10 月の下で
夕食をとり、ブルータスがリアンの伝言を携えて馬車を公爵家に走らせた後、リアンと私は、ドローイングルームでひとまずくつろいでいた。
会話があまり続かなくなり、眠そうに欠伸を噛み殺したリアンが、その眠気を吹き飛ばすように私を見た。
「本日はどういたしますか」
「どうって?」
「お泊りになる部屋です。僕の部屋は作ってもらっているので、問題はありません。あなたはどの客室になさいますか。・・・どの部屋でも結構ですよ。あなたの家なんですから」
私は考えもせず、即答した。
「私が過ごす部屋は決まってるわよ。もちろん、私の部屋」
「あなたの?」
「そう。名前が付いてたでしょ」
私が言うと、リアンは目をパチクリとさせた。
「『ソフィアの部屋』なんでしょう。案内していただける? 場所はまだわからないの」
「あぁ、・・・ええ、喜んで」
リアンはホッとしたような魅力的な笑顔を見せると、すぐに立ち上がり、私に手を差し出した。もちろん、私はその手を取った。そうしないと、伝説の聖女らしくないじゃない?
リアンに先導され、私は『ソフィアの部屋』に、再び足を踏み入れた。見慣れているのに、初めて見るような光景だ。確かめるように歩く私の後ろを、リアンが心配そうについてくる。さすがに歩くのはしっかりしているはずなんだけど。そして、クローゼットの前に立った。
そう。私は知っていた。
「この部屋は私の部屋という想定で作られているけれど・・・このクローゼットの中も、すべて、いつでも使える状態にしてあるのよ」
「まさか」
「本当。ベッドだって、ルイスの代になってから毎日メイキングしてくれていたのよ」
「そんなこと・・・」
「今の流行のドレスに靴、化粧品に宝石。私のことを考えながら、二人は選んでくれたの。私ね、思い出したわ。一度、ルイスとは目があったことがある。私はコールと呼んでいたけど、ルイスというのね」
私のしみじみとした言葉に、リアンは返事をしなかった。私だって、聞かせていたわけではなかった。私の独り言だ。
「ほら。素敵でしょう」
言いながら、私は、今まで、誰のためにも開かれたことのないクローゼットの扉を開けた。掃除のためにしか開けられていないその中は、古いものから順に並んでいた。
「私が着ていたものは、もうボロボロね」
「・・・ソフィアが着ていた服ですか」
私が手に取ったボロボロではあるが大切に保管されている服を見て、リアンが目を丸くした。
「そうよ。お気に入りだったわ、これ」
「・・・本当に・・・現実なんだ・・・」
「信じた?」
「もちろん、信じてはいましたよ。でも、実感がなかなかなくて」
「そうよねぇ・・・、ねぇ、明日のドレスを選んでくださらない?」
「明日の?」
「この中から選んで欲しいの。私を助け出してくれたあなたに。そうね、・・・当主代理が私にと選んでくれたものを」
「わかりました。・・・そうですね。こちらはどうでしょうか」
リアンが選んだそれは、淡いブルーと白の細い縦ストライプのドレスだった。上半身はすっきりとフリルも少ない長袖で、反対にスカートはたっぷりとギャザーを寄せてありふわりと広がっていた。
「随分と爽やかなのがお好みなのね」
意外だ。ロマンチストそうに見えて、現実的か。
「・・・おしとやかに見えて、そうでもないそうですから、動きやすい方が良いかと思いまして」
「あら。ずいぶんと考えてくれるのね」
「それはそうですよ」
「さすが、連れ戻してくれた責任者」
「ソフィア」
揶揄した私を、戯れのようにリアンが叱った。冗談めかして視線をずらすと、外が見えた。
「あ、月。この部屋からはこんな風に見えるんだ」
「満月ですね」
「暗いわ。・・・でも、明るいわね。鏡の中のように、真っ暗じゃない・・・」
私はドアを開けてバルコニーへ出た。
月明かりを浴びるように影ができる。綺麗だ、この景色。私が憧れてた景色だ。みんなでそんな話もしたっけ。よく覚えていたな。
私が物思いにふけると、不意に腕を掴まれた。
「どうしたの、リアン」
「・・・消えてしまいそうで」
「月の光に? まさか」
「でも、・・・お願いですから、僕の前からいなくならないでください。この先ずっと」
リアンの真剣な眼差しに、私は困ってしまった。鏡の中に消えたことのない人なら、きっとちゃんと約束できるだろう。でも私は、完全にイレギュラーな人生を来てしまった。消えるか消えないか、私にもさっぱりわからない。
「ずっと・・・? それは・・・してあげたいのはヤマヤマだけど、・・・鏡の影響って、どうなるかわからないから、・・・正直、約束はできないわ」
「ソフィア・・・」
なんだろう。泣きそうな顔をしている。
「そんな顔、しないで。心細いのはわかるわ。私だっていなくなりたいわけじゃないの・・・そうね、わかったわ。決して、私の意志ではいなくならない。何があっても、リアンのそばにいる。えーと、・・・鏡の影響や自然の摂理で、私が消滅したり鏡に吸い込まれたりしない限り。それで、いいかしら?」
「いいんですか」
「何言ってるの。そうして欲しいと言ったのは自分でしょう」
「ですが・・・」
「もちろん、あなたが必要とするなら、よ。その限り、あなたが結婚しても遠くへ行っても、私はあなたのためにここにいる。そうでなければ、私はお払い箱ってわけだけど」
肩をすくめた私に、リアンはひどく優しく微笑んだ。
「そんなことにはなりませんよ」
「そうかしら」
「ええ。僕にはずっと必要な人です」
とろけそうな甘い響きに、私はすっかり魅了されてしまった。どうなるのか不安だったけれど、そう言ってくれる人がいるのなら、新しい立場でも頑張れそうだ。
「そんなこと言わなくても、疑うことはないわよ」
「本当に・・・、あなたに会いたかったから・・・,」
言いながら、リアンは私をじっと見た。月明かりが幻想的にリアンを照らした。頬が青白く光り、茶色い髪が銀色に見える。私が想像していた吸血鬼にそっくり。私は思わず笑ってしまった。すると、リアンがハッとしたように口に手を当てた。
「あ・・・、ソフィア、肌寒いんじゃないですか。部屋に戻りましょう」
「ええ、そうね」
私はリアンの言葉に素直に従い、腕を引かれるままに部屋に戻った。
「もう遅いですから、・・・僕はこれで」
「今日はありがとう。何から何まで、本当にありがとう。・・・こんな状況で、なんて言ったらいいかわからないけど、・・・残りのことがすべてうまくいくといいと思うわ。私も協力する。そのために呼ばれたんだものね」
私が言うと、リアンは寄ってきて私の手をとった。
「・・・僕が会いたかったんです」
そしてそのままリアンは頭を下げるようにしてかしずいた。私の手の甲にそっと口付ける。優しい笑顔でささやくように言った。
「・・・明日の朝、またお迎えにまいります」
そのまま、私の部屋から出て行った。