113 願えること
短い沈黙が落ちた。
最初に言葉を発したのはリアンだった。
「あ……」
言ってしまった、と青ざめた顔のリアンは、瞬間的に正気に戻ったようだった。パッと手を離して私から離れると、立ち上がった。
「忘れてください」
だが、足がもつれたようで、またソファに座り込んだ。逆に立ち上がったせいで、酔いが回り具合が悪くなったのか、頭を抱えた。
ブルータスがハラハラした無表情でこちらの様子をうかがっている。
私はわけがわからなかった。
なにこれ? リアンの願いって、そんなことなの?
もしかして、私と踊るのが好きと言ってくれたのは、私を女性として好きだから?
誘いを断ると不満そうだったのは、独りが寂しくて不安だったからじゃなくて、……私だからなの?
え、ちょっと待って? まとめさせて。
私の頭の混乱は続いた。
今までの行動原理は私自身だったってこと?
誰にも渡したくないと思っていて、私のそばにいたくて、……、でもそれがばれると、私が義理で優しくしそうで、軽蔑されそうで?
私は眉間を押さえた。
確かにそう言ってた。そんなこと、なんで思ったりなんかするんだろう? リアンを嫌いになったりなんか、するはずがないのに。
どちらにしろこれは、私の運命を変える、リアンが私に本当に望むことだ。私が叶えたいことじゃなくて、叶えなければならないことだ。
ヘンリーもデイジーも、ノアもアンソニーも、私の呪いを知っている。知らないのはリアンだけだ。そして、このリアンの”本当の望み”のことも、みんな知っていたに違いない。そして、私だけが知らなかった。でも、だからこそ、みんな私たちに何も言えなかったんだ。私はリアンが私に望む言葉に、逆らえないから。私に心の準備ができていなければ、思い悩むとわかっていたから。
私は呆然と、頭を抱えているリアンを見つめた。
思えば、なんで気がつかなかったのかしら?
もちろん、私はリアンが私をそばに置きたいのはわかってる、と思っていた。でもそれは、私を引き戻した義務で、そういう鏡の呪いのつながりがあるからだと思ってたのだ。そして、もともと、私はリアンの孤独から呼ばれたのだから、それが解消されたら、私は用済みだと。なぜ私だったのかといえば、あの時、肖像画の”初恋の令嬢”しか、思いつかなかったからだと……
そう、リアンだって言ってたじゃない、軽い気持ちだった、どうにでもなれという気持ちで……、それは私も理解していた。出会った時のあの懐疑的な会話は、あの鏡を信じていたわけではないという証拠だ。
でも、……”そのため”だったのは初耳だ。最初から、私はリアンと結婚するために呼ばれたのだ。あの時、出てきた私に、リアンが跪いてプロポーズしていれば、万事うまくいったのかしら?
いや。最初から肖像画にいただけの令嬢を呼び出して結婚したいと思うとか、思いつめすぎじゃない? きっと鏡の強制力が働いて、私は承諾したのだろうけど……
そこまで考えて、私は理解した。
だから最初、すぐに諦めたのだ。突然現れた令嬢を、どうやっても説明できないもの。
「なんでこっちを見ないの?」
私が尋ねると、リアンは顔を押さえたまま答えた。
「……後悔してるんです」
「どうして?」
「一生、言うつもりがありませんでしたし、望んでるなんて、知られたくなかったんです」
「なぜ?」
「あなたにプロポーズしてきた人の中でも、僕が一番望みがないでしょうから」
喧嘩売ってる?
