ゴブリン編 死闘
それからひと月ほどたち、カタコトでのコミュニケーションが可能になってきた今日この頃。
今日は二人を廃村内で散歩させている。
もちろん二人の両足には、歩くことには支障がないが走る場合は枷になるほどの長さのロープを結んである。
その様子を俺は元オサとともに井戸に待たれかけながら見ていた。ちなみに飲み水やら水浴びやらの水はこの井戸を利用している。
「明日ハ警備ノ人数ヲ各所二体ズツ増ヤシテオケ」
「ハイ」
明日に向けての準備を指示しておく。
無駄になってくれると嬉しいが、いずれ不測の事態として起こるよりも、準備したうえで人為的に起こして経験しておいた方がいいだろう。
オサになった当初は、俺が直接全体に指示を出していたが少女たちからの情報収集をするにあたって、主に俺とパーティーを組んでいた小鬼たちを挟んで指示をすることが増えていた。
俺を頭脳として部下を通じ群れ全体への情報伝達を行うことで、自分の時間を作れるうえ群れにおける俺の重要性はさして変わらないので、小鬼たちが俺の手を離れる心配もない。そうなってしまったら、ひ弱な小鬼としてたった一人でこの世界を生きていかなくはならないのだから何としても避けなくてはいけない。
俺と群との関係は共生や共依存なのだ。
そしてその群れを守るために、明日を乗り切らなければいけない。
しばらくそのまま過ごし、夕方ごろ二人を小屋に戻しその日はそのまま就寝する。
コミュニケーションをとるようになってからは、俺もこの小屋で寝泊まりしているのだ。それもこれも明日への布石なのだが。
翌朝俺は、食事を取りに小屋を出るタイミングで、寝ぼけたふりをして二人の手の届く範囲に毒の塗っていないダートを落としていく。
ダートは毒を塗って使用するため、かすっただけでも効果が出るように、突き刺す形ではなく先端を刃のように切れる構造にしているのだ。
そして、戻ってくるまでに時間がかかるように見せるため、トイレ用のツボを一緒に持って小屋を出た。
『あれ、普段あいつが持ち歩いてるやつよね』
『さっさとロープを切って逃げましょう』
『えっ、でももし捕まったら今度こそ犯されるんじゃない? 今はおとなしくしといたほうがいいんじゃ』
『だったら一生ここにいるつもり? 今の状況がいつまで保証されてるかもわからないんだから、早く逃げるべきよ』
『でも、武器もないのに森を抜けるのは難しんじゃない』
『二人ががかりなら一角兎ぐらい殺せる。その角を、適当な枝にでも括り付けたら武器になるわ。わかったらさっさと逃げるわよ』
『う、うん』
当然逃げる展開になったか。まだ完全にわかるわけではないが、そんな会話を小屋の裏で聞きながら小鬼たちに追跡準備の指示を出す。
しばらくすると、小屋の扉が少し開き元短剣少女があたりを伺い、近場に小鬼がいないことを確認すると元戦士風少女とともに小屋から出てくる。
二人は太陽とは反対の方向へ進んでいく。
まずい、なぜ昨日警備を厚くしていた方向へ逃げるんだ。そちらは街道と反対方向であり、かつ魔物が強くなるエリアなのだ。
昨日の警備を見て街道方向へ行くと予想してそちらに人員を集中させていたのに。
『なん……すぐ……めたの?』
『昨日こ……から……ちには行っ……街道……のよ』
『アイツ……から……うい……うかも』
距離があるから聞こえないが、逃げる方向についての解説を行ったのだろう、元戦士風少女が関心するようにうなづいている。
「オス三十巣ノ警備、残リハパーティー単位デ着イテコイ」
大声で指示を出して、少女たちを追いかけ始める。
『や……たみたい』
『森の……むわよ』
ちっ、森に入られて見失ってしまって。
街道発見以降も続けていた探索の結果、こちら方面には人間の存在を感じさせるものがなかったため、彼女たちが人里まで逃げ切る可能性は低いだろう。
しかしこちらは、単独パーティーでは倒せないような魔物たちの縄張りなのだ。しかし、巣を使っての防衛戦なら対処可能だと判断したため、脅威度の高い人間への対処を優先していたのだ。
それなのにまさかこちらから赴くことになるとは。
「二パーティーデ組ミ、声ノ届ク範囲デ捜索シロ」
六組の隊と、あぶれた俺たちパーティーの計七パーティー全四隊で捜索を開始する。
向こうは長い間の監禁生活で、体力も落ちているためすぐに発見できるはずだ。
「ブルァァァァァア」
捜索を始めて数分、底冷えするような咆哮な鳴り響いた。
正面から聞こえたという事は、他の隊が遭遇したわけではないだろう。という事は、少女たちがなにか強い魔物に襲われているのだろう。
会敵してしまっているなら、これまでの時間を無駄にしてしまうとはいえ見捨てるべきか。
だがこのまま人間に見つからないまま過ごしていけるわけではないだろう、そうなった時の推定される人間の戦力とこちらへの対応は知っておかなければならない。
「音ヲ立テズニ近寄リ毒矢デ奇襲スル」
今回の目的は敵の撃破ではなく、少女たちの救出だ。敵に毒を与え、動きを鈍らせてからの逃走でも問題ない。
『ひぃ、助けて』
声の聞こえた方に五十歩ほど進んだ木陰から、勢いよく飛び出し元戦士風少女に近づく獣にダートを投擲する。
獣は、黒い刀角鹿だ。通常の鹿のように枝分かれした角が刃状になっている魔物で、刀角鹿自体は何度か見かけたことがあったが、その時は普通の鹿のような茶色い体毛でこの個体よりも一回りほど小さかった。
そもそも種類が違うのか、状況によって体毛の色が変化するか、性別で違いがあるのかはわからないが、やばい相手であることは間違いないだろう。
「全員敵ヘノ投擲ヲ緩メルナ」
他の隊に聞こえる声で指示を出す。これでじきに増援が来るだろう。
『後ろ、下がる』
次は少女たちに指示を出す。
その間にも黒い刀角鹿は、こちらに向けて鋭い視線を飛ばし動き出そうとしていた。今更確認したが、今回はパーティー全員の五本分のダートが刺さっており、さらに投擲物が飛んできている。
「木ヲ利用シ距離ヲ取ッタママ攻撃」
黒い刀角鹿は、投擲物を煩わしそうにしながらも、無視してこちらに向かって駆けだす。
ダートやフランキスカ以外にも、今回新しく作ったボーラを投げ、足に絡みつかせる。
本来は逃げた少女たち用に準備していたが、こんなところで使い道が出来るとは。
『た、立てない』
『足が動かないの』
足をからめとられて横転した黒い刀角鹿の近くで、少女たちがお互いに縋り付きながらこちらに視線を向けていた。
まさか腰を抜かしているのか。初心者っぽいが冒険者的な立場にあったんじゃないのか。
ちょうどそのタイミングで、別の角度からも投擲物が飛んできた。増援だ。
黒い刀角鹿の意識がそちらにそれた瞬間に、少女たちに駆け寄った。
『あ、あいつの声聞いたら、動けなくなったの』
ゲーム的に言うところの、『威圧』とか『咆哮』みたいな感じなのか。おそらく声で相手をひるませるような効果なのだろう。
離れたところでは効き目がなかったが、この距離で使われると全滅もありうる。そして逃げようにも、肝心の少女たちが動けないときた。
そうして行動を決めかねていると、黒い刀角鹿は自身が傷つくのもいとわずに、刃状の角で足に絡まったボーラを断ち切りその戒めから抜け出した。
「顔ニ攻撃ヲ集中」
顔に飛んでくる武器を、鬱陶しそうに角で払いのけながら立ち上がる。
喉をそらせ息を吸い込む動作をしたタイミングで、とっておきのククリナイフを黒い