100 いつも言えないのは本当の気持ち
デボラの寝息が規則正しくなって、私はホッと息をついた。目を上げると、リアンと目が合った。
「……眠ったようですね」
リアンが言い、デボラの額をそっと撫でた。そして、立ち上がると、私の手を取って、あれよと言う間に部屋の隅にあるソファに向かった。私の気持ちが追いつく暇もなく、リアンは私をソファに座らせるとお茶を淹れ、隣に座った。
乳母が来るまで二人きり……正直近い。デイジーが見たら怒りそう。ううん、ヘンリーの方が怒るかしら? どのみち、怒られるのは私じゃない。ブルータスすらいないんだから、うちの使用人達は何してるのかしら。
「環境が変わって疲れていると思ったのですが、……案外元気でしたね」
リアンがホッとしたように微笑んだ。
ええ、そうです。思い出しました。デボラのために、できるだけ人数を減らそうとしていたのでしたね。
私は頷いた。
「そうね、よかったわ。きっと大丈夫よ。何しろ、デボラは、チャーリー王子の相手だって、立派にこなしたんだから」
「あぁ、お茶会でしたね。どうでしたか? リドリー殿の妹さんともご同席したと聞きましたが、それ以上は特に話してくれないんです」
まぁ、そうでしょうね。コレットとチャーリーがほぼ喧嘩してたような気がするだなんて、なかなか言えない。しかもそれが、随分と息があって聞こえるなんて。私は思ったけれど、それについては報告しないことにした。
「それは……コレット様が聡明で、そのことに、チャーリー王子がちょっと嫉妬したのよ」
私はかいつまんでその話をした。もちろん、リドリーが私に決まった相手がいるだのなんだの言っていたことは抜いて。デボラが他の令嬢の話をしたところで、リアンは吹き出した。そして、心底楽しそうに笑った。
「デボラったら……! 一体何を考えてそんなことを」
「デボラは真剣だったと思うの。一緒に聞いていたアンソニー様も笑ってらしたわ。ご自分と同じく、チャーリー王子も通る道だって。アンソニー様もそうだったのかしら?」
だからあんなひねくれた性格に?
いや、きっと女性には誠実なんだ、私が”友達”で”使える令嬢”だからあんな態度なのであって……
すると、リアンは少し考え気味に答えてくれた。
「アンソニーは、昔はとても繊細でしたよ。ニコラス賢王の再来と言われ、聡明でその素養があり、幼い頃からとても期待されていましたから。そうやって、のせられもしましたが、貶められもしましたしね。おかげで、兄や僕、幼いノア含め、友人は少数で、警戒心がとても強かったんです。最近は吹っ切れたのか、先が見えるようになったのか、かなり政治への関心は高いですが、それでも、ギリギリまで、なるべく離れていようという意志は見られます。ですから、陛下があなたの件をアンソニーに任せたのは驚きでした」
思えば、ワグレイト公爵邸へ、私に会いに来た時はすでに、そういう話が付いていたのだろう。王太子として、”伝説の令嬢”の件を丸く収めるように、と。
だから魔法も調べたし、私を気遣ったのだ。もちろんそれは、リアンなしには考えられないだろう。自分の右腕となってほしい、信頼する”腹心の友”であるリアンが関わっているから。
「なるほど……それでわかったわ。腹をくくったのね。私に自由に生きてほしいって言ってたもの。今は”伝説の令嬢”としてすべきことがたくさんあるけれど、それが終わったら、何してもいいって。私の選択を尊重して、リアンのメイドになってもいいっていうのよ! 私、なってもいいかしら?」
「嬉しいですけどね……それこそ、僕の婚期が遅れます」
「あら、どうして?」
「僕が……結婚したくなると思いますか?」
「でも、その気なんでしょう? だからお茶会だって、舞踏会だって……」
「いえ。もうやめました」
「え?」
私は顔を上げてリアンを見た。端正な横顔がぼんやりと見える。どうも目がおかしいようだ。目を瞬かせてみたが、無駄だった。リアンの表情がよくわからないほど、私の目は霞んでいる。これはおそらく、頭を使ったせいと、鏡の呪いのせいだ。これはリアンの願いを叶える前に、私、死んでしまうかも?
「……あまり言いたいことではなかったのですが」
「何?」
「お茶会に参加するのをやめます」
「あら……それじゃ、舞踏会に専念するの?」
「いいえ。諦めようと思います」
リアンのきっぱりとした物言いに、私は驚いて反論した。
「諦めるにはまだ早いわ」
「成果が見られませんので。結局、あなたへの話題提供が関の山です」
「……そう?」
確かに令嬢たちの話は面白いと思っていたことは認めよう。でも、仲良くしていたようなのに?