「私にプロポーズしてきた人なんて、今まで誰一人いないわよ」
「……慰めてくれているつもりですか」
「いや、本当に。本当なのよ」
見合い相手が、あまりにも目的違いすぎて、リアンがそういう人を選んでるのかと思うくらいで。いや、リアンが願いがその通りなら、それが本当だという説も……表情を見るとなさそうだわ。
でも私の言葉は信じてもらえなかったらしい。リアンがため息をついた。
「お断りしたんでしょうから、数に入らなくても仕方ありませんが」
「いいえ。だって私、口説かれたことないって言ったわよね? 魅力ないのかもしれないわって、言ったじゃない? 嘘じゃないわよ!」
私がムッとして言うと、リアンもイラついた口調で反論してきた。
「ウルソン王子は、あなたをとても可愛らしいと……、国に連れて帰りたいとおっしゃってましたし。リドリー殿も、あなたにフラれたと」
「社交辞令よ。だって私、仕事したもの。取引の仕事を秘密にしてくれるなら、それくらいの褒め言葉は容易いでしょう?」
「……そういうところですよ! なんだってそんなに……鈍感なんですか……」
リアンはトーンダウンして、ぐったりと頭を押さえた。
「あなたがわからない人だから! 僕はこじらせてしまったんですよ。早々に僕を振ってくれればよかったのに、そうしてくれないからです。彼らはすぐに振ったのに。”伝説の令嬢”だからなんて言い訳、あなたを前にすればすぐに吹っ飛びますよ! 礼節なんて関係なく、ただ愛おしいとしか思えません! こんなにわかりやすくしてるのに、あなたはわかってくれなくて、僕ははぐらかすしかない。それなのに、恨みたくても恨めずに、好きになるばっかりですよ。ひどいものです。どうしてくれるんですか?!」
ひどい言いがかりだ、とは思ったものの、私にはどうにも気にかかることがあった。
「ウルソン王子と会ったの?」
「え? えぇ、会いましたよ。わざわざ、終わった後に待っていてくださいまして。あなたとの会話をそれは楽しそうにしていただきました。あなたがウルソン王子の褒め言葉に頬を赤らめたとか、逐一ね」
リアンのトゲトゲしい言葉の裏の意味に、私はその棘を抜く前に気がついてしまった。
「それは……私がリアンの話をしてしまったからかもしれないわ」
「僕の話を?」
「多分……あのドレスをあなたが作ってくださったと話したから」
「それでなんで僕に、わざわざ嫌がらせみたいなことを」
不機嫌に頬を膨らませるリアンが可愛いと思っては不謹慎だ。その不機嫌を引き起こした出来事は、結局、私に理由がある。
「それはきっと……私が嬉しそうにしてたからよ」
「ウルソン王子に褒められたからでしょう?」
「リアンが作ってくれたドレスを着られたことを、よ」
多分。いいえ、きっとそう。私はあの時、それが嬉しかったんだから。
私が、あのドレスを褒められて嬉しかったのは、似合わないと思って、敬遠していたドレスを褒められたことが理由ではなく、リアンが作ってくれたドレスを無駄にしなかったからだ。
リアンが私のために作ってくれた、最初の、そしてその中で、最後のドレス。
着たらリアンに褒められたいドレス、だ。
「僕が……あなたの侍女に任せて作ったドレスですよね?」
リアンが首を傾げた。
「そうよ。見合いの日に着たドレスの事」
「えぇ、あれはもちろん素敵でしたよ。誰にも見せたくなくて、帰ろうなんて言ってしま……なんでもないです」
「? 思ったより評判がよくて、よかったわ。ヴェルヴェーヌには今度、彼女が好きなチョコレートを買ってあげるつもりよ。とにかく、褒めていただいたので、来歴をお話ししたんだけど……」
私がリアンの話を嬉しそうにして、それで、ウルソン王子は嫉妬したっていうの? よくわかりもしない、ドレス代を出しただけの相手に?
さすがにそれはない、と思いつつ、そうでもない気がしてきた。
リドリーも言ってたではないか。
私がリアンの話をするとき、雰囲気が変わると。可愛らしくなると。リアンが私にとって、特別な相手なのだと。私はてっきり、その”特別”は、私を助けてくれた人だからなんだと思ってたけど、彼はとっくにわかっていたんだわ。