102 鏡の呪いの魔力
鏡がキラリと光り、私はびくりと身を硬くした。
”八割しか当たっていないではないか。随分と力不足だな”
「な」
”自信満々な態度だから、今すぐにでも条件を満たすかと思ったのに、面倒な”
「八割も合ってるなら、相当合ってるわよ? 私、古い文献も外国のおとぎ話から史実まで、たくさん読んで、でも、何百年も前のことなんてわかるはずないわ。八割ならすごいわよ!」
そこまで言って、私はハッとした。
「やっぱり魔法使いだったのね! 意志はあるんじゃないの!」
”昔の話だ。姿もとうになく、意志も元からない。我は鏡だ。そしてその役割も終えた”
「役割?」
”魔法は全ての解決法ではない。魔法での願い成就は、リスクがありすぎる。それが、お前の意見に集約されているとは思わないか”
私はハッとした。鏡は私の言葉を聞いて、理解したのだ。強すぎる力は、いつの時代でも、歓迎されるものではないと。
「あなたは……人間だった時、どうだったの? やはり、強大な魔法使いだったのよね?」
孤独だったの? 迫害されたりした? だから、鏡にこもることに抵抗がなかったの? それとも、命令されて、仕方なく? むしろ、罪人だったとか……私はだんだん不安になりながら質問をしていた。だが、『呪いの鏡をなくしたい』と言われた時に、それに抵抗することもなく、破棄に向けて自ら動くように作られている。罪人や恨みがある人に作られたとは到底思えない。
”我は何百年も前に領主に拾われ、秘密裏に育てられた、くだらん魔法使いだ。領主の願いを叶えるために願いを叶える鏡を作った。なんでも叶えられる我がいたのに、意味がわからん、そうだろう。でもとにかく、求められたものを作った。我は完璧を目指し、それには我の力が必要だった。それだけだ”
鏡の声が淡々と響いた。
何百年も前。それでも、衰えることのない魔力だ。かなりの力なのだろう。
”ただ、領主は出来上がった鏡を見ても、喜ばなかったのだ。鏡である我には、それがよくわからなかったが、望みは叶えられた。呪いという副作用は出るが、仕方ない”
「多分、あなたを失うなんて、思ってなかったのよ……」
なんでも叶えられる魔法使いに、最高の鏡を作ってもらいたかったんだろう。それは領主自身の誇りで、自慢で、喜びだったんだ。魔法使いが自分の力を使い切ってしまうなんて、思いも寄らずに。魔法使いが、そこまで領主にしてくれるなんて、思ってなかったんだ。
「案外、ロマンチストなのかもしれないわね。ねぇ、鏡、私、あなたの願いを叶えてあげるわ」
”なんだと”
「私が呪いの鏡をなくしたいと言ったから、あなたは私にその方法を教えてくれるのよね? あなたが自分を破棄できなくても、方法は知ってる。だからきっと、あなたは破棄される。でもそれじゃ、物足りなくない? あなたに願いを伝える人はいても、聞いてくれる人はいなかったでしょ? でもきっと、”鏡”にも、叶えたいことがあるはずよ。何百年も願いを叶えてきて、百年ずっと暇してた、”呪いの鏡”にも。だから、私ができることなら、あなたが破棄される前に、叶えてあげるわ」
鏡は何も言わず、長い沈黙が続いた。
私がウトウトと眠りかけた時、声が溢れるのがわかった。
”……破棄してほしい”
鏡の小さな言葉が、部屋に響いた。
あの時、私が初めて聞いた時は、威厳のある声だと思った。でも今は、親しく、優しい声に聞こえた。
「いいの?」
だってそれは、私がこれからすることで、私の望みで、鏡にとっての望みではないはずなのに。
”我は仕事として感受性を高めすぎたのだろう。”鏡”というのもは厄介だな。何もかも反映する。清い心は清く、薄汚い心は薄汚く。それで、みたものはさらにおののくのだ。本質ではないのではないかと。あるものは自分を美化しすぎたと責め、あるものはおぞましいと責める。お前は我を見たとき、どうだったのだ?”
意志がないと言いながら、感情はあって、私の反応を知りたがる。鏡に何の力もなければきっと、とても、楽しい話し相手になっただろうに。
「覚えてないわ。でも、普通の鏡だったのよ。だから、……普通の鏡に戻ってほしい」
”……”呪いの鏡”に関するお前の願いは、我は聞くことができない。だから、お前がやるしかない。わしもやり方は知らないし、その後、どうなるかもわからん”
「いいわ。やる」
”我を消したら、お前も消し飛ぶかもしれないぞ。鏡の魔力で保たれているかもしれないのだから”
「例えそれでも、……私が消えるのなら、それが秩序として正しいことなんでしょう」
”だが、もしそうなら、鏡の呪いは叶わなかったことになる。呪いの鏡の初めての失敗だ”
私は思わず笑った。何だか不満そうだ。
「大丈夫よ、失敗にはならないわ。条件があるから。『鏡に魔力が宿っている間は』って」
”それなら……いつでも構わないな”
何だかとても不思議だった。怖くて仕方がなくて、理不尽だと思っていた鏡の言葉も、まるで旧くからの友人のように思える。……そうだ、”鏡”は、私にとって、旧くからの友人なんだ。だって百年も一緒にいたんだもの。
「感謝しているわ」
”そうか?”
「きっかけは何であれ、私はこうして生きていられたし、ノアが元気になったもの。回復したあの子は、鏡の影響なんてもう受けないし」
”たった二年だぞ”
「私が戻ってこれたのが? 例え二年でも、訳も分からず一人で暗闇の中にいるより、死ぬかもしれないと思いながら魔力を消した方がマシよ」
”もっと生きて、幸せになりたいのではないか”
「私の幸せは、リアンに戻してもらった時に使い果たしたの」
”……よくわかった”
「私にここでの寿命がまだあるのなら、残ることもあるのでしょうけれどね」
私は軽く笑った。そうしてこの先、本当に面白いと思って笑える時が来るのだろうか。”伝説の令嬢”の効果もなくなって、リアンも去り、ピアニー家の象徴としての日々を楽しめるだろうか。そんな私を、鏡が鼻で笑ったような気がした。鼻があるのなら。
”一つ忠告しておこう”
鏡の言葉に、私は首を傾げた。
”お前にかけられた呪いがなくなるまでは、やめたほうがいい。鏡の効果がなくなる時のことがわからないからな”
「それは、リアンの願い事が叶ってからのほうがいいってこと?」
”私の記録にはない。条件もわからない。影響があるかもしれない、だけだ。ともすると記憶障害になる可能性もある。本当の願いと、表面的な願いを、同時に願うのも珍しいことな上に、本当の願いが叶わないことなど、今までなかったからな”
「まさか?」
”願いが正しく叶うなら、……残る道も増えるだろう”
「本当に?」
”それは可能性の問題だ。その時に自ずと分かるはずだ”
鏡が言葉を切った。私は決意を込めて頷いた。
「願いを……叶えるのね」
”そうだ。その機会を逃すな。必ず叶えろ”
「私ができないようなことでも?」
”できないことは願わない。願えない。そういうものだ”
けれど、断言した鏡の言葉を、私は信じられなかった。私ができることなんて。できないことなんて。リアンにわかるはずがない。
だって、私は”伝説の令嬢”で、失敗なんてしなくて、誰もが憧れる象徴なのだから。リアンが期待して、アンソニーがお膳立てして、ノアの支えになる、そういう存在なんだ。きっと心が強くてなんでもできて、何にも気にしないと思われてるんだから。
泣いたりなんかしない。特定の誰かに嫌われることを、怖がったりしない。頼ったりしない。
そのはずだ。そのはずなのに。
「リアンに嫌われたくない」
私はぽつりと言った。
「呪いが解けたら、きっとリアンは私に何の関心もなくなる。嫌われてしまう……私はそれが怖いの。それでも私は、願いを叶えることができるのかしら?」
”お前に縛りがあるように、願った者にも縛りがある。その願いが叶えば、そして鏡が破棄されれば、きっと、それはなくなる。希望を持て”
まるでわかっていたかのように。鏡の創造主はそんな言葉を鏡に”記録”したのだろうか。希望を持てと。鏡がなくなった先を見るようにと。
「リアンのそばにいたいと願うことは、いけないことかしら?」
”願いはあるじゃないか”
鏡に言われ、私は思わず笑った。
「違うわ。これはあなたへの願いじゃないの。私の願いよ。私が自分で叶えること。つまり、……どうにかしてリアンの助けになりたいということよ。そばにいても、いなくても。リアンが笑顔でいられるようにしたい。それは私がすることで、鏡に願うことじゃないの」
”……よくわかった。我は必要ない、そういうことだな”
「あなたに私の願いは叶えられない。どんな願いも。そういうことよ」
それで、会話は終わった。鏡が、ありがとうと言った気がした。
私は夢の中で、鏡を選ばなかった。鏡は私を責めなかった。
『なぜ”選んでくれないのですか”』
責められた、あれは夢の話。
鏡の中に戻ることもできたはずだ。でも私はできない。
今は、できればリアンのそばにいて、ずっと見守っていきたいから。それが許されないのなら、離れたっていい。そのためなら、多少不本意な結婚だって、受け入れよう。リアンが喜んでくれるなら。
第十二章はここまでです。
読んでくださりありがとうございました。
次の十三章は、アンソニーがソフィアの家に訪問してきます。何しに来たの、みたいなところです。
先日から、新作をのせています。
気弱な令嬢の恋愛ものです。
魔法とか出てきませんが、よろしければご覧ください。