110 ノアのおねだり
第十四章です。
見合いの翌日の夕食後、居間でくつろいでいたリアンに、私はひとまず聞いてみることにした。
「リアンは怒ってないの?」
すると、アンソニーが手土産に置いていったという、貴重なワインを飲みながら、リアンは首を傾げた。
「何にですか」
「あの方、私に会うためにリアンとお見合いしに来たのよ。私に会えるかもしれないって。リアンを気に入ってたんじゃなかったの?」
「気に入っていると言っても、その程度だったのでしょう。あなたに会う方が勝ったみたいですね。本当にソフィアは素晴らしい方です」
ニコニコしながらリアンは言う。私は困って、隣に座っていたノアを見た。しかし、ノアもあまり気にしていないようで、ひたすらぶどうジュースを飲んでいた。これもアンソニーが置いていった、非常に美味しいジュースだ。でも、これじゃお詫びにならないと思う。私はいいけど、リアンにとっては。
「リアンを使うなんて」
「僕は嬉しいですよ」
思いがけない言葉に、私は首をひねった。
「どうして?」
「あなたと僕が紐付けされてるってことですから。後見人だからだとしても、嬉しいことです」
「つまり、……リアンの陰には私あり、みたいな?」
「まぁ……逆ですが、そんなようなことです」
「そうかなぁ……」
でも、その程度に思ってくれるなら、ちょっとホッとしたけど。
会話が途切れると、ノアが明るい声で私たちを見た。
「リアン、ソフィア、僕、お見合いのお話を聞きたいな」
「まぁ、ノア」
「お見合いってしたことないから……でも、僕もいつかはするんでしょう? 参考になるかなぁって」
ならないと思います。
私は声を大にして言いたかったけれど、考えてみれば、私はさておき、リアンのお見合いは参考になるかもしれない。
……でも今回に限り、やっぱりならなそう。
「リズみたいに……お見合いしなくてもお相手が見つかるかもしれなくてよ?」
「うーん、でも、考えてみたけど、無理なんじゃないかと思って。まずはこの怪我が完治しないことにはね。まともに歩けない、馬にも乗れないんじゃ、お相手として見向きもしてもらえないよ」
「そんなことはないわよ! あなたは治るし、それ以前に、あなたは幸せな結婚ができるわ」
すると、くすぐったそうにノアは笑った。
「決まってもいないのに、ソフィアは変だね」
「だって」
鏡に願ったから、願いは絶対だから。そう言いそうになって、私は口をつぐんだ。
言えるわけがない。そんなこと言ったら、機嫌を損ねてしまうかもしれないし、”私のおかげ”になってしまって、楽しめなくなってしまう。それに、何がノアの幸せかはわからない。もしかしたら、波乱万丈な人生が幸せかもしれないし……もっと具体的に決めておくべきだったかも……
「リアンがお会いしたのはどのような方だったの? 気になるよね、ソフィア?」
ノアが言い、私はハッと顔を上げた。
「え? えぇ、そうね」
「……本当に、気にしていただいてます?」
リアンがワイングラスを空けて尋ねてきた。そのワイン、そんなに美味しいの? 私も一口飲み、確かに美味しいと納得しながら頷いた。
「それは……当然でしょう。リアンが選ぶならどんな人なのか知りたいし、……気に入ったのなら……」
「”なら”?」
応援するしかないのでは?
「応援するわ」
「僕が気に入ると?」
「リアンの好みなんてわからないもの、気に入るかもしれないでしょ」
「僕の好みなんて、興味ないくせに」
珍しくリアンが拗ねたようにつぶやいた。やけにつっかかるわね。私は思わずノアと顔を見合わせた。ノアがフォローするように話題を変えた。
「リ……リアン、さっき、ソフィアが『私に会うためにリアンとお見合いしに来た』って言ってたけど……そういうことってよくあるの?」
「いや……普通はない、かな。見合いは見合いのつもりで行くものだよ。前向きに行くかどうかは別だけど」
「リアンはこないだまで結婚に前向きだったでしょ? だから、がっかりしたんだと思って、ソフィアは心配してるんだよ。ね?」
「そ……そうね」
「がっかり……したのはあなたでは? 彼女があなた目当てで来たのを知った時、明らかに不満そうでしたし」
いやいや、あの状況でどう喜べと。
私はムッとしてリアンを軽く睨んだ。
「それは当たり前でしょ。リアンに失礼じゃない。本当は怒りたかったくらいだもの」
「僕の代わりに?」
「そうよ。でもあなたは怒ってないみたいだから……彼女を気に入ったのかと思って」
「嫉妬しましたか?」
「嫉妬? えぇと……羨ましいなぁって思いはしたわよ、だって彼女はとても明るくてかわいらしかったし、私よりずっと綺麗だったし」
私がぶつくさというと、リアンは少しだけ嬉しそうにした。なんでかしら。いつものリアンとは違って、少し意地悪で子供っぽい。
「なんだか複雑なんですね、見合いって」
ノアがのんきな声でジュースを飲み干した。リアンは肩をすくめた。
「言ったでしょう、ソフィア。その理由が嬉しかったんだって。なんにせよ、僕は彼女と結婚するつもりはありませんでしたし」
「えっ……ないの」
後押しする必要もなかったということ? 悩んで損したわ。
「えぇ。それに、彼女はもうお帰りになりましたよ。あなたによろしくと言われました」
「……そうなの?」
どうして? リアンが気に入らなかったの? 私のせい? またお話ししようって言っていたのに。
「そもそも、彼女は僕のことを調べて、すっかりわかっていますから、結婚するつもりなんてありませんでしたよ。ノアも人が悪いな。知ってたんじゃないか?」
「知らないよ! 僕だってリアンが自棄になるんじゃないかって心配なんだもん、気にしたっていいじゃない」
ノアがにこりとする。リアンは不審そうに視線を投げかけ、私に向き直った。
「彼女は国で大規模な慈善事業を立ち上げるそうです。環境改善と医療問題に取り組むと……」
「え、ちょっと待って、待って。結婚は?」
私が慌てて遮ると、リアンはグラスを空けてにっこりと微笑んだ。ヘンリーが静かにやってきて、クリスタルグラスから木のワインカップに替え、ワインを注ぐ。そのカップをリアンがすぐ空けたことで、ヘンリーは静かにボトルをそこに置いた。自分で飲めってこと? 私が見ていると、リアンは自分で注ぎ始めた。
「言いなりになって、結婚するためだけに時間を費やすのはやめたそうです。彼女が家を継ぐというわけでもありませんしね。結婚してからやればいいと言われていましたが、それがいつ来るのかわからないと、あなたに直接出会って気づいたとのことでした」
「……私に会って?」
「はい。僕があなたを引き戻したように。どうしてもしたいことは、我慢するべきではないと」
「はぁ……」
「僕にとってあなたはそういう存在なんです。だから彼女は、僕を尊重してくれて、こんなズルはしないで会えるようにすると、決意新たに宣言してくださいましたよ」
「すごいね、ソフィア。きっといい友達になれるよ! ずっと欲しかったでしょう?」
ノアが嬉しそうに言った。確かに友達は欲しいけど……デボラだっているし……それどころじゃなくて忘れてた。ていうか、ノアにそんなこと言ったことあったかしら? 察してたのなら、ノアってすごいできる子じゃない? 将来が恐ろしいわ。
「ありがとう、ノア」
「ソフィアは僕たちのことだけじゃなくて、ソフィア自身の幸せも見つけてもらわないと」
「ノアったら……あなたはそんなことを気にしなくていいの。でも、そうね、彼女とお友達になれたら嬉しいわ」
すると、リアンは不満そうに反論した。
「彼女はあなたを気に入りすぎて、国に連れ帰って縁談を勝手に進めるかもしれないので、仲良くなって欲しくはないです」
「どういう発想なの……」
「みんな結婚結婚って……そんなにしたいものですかねぇ?」
あれ? 私は首を傾げ、ノアが私の服の袖をつかんだ。
私たちは、リアンの口調が変わっていることにようやく気づいたのだった。