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鏡の中  作者: 霞合 りの
第一章
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1 鏡の中の長い長い闇

 暗闇の中を明かりを求めて歩く。窓の向こうは明るい世界。音もなくただ見るだけ。


 私は鏡の中にいた。ずっといたわけではなくて、十六歳の時に、突然吸い込まれたのだ。


 もうずっと昔のことだから、記憶もおぼろげだけれど、私は、貧乏貴族の家系に生まれ、両親と弟、そして数人のメイドたちと静かに暮らしていた。


貴族であるから、礼儀作法と教育はみっちり仕込まれたけれど、何しろ貧乏なため、正直、手に職が必要だった。当時十二歳だった弟には商売の素質があり、商人に成るべく勉強しようと意気込んでいたのもあり、私は予てから書物が好きだったので、代筆屋か、弟の商売を助けるべく書類作成をするような仕事をしようと考えていた。


それだけだったのだ。なのに、なんでこんなことになったんだろう? 


私がいる鏡は、弟から誕生日にと贈られたものだった。


弟には勉強のためにとちょくちょく顔を出している商店が幾つかあり、とても可愛がってもらっていた。そのうちの一つの店が仕入れた、国外からやってきたという美しい鏡は、経緯のわからない商品で、とりわけ、鏡は呪いにもよく使われることから、見た目にしては破格の値段だった。それに、弟は飛びついた。私が思うに、そもそもそれ自体が、仕組まれていたことだったんじゃないかと思う。


鏡の中にいる間によく考えた。本当によく考えた。


私はもとより、両親も弟も恨まれるようなことはしていない。多分。


家系的にさほど重要でもない貧乏貴族。財産もない。そんな私たちに何の恨みがあるっていうの? この鏡のおかげで、私は行方不明、目の前で見ていた弟はあまりのショックで私のことをほとんど忘れ、両親はそんな弟をケアしながら私の捜索をするという大変な苦労をさせてしまった。


だから考えて考え抜いて、ふと気がついた。


弟が記憶を取り戻し、鏡を前にこの家を繁栄させると誓い、家族が私を諦めて弟の子孫がその誓いの通りに繁栄し出した頃。


私の図書館仲間で、とりわけ意見を熱心に交わしていた相手が、事もあろうに、王太子だったということに。そして、その王太子が、どうやら私にご執心だったらしいこと。友達ではなく、恋愛の意味で。


私には、思いもよらないことだったけれど、冷静に考えると、いろいろ気がつくところがあった。十六になれば結婚できる。どうやら、申し込み直前だった模様。


弟が記憶を飛ばしている中、弟から必死で私のことを聞きだそうとしている王太子。王家から私の所在を直接尋ねられて困惑する両親。


私は、この鏡の中からずっと見ていた。あの時はただ呆然と見ているだけだったけれど、それでも、記憶には残っていた。


そして理解した。王太子と結婚したい誰かが、私を邪魔と感じて、消してしまおうとしたのだと。


ひどいものだと思った。


私は結婚なんてするつもりはなかった。


代筆屋や事務員になって、一人で食べていけるようにするつもりだった。家は弟が継いで、私は家から出て、どこかで気ままに。


素敵な男性と出会えれば結婚したかもしれないけれど、そもそも王太子のことをそういう目で見たことはなかったし、書物の前では肩書きなんて消え失せてしまう。


そんな女が王妃になんてなれるはずもない。なりたいつもりもない。ただ、私の礼儀作法は完璧で、それが逆に良くなかったのかもしれない。


何しろ、両親は、『貧乏貴族だからって礼儀がなってないとは言わせない』と意気込んで、それはそれはみっちりと私と弟に仕込んだのだ。それは弟にとってはとても良かった。にじみ出る品位と礼儀正しさに、他の貴族達も弟と商談をしたがったのだ。おかげで良縁に恵まれ、とても幸せに過ごした。


私のことを除いては。


弟は記憶を取り戻してからは罪悪感に苛まれ、そのことでさらに財産を築き、立派になった。やや立派になりすぎたほど。私のいるこの鏡は、忌み嫌われてもいいはずなのに、逆に、家宝として大事に保管され、居心地のいい部屋を私の部屋としてその壁に掛けられた。


『家宝の鏡の部屋』と今では呼ばれている、誰も入らないけれど大切に保存され、掃除も厳かに行われている部屋は、確かに私が好きな内装で、よく覚えていたものだとホロリとした。そして弟は時折、この部屋で泣いていた。


 鏡の中から見ることしかできなかった私は、そんな弟が不憫で、どうにかならないかといろいろ考えて、鏡の中を歩き回った。歩き回って歩き回って、気がつくと、家中の鏡の中を自由に移動できることに気がついた。


おそらく、壁に掛けられ、大切にされ、私が願ったから。


随分と、不思議な鏡だ。私はその鏡の中を渡り歩き、とても楽しかった。声は聞こえないけれど、人の移ろう姿が劇場をずっと見ているようで、心が奪われた。行ったことのない舞踏会やお茶会に出ているようで。


 ある日、弟が居間でしている商談の書類に、穴を見つけた。知らせたくて慌ててドンドンと鏡を叩いたら、なんと、居間の鏡を動かすことに成功したのだ。鏡が動き、気が削がれたおかげで、弟は冷静になって商談の穴を見つけることができた。その時、弟は、私がただの行方不明ではなく、鏡の中にいると気がついたのだった。弟は涙を流して喜んで、それ以上にさらに大事にするようになった。


 でも、私ができることはそれまで。鏡をちょこっと動かすだけ。それも、危機的状況な時。おかげでこの鏡は特別な家宝になってしまった。鏡の中の私の存在は秘匿されて、当主やそれに準ずる人にだけ伝えられることになった。らしい。


 それだけのことだ。


私のいる鏡はまだ、大事にされていた。


もちろん、弟ももうずっと前にいなくなり、私を信じない人もいるし、いつか打ち捨てられるだろうと思う。その時には、鏡が割れて、私も共に死んでいけるといい。どこかにしまいこまれたままなんて、考えただけで身震いする。


ただ、その日を待つ。それだけ。


ただそれだけだった。


つい、さっきまで。



次から話が進みます。

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