ゴブリン編 外伝 邂逅
本編とは語りが違う関係上、ところどころ相違があります。心理的な違いで収まらないだろう、という矛盾があればご報告いただけると嬉しいです。
ある日変わった小鬼との出会いをきっかけに、あたしの”普通”は一変した。
もともと”普通”という言葉がぴったりくるような人生だった。
強いてそうではないことを上げるとすると、ただの町娘として生まれたにもかかわらず冒険者に憧れたことだろう。それも、多少は珍しいだろうが少し耳をそばだたせれば、どこの町でも聞けるような中途半端な珍しさだ。
それでもあたしは、憧れを消せずに十四歳になった翌日に家を出た。両親には何も言っていない。
いつか出ていく旨は昔から言っていたうえ、そのたびに反対されていたからあたしがいなくなっても、ついにか、と思われるだけだろう。
家を出たその日に町も出た。
あらかじめ装備や旅に必要なものはそろえていたし、ギルドへの登録も完了していたからだ。冒険者になるという憧れを消すことはなくとも、いつ家族に会うともわからない場所で冒険者をしていられるほど、強い決意をしていなかったという事だ。後になって思ったが、家族を説得してでも冒険者になりたいと思えるほど熱意があったわけでもなく、ただ自分の決意を鈍らせるのが怖くて家族から逃げたのだろう。
そのずっと抱えていた懊悩を悪いことだと考えなくなったのはアイツに出会ってからだ。
それまでは、中途半端な決意で町から逃げ出したことへの、罪悪感のようなものを抱えていた。うまく説得できなかったのは、あたし自身が家族を理解しようとせずに、そのことに向き合おうとしない自分の弱さに向き合えなかったことが原因ではないか、そんな風に思い悩むことがあった。
冒険者として旅を続けているときも、そのことに気付かないふりをしている自分の弱さを感じていた。
あてはなかった。とにかく生まれ育った町から、家族から離れることしか考えておらず、細々と採取や簡単な討伐の依頼を受けて日銭を稼いで次から次へと町を転々とした。
そんな生活をしているとき偶然、臨時でパーティーを組むことになったのがイヤンテだった。
性格は違ったが、性別も年齢も同じという事で興味を持ったというのもあるが、この年で生まれ育った町を離れて冒険者になっている彼女を見て、自分と同じようなものを感じたのだ。おそらく訳ありなのだろうと。
そしてイヤンテもあたしに対して似たようなものを感じていたのだと思う。そんな共通点もあり、しばらくは同じ町でパーティーを組んで依頼をこなし、どちらからともなく一緒に町を出ることにした。
二人で旅をするようになって二か月ほどたったある日、あたしたちはアイツと出会うことになった。
その時のあたしたちを思い返せば、あんな風に旅を続けていれば近いうちに魔物か盗賊にやられていただろう。町を出て数ヶ月、そんな目にあってこなかったのはひとえに運が良かっただけなのだと、アイツのもとで狩りをしているとつくづく思う。この時のあたしたちは、最底辺の魔物を討伐したぐらいで自分の実力を勘違いしていた。
「いつまで歩くのよ、これ」
「無駄に喋ったら余計疲れてイライラするわよ」
いつものように代わり映えしない街道の風景にあたしが文句を言い、イヤンテがたしなめる。この二ヶ月街道を歩く時のお約束になりつつある会話だ。
「誰よこんな村もないような道通ろうなんて言ったやつ」
「二日前のあなたでしょう、こっちの方が近道だなんて言ってたの」
「そうなんだけどさぁ」
いつもより長く愚痴が続いた。
前回滞在した町で聞いた話が確かなら、次の町まであと三日ほどかかるはずなので、こんなところで愚痴を言っても仕方がないことなのはわかっている。しかし、この道は特に人通りもなく魔物の痕跡も感じられないため、つい愚痴が増えてしまった。
こんな会話をしているときに、魔物に襲われたことはもちろんある。それでも一角兎や小鬼など、ここら辺に出てくるような魔物は、隠密も奇襲も頭にないようなものばかりなので問題なく迎撃できていたし、会話しながらもお互い周囲への注意を絶やしていなかった。
「キャァ」
「ッゥ」
そんな話をしているときに太ももの裏に痛みを感じ、すぐに振り向きつつイヤンテの方を確認すると矢のように小さな剣が腰と二の腕に刺さっていた。あたしにも同じものが刺さっているのだろう。
絶やしていないと思っていた注意は全然足りていなかったという動揺はあったが、今は敵を排除するのが先だ。
『グギャ』
『グギャグギャ』
「小鬼!?」
「なんでっ」
一番最初に浮かんだのは驚愕だった。
小鬼が音もたてずに投擲物で攻撃してくるなど想定しておらず、てっきり盗賊や野盗の類だと思ったからだ。
そんな動揺が抜けないあたしのところへ鉄剣と盾を持った他より大柄の小鬼が、イヤンテの方には短剣を持った通常サイズの小鬼が向かってきた。
そいつらに対応していると、後方の三匹の小鬼が再び投擲物を投げてきた。あたしに向かってきたうちの一本は革鎧で防げたけれど、もう一本を肩口に受けてしまう。
『グギャ』
後方にいた小鬼が声を上げて、こちらに槍を突き出してきた。
「こいつらかなり頭いいわ」
「逃げるべきよ」
『グギャ、グギャァ』
ちらりと退路を確認したイヤンテに投擲物が向かい、槍を持った小鬼は鉄剣持ちの小鬼と一緒になってあたしを攻撃してくる。
そこから、互いに決め手に欠ける攻防を続けていると。体が鈍くなっているような感覚を覚えた。
「グゥッ、なんか体が重いんだけど」
「な、これ毒矢だったの!?」
イヤンテがすぐ原因に思いつき声を上げる、最初に投げてきた小さな剣に毒が塗られていたようで、小鬼たちをけん制しながら慌てて抜こうとする。
『グギャ!』
しかし、槍持ちの小鬼が叫ぶと顔にめがけて石が飛来し、思わず剣を持っていない左手で顔をかばうと対峙していた鉄剣持ちの小鬼が体当たりしてくる。
「くっ、こいつらっ」
「きゃっ」
上手く持ちこたえられず地面に転ばされてしまう。倒れてからも腰に抱き着き続ける大柄の小鬼を、剣で突き刺そうとするが槍を持っていた小鬼が右腕に絡みついてきた。
『グギャ』
強く右腕を極められ剣から手を放してしまった。そのタイミングで絡みついていた小鬼が一鳴きした。イヤンテの方を見やると、彼女も小鬼たちによって地面に組み伏せられていた。
「ぅぅ、はなせ」
「くぅ、離れなさい」
必死に暴れるが、腰にしがみつく小鬼は体格が近く力もあり、腕にしがみつく小鬼はこちらが力を入れにくいような体勢を強いてくる。イヤンテも体格では劣るものの、三匹もの小鬼に組み伏されて思うように動けていない。
そのまましばらく暴れていると徐々に体の力が抜けていく。
『グギャァ』
右腕に絡みついていた小鬼が一声上げると拘束が解かれ、ろくに動かせないあたしたちの体を抱えて森の中へ入っていく。
声を上げた小鬼だけがその場に残り、しばらくするとあたしたちの背嚢を抱えて森へ入ってくる。
その小鬼が、抱えていた背嚢からロープを取り出すとあたしたちの手足を縛っていく。舌もあまり動かなくなっていたので、思いっきり睨んでやったが素知らぬ顔をして縛られた。
『グギャ、グギャァ』
あたしたちを縛り終えると、小鬼は声を上げて上半身に羽織っていた毛皮を脱いでいく。
その様子を見て、ついにか、小鬼なんかに、なんでこんなことに、様々な言葉が浮かんだが一番強かったのは、嫌だ、だった。
小鬼討伐は何回か経験があったが、その中でも一度だけ小鬼の巣を討伐する、他よりも少し規模の大きい依頼を受けたことがある。
討伐そのものは順調に進んだが群れが巣くっていた洞窟の奥に、ぼろ雑巾のようになった女性が一人いたのだ。話ではまださらわれて日が経ってないとのことだったが、その言葉が何の慰めにもならないほどひどい状態だった。
それでも、その時一番強く思ったのは、明日は我が身かもしれないという恐怖でもなく、こんな非道なことをする小鬼への嫌悪や憎悪でもなく、その女性への同情だった。女が小鬼につかまれば犯されるということを、現実として見ていたにもかかわらずこんな状況になるまで、その事実を他人事として認識していた。
これはその慢心への罰なのだろうか。
そんな風に身を震わせていると、小鬼たちは脱いだ毛皮を地面に敷いてその上にあたしたちを乗せ、さらにロープで縛っていく。
予想と違った流れに頭が追い付かずぽかんとしていると、小鬼はさらにあたしたちの背嚢を漁りだす。その中から下着を取り出すと、しばらく考えて背嚢に戻し新しく取り出した布であたしたちの目や口をふさいでいく。
『グギャ、グギャ』
何も見えなくなったところで小鬼が声を上げ、複数の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。その後ゆっくりと引っ張られて移動しているのがわかる。
どれほど時間が経ったのか、何度かの移動と停止、戦闘音らしきものを聞きながら引きずられていると、複数の足音がこちらに向かってくるのがわかった。
『グギャァ、グギャグギャ』
そのまま長い時間引きずられ続けて、多くの小鬼たちの声と生活音が聞こえたところで、体を覆っていた毛皮から解放され足のロープを外される。目隠しなどはそのままなので、ロープらしきもので手を引かれながらいまだに鈍る足でしばらく歩かされる。
その場から少し歩かされたところで、後方から扉が閉じられる音が聞こえた。いつの間にか建物の中に連れ込まれたみたいだ。
「んむぅぅ」
「んうぅぅ」
聴覚だけで周りを伺っていると、首筋からロープが這う感触が伝わり思わず布越しにくぐもった声を上げる。暴れようとするが、小鬼たちに押さえつけられ首にロープをまかれてしまう。おそらくイヤンテにも同じことが行われているのだろう。
小鬼がとるには奇妙すぎる行動に恐怖していると、口をふさいでいた布が取り払われる。
「な、何するぅ、んむぅ」
「いや、触らなぃ、ううぅ」
布がとられたかと思うと、口に何かを突っ込まれて液体を飲まされた。とっさのことで吐き出すこともできずに、苦いような酸っぱいような味の液体を飲み干した。こんな狡猾な小鬼が飲ませるようなものへの恐怖が沸き起こる。
その後、目隠しと装備を外されると小鬼たちは小屋から出ていき、しばらくイヤンテと二人きりになる。
「なに飲まされなのかしら、あれ」
「わからないけれど、今のところ何もないから即効性の毒ではないでしょうね」
「……やっぱり犯されるのかな」
「残念だけど、そうしない理由がないわ」
奇行が目立ったが相手は所詮小鬼だ。
これからのことを考えると心が押しつぶされそうになる。イヤンテも気丈に振舞ってはいるが、似たような心境だろう。だが、小鬼たちの前で弱っている姿は見せられない、そう決意を固めていると小屋の扉が開き一匹の小鬼がツボを抱えて入って来た。そのツボをあたしたちの近くに置くと引き返し、今度は食事らしきものを目の前に置いてくる。その小鬼はあたしたちから離れたところで自分用の食事をとり始める。
「どう思う?」
「怪しい以外にないでしょう。小鬼が持ってきたものよ」
目の前に置かれた食事を放置し、離れたところで食事をしている小鬼を観察する。向こうはこちらに注意を向けずに、ただただ普通に食事をしているように見える。
何を考えているのだろうか。やはり食事に何か入っていてそれを食べるのを待っているのだろうか。そう思ってだされた食事を警戒していると、それまで食事をとっていた小鬼がおもむろに立ち上がり、あたしたちの食事を一口食べてまた元の位置に戻った。
「何も入ってないってこと?」
「でしょうね。……食べて大丈夫だと思う?」
「多分だけど大丈夫、かな」
「そう、なら食べましょう」
イヤンテは決断に迷うとよくあたしに選択をゆだねる。
自分は理屈で考えすぎるため決断が遅くなり、それは冒険者として致命的な遅れになりかねないので、そういった場合は決断を任せるのだといっていた。
その結果食事を食べることになったが、食べてしばらくしても特に異変はなく、小鬼もその様子を眺めていただけで特別なアクションは何もなかった。本当にただの食事を持ってきたらしい。
小鬼につかまったからには犯されるものだと思っていたが、この対応を見るにそのつもりはないと考えるべきなのだろうか。
結局その日はお互いに何もせず、静かに過ごし日が暮れると小鬼は小屋から出ていった。その夜は、いつもの野営のように交替で寝て、とっさの事態に対応できるようにしていた。
翌日、小屋の窓から漏れる光で目が覚めた。
それから数分ほどで、昨日と同じだと思われる小鬼が再び食事を持ってきた。
「さっさと犯すなら犯しなさいよ」
と、小鬼に向かって挑発的に言葉を投げかけるが、特に反応することもなくあたしたちの前に食事を置くと、少し下がった位置で自分の食事を食べ始める。その反応に鼻白み、不貞腐れながら食事を食べ始める。
「なんで自然に食べ始めてるのよ。昨日は油断させるために、なにも入れてなかっただけかもしれないじゃない」
「そうだけど、私たちに何か飲ませたいなら昨日みたいに無理やり飲ませられるじゃない」
「それはそうだけど……。ああ、もう」
そういうと、イヤンテは不機嫌そうに食事に手を付けた。昨日と同じで体に異変はなく、小鬼もなにをするでもなく小屋に留まり、日が沈むと出ていった。
それから四日後、いつもの小鬼がこれまたいつものように食事を持って入ってくる。
「やっと来たわね」
「毎度ご苦労なことだわ」
あれからも、小鬼の対応に変化はなくよくわからない扱いだが、食事や水浴びが保証されており交替での睡眠もやめたため、冒険者としての生活よりも健康的で安定しているかもしれない。そんなこともあり、この小鬼とはかなり距離が近くなった気がする。
それでもこの対応の理由もわからず、ある日あっさりと犯されるのではないかという考えは、今でも頭の片隅でその存在を主張している。そんな不安を抑え込めていると、食事をとり終えた小鬼がおもむろに近づいてきて、指で地面によくわからない模様を描いてこちらに視線を投げかけた。
「なにこれ」
間の抜けた顔でそうつぶやいた。
今までも奇妙な行動を繰り返していたが、今回のものはこちらに対して明確なアクションでありながら、そうつぶやくほかにないような行動だった。
「小鬼」
その模様の意味に困惑していると、目の前の小鬼は自分を指さしながらそう言った。
「なにこれ」
驚く暇もなく、今度はあたしたちを指さしながらそう言った。
小鬼たちに奇襲された時よりも、小屋に連れ込まれて謎の液体を飲まされた時よりも驚いた。イヤンテの様子を見るまでもなく、あたしと同じ反応をしているのだろう。
「なにこれ」
反応を返さないあたしたちに業を煮やしたのか、もう一度同じことを言いながら視線を向けてくる。
「えっと、人間」
いまだに頭の整理はついていないが、一応種族名で返答してみる。小鬼はその返答を聞きイヤンテの方にも視線を向けた、やがて自分が望む答えだったのか一つうなずくとあちこちに指をさしては同じ質問をし続けた。
その日は質問攻めで一日が終わり、いつも通りに日が暮れると小屋を出ていった。
「あたしたちを犯さなかった理由って、あれのためなのかしら」
「多分ね。それにしてもあの小鬼頭が良すぎない? まるで人間が中に入ってるみたい」
「確かに賢いけど上位種か変異種じゃないの。ホブゴブリンとか御頭小鬼みたいな」
「上位種や変異種はほとんどが通常種に比べて体格が大きくなるわ。そう考えるとただの小鬼にしか見えないのよね」
「『統率』のスキルとかを持ってるってこと?」
「それもあるかもしれないけれど、技能が原因ならもっと特殊なやつでしょうね」
「まあ、普通の小鬼につかまって犯されるぐらいなら、賢い小鬼に言葉を教える方がいいじゃない」
「もう、相手が賢いってことは逃げにくいってことよ。わかってるの」
「それもそうだけど、しばらくは安全そうなんだから、アイツに言葉を教えた方が隙を伺いやすいわ」
「一理あるけど、あなたが向こうに取り込まれたら意味ないんだから注意してよね」
「小鬼になんて取り込まれないわ」
「なら、いいんだけど」
小鬼が出て行ってしばらく話していたが、やがてどちらともなく眠りについた。