「ソフィアもわかっておいででしょう。僕は代理でアンソニーのお相手探しをしていると言われているんですよ。アンソニーには頼むぞと笑われるし……キースだって笑っていましたよ、同じ話をしているのに、どうして僕だけがそう取られるのだと。キースは自分の相手探しだとちゃんと思われているのに」
私は首をひねった。
「……アピールが足りないのかしら?」
「かもしれませんね。とにかく、……やっぱり、これ以上は無理なのだと」
「どうしてかしら。リアンはこんなに素敵なのに……結婚相手には申し分ないと思うわ」
すると、リアンはため息をついた。
「そうですか」
「なんでみんな気づかないのかしら?」
「あなたはどう思っているんですか?」
「どうって……リアンが本当に結婚したくないのなら……それなら、しなくても、……仕方ないのかもしれないけど」
そもそも、爵位を継いだって、独身主義の人は多数いる。デボラがいるし、血縁者もそれなりに優秀な人がいるのだから、そこまで気にしなくてもいいかもしれない、と私は考えを改めた。もしかしたら、それが一番の願いなら、私が同意することで願いが叶うかもしれないわ。
「前にもあなたは言っていたものね。デボラだって勉強を始めたし、かなり吸収は早いみたいだもの。きっと彼女が継いでも、良い領主になれるでしょう。それが無理なら、別に養子を取れば済むのだし」
「では、僕が爵位を継がずにいても、失望しませんか?」
「そんなことはないと、前にも言ったはずよ。爵位を継いでも継がなくても、リアンはリアンだもの。あなたこそ、私が”伝説の令嬢”ではなくなったら、興味なくなるのでしょう?」
「それこそ、僕も前にも言ったでしょう。どこにいたって、僕はあなたを見つけますから。あなたはあなたです。今、目の前にいるあなたが全てです」
「そしたらやっぱり、私はメイドになっていいの?」
すると、リアンはあははと笑った。珍しい。
「それなら、僕は執事になりましょうか。前に、あなたが僕に似合うとおっしゃっていましたから」
そんなこと言ったかしら。
「リアンが? 執事? ……なんだか頼りになりそうね……」
すっごい厳しそうだけど……
リアンのそばにいられるのなら、それでもいいかもしれない。鏡の願いを叶えることはできないかもしれないけど……いいえ、それではダメなんだわ。リアンには未来があって、もっと出世して、素敵な家族に囲まれるんだ。それがリアンの幸せなんだから、……私が足かせになってはいけない。もっとも、それは願い事とは別だ。まさか不幸になりたいだなんて、思ってるとは思えないから、当面はそれを進めながら望みを探っていくしかない。
「でも、リアンはアンソニー様の側近だもの、すでに同じようなものでしょう?」
「全く違いますよ。王宮にはあなたがいませんから」
「まぁ、それじゃ、私と職場を同じくしたいってことなのね」
それがリアンの願い事? 逆に王宮に侍女として入ったほうがいいの? それともむしろチャーリーと結婚したほうが?
どちらにしろ、同じ職場なんかになったら、それが望みなら呪いが解けるし、違っていても私のできなさっぷりにがっかりするだろう。まぁ、がっかりなど今までいくらでもしているだろうけど。
「それなら、もれなくリアンは私に失望するんだわ。もう何回させてしまったかしら?」
リアンが目をパチクリさせた。
「失望などしたことありませんよ?」
「そう……? それじゃ、これからね。これから、きっとするわ」
「することなんてないと思いますよ。あなたがそう思う場面はこれまでに何度もあったのでしょうが……、僕には何の問題もないです」
私は目を閉じた。言葉の意味が繋がらなかった。
「何を言ってるのかわからないわ」
「……眠そうですね」
眠くて目がくっつきそう。ううん、もうくっついてしまった。開けられない。
「そうね……もう目があかないわ……きっとデボラと遊び疲れたのね。早く部屋に戻らないと」
「お連れしますよ」
リアンはいうと、私をさっと抱き上げた。
「な?!」
体が軽くなり、驚いて目を開けると、リアンの顔が目の前にあった。
「リアン?! 大丈夫よ、歩けるわ」
「いいえ、ダメです。目を開けられないくらい眠い人が何を言ってるんですか」
「でもね」
「問答無用です」
言うと、リアンはそのまま、私の部屋へ向かって歩き始めた。
その後、おそらく、デイジーの手によって、私はベッドに入った。のだと思う。寝てしまっていたので覚えていないから。
でも、直前まで様々な話をしていたせいか、ひどく曖昧で不安な夢を見てしまった。
脈絡はない。ただ、暗闇の中で、声が響いていた。
『申し分ないのなら、……それなら、どうして、僕を選んでくれないのですか』
鏡が私に、何度もそうやって問いかけるのだった。
100話まで続けることができました!
読んでくださって、どうもありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします。