105 待ったなしの日
見合いの当日になって、リアンが急に駄々をこね始めた。すでに着替えて準備万端でいるのに、だ。
「僕は……やはり、そんなつもりになれません」
リアンは、部屋に入ってきて開口一番にそう言った。
「帰りましょう、ソフィア」
「待て待てリアン。さすがに二人とも帰ったりなんかしたら、殿下の面子が丸つぶれだ。それでもいいのか、側近として?」
部屋で先に待機していたキースがリアンの肩を叩いた。
「そんなに自信がないのか、リアン? 普段もそう着ない礼装だ、かっこ悪いと思うのはわかるがな。俺は悪くないと思うぞ、うん」
言ったキースを、リアンは不満そうに睨んだ。
リアンは、今日はそれは見事な側近の礼装でドレスアップしていた。輝く金モールに純白のコート生地に銀糸の縫取り、それに前髪を丁寧に撫でつけ、それはもう見事な紳士だ。
「まぁ、リアン、大丈夫よ! リアンは充分魅力的よ! 言ったでしょう、優しいし頭もいいし礼儀正しいし、……踊りも上手だし。いつだってうっとりするほどかっこいいわ。慣れないとめったに見せないけど、笑顔だってとっても素敵よ。だから笑顔を見せるのよ! リアンの笑顔は大好きだもの」
私が励ますと、リアンは頬を染め、つまらなそうに顔を背けた。
「そうですか。僕も……あなたの笑顔は大好きですが、僕は、僕以外の方に見せて欲しいとは思いませんけどね」
「まぁ! そうなの?」
私が驚いて叫ぶと、リアンも驚いてしどろもどろに頷いた。
「え、ええ、……そうです」
「初めて聞いたわ。私の? 普通に? えーとその、ほら、なんていうか、……人間として? ”伝説の令嬢”じゃなくて?」
「当たり前です。ソフィアは”伝説の令嬢”である前に、一人の女性でしょう?」
投げやりな口調のリアンを物ともせず、私は思わず振り向いた。
「……ねぇ! キース様、聞きました?! リアンったら、私の笑顔が好きなんですって」
「あーはいはい、聞きましたよ、聞きました。で、いつまでそのイチャ……えー、茶番が終わるのを待てばいいんですかね」
「茶番って? 失礼ね、キース様ったら」
うんざりした表情のキースに、私はムッとしながらも、リアンに笑顔で振り向いた。
「リアンは何も言ってくれないから、わからなかったわ」
「そう……でした?」
「ええ。踊るのは好きだと言ってくれたけど、それだけよ」
「僕が……あなたを好きではないと?」
「もちろん、嫌われてないのは知ってるわ。でも普通に好かれてるなんて、思ってなかったから。今わかったわ」
そうなると、もしかしたら、呪いが解けても、すぐには家を追い出されたり、そばに寄るなと言われることはなさそうだ。
リアンが目を丸くした。
「今?」
「ええ」
「じゃ、今まで、僕がソフィアにしてきたことは何だと?」
「何って……ニコラスフリーク? あ、”伝説の令嬢”フリークだったかしら? だったから、お世話してくれて」
「ちが」
コンコン、とドアの音が響いた。
「王太子殿下がいらっしゃいました」
執事の声が届くとともに、颯爽とアンソニーが入ってきた。それなりの礼装が目に眩しい。さすが王太子。笑顔も爽やかだ。
「申し訳ないです! 遅れました」
「アンソニー様」
「今日は王宮までご足労ありがとうございます。用意は出来てますか? リアン殿も、ソフィア様も?」
そこまで言って、アンソニーは一瞬言葉を止めた。
「なんともまぁ、……お美しいですね、ソフィア様!」
「あら。ありがとうございます。リアンも、そう思う?」
「とてもお似合いだと思いますよ」
「さっきは言ってくれなかったじゃない?」
「言いそびれました」
不機嫌そうにリアンは言った。よほど見合いが嫌だったのか、自信がなかったのか……私にドレスが似合うと言いたくなかったとか? 私にも自信を無くさせて、アンソニーの面子を潰そうと……まではしないか。
今日着ているのは、何を隠そう、以前リアンが作ってくれたものだ。舞踏会デビューの時に、どさくさに紛れてデイジーとヴェルヴェーヌがしれっと予算に組み込んだドレスだった。
派手ではない落ち着いた淡いピンク色に、金糸と銀糸で花の縫い取りをし、その上に、柔らかい真っ白なシフォンレースが重ねられている。胸元はピンク色のレースと、金糸のレースで縁取られ、上品な仕上がりだ。アップにされ耳にかかる金色の髪と、それをまとめるピンクの宝石を使った髪留めと、耳飾りが上手く調和をとって、豪華になりすぎないようになっていた。
「ピンク色って似合わないと思ってたんです。ヴェルヴェーヌがあまりに勧めるから作ったけど……着づらくて」
「あぁ、そういえば、濃い赤や緑や青、水色なんてありましたが、ピンクは見たことがなかったですね。リアンの趣味かと思っていたんですが……ソフィア様の趣味でしたか」
「リアンの趣味は赤いドレスだけですわ。あれは私も気に入っておりますけど、夜会用ですもの。昼間のお見合いに着るドレスに新しいのがなくて。さすがに隣国の王子をお迎えするのに、どこかで見たことがあるものは着られませんわ」
「作れば宜しかったのに。それくらいはこちらで出しますよ?」
「まさか! アンソニー様のお手を煩わせるわけにはまいりませんわ」
これ以上、世話になってたまるか。そういった気持ちは伝わったと思う。アンソニーはひどく楽しそうに笑っていたから。
ひとしきり笑い終え、アンソニーは私に手を差し出した。私は促されるまま手を載せ、手の甲に挨拶の口づけをするに任せた。
「ご両者、いらっしゃっています。私はどちらも参加できません。大変申し訳なく思っております」
「面白がっているでしょう、アンソニー様?」
「酷いことをおっしゃいますね」
アンソニーがにこりと微笑む。本当にね、アンソニーったら、何を考えているんだろう? こんな曖昧な気持ちのままで、呪いも残っているのを知っているのに、どうして?
「……構いませんわ。アンソニー様がなすべきことをするまでです。きっと必要なことなのでしょうから」
「わかっていただけで何よりです。準備はよろしいですか」
私は頷いて、リアンにも促した。
「ええ、もちろん。……リアン?」
「え? えぇ、はい……」
アンソニーがぎょっとした顔でリアンに向く。あまりにリアンがぼうっとしている。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
その時、キースが空咳をして発言した。
「リアン様はちょっと混乱しているようです、殿下。おそらく、お会いすれば大丈夫でしょう」
「そうか、わかった。キースも、ソフィア様のエスコートをお願いしてすまないね」
「いいえ。名誉なことです。隣国の王子にお会いできるのですから」
「頼もしいね」
アンソニーが楽しそうに笑った。
和やかな控室だった。でも私は急に不安になった。
そういえば、リアンはさっき、違うと言いかけた。
何を言おうとしていたんだろう?