」
私がはっきりと口にすると、リアンは頭を抱えていた手から、弾けるように顔を私に向けた。
信じられないと言いたげだ。でもリアンも知っているはずだ。私は嘘なんかつかないし、思ってもないことを言ったりしない。
「さっき、僕が聞いたんですけど……?」
「でも、お酒の勢いだったじゃない」
「それならもう一度」
リアンが言いかけたのを、私は制した。
「いいえ、もう充分。だって私を呼び出してくれた時点で、それはもうプロポーズだったんでしょう? だから、……生涯共にしたいと強い決意で私を呼び出してくれて、私の性格を知ってもなお、それを望んでくれるのなら。私は生涯、あなたを支え、愛すると誓います」
例え、鏡の魔力とともに消失しても。魔力のせいで長いこと生きることになっても。
「……ソフィア……」
リアンが、今度はしっかりと私を見つめた。
「本当に、いいんですか。僕を、選んでくれるのですか」
「ええ、この女ソフィア、二言はございません」
胸を叩いて自信を持って言った時、ぱりん、と宝石がはじけたようなクリアな音が私の耳に響き、目の前が歪んで、元に戻った。
そこで、不意に先日見た夢を思い出した。
『……それなら、どうして、僕を選んでくれないのですか』
夢の中で、選んでほしいと鏡が言っていた言葉なのに。不思議。リアンの口調に似てる。
そう思った時、耳元で何かが音を立てて消えていった。今まで何かまとわりついていたわけではないし、体が重かったわけでもない。それなのに、明らかに、私から何かが消えた。
鏡の呪い。小さくて、普段は気づかなくて、誰にもわからないような。
それでいて、ずっと縛られて、重くのしかかる、あの呪いが。
今はもう、ない。
私はリアンに抱きしめられながら、自分の手を見つめた。
呪いが解けた、とわかった。
私は鏡から自由になったのだ。
第十四章、終わりです。
次は、翌朝、ソフィアが目を覚ましたところからです。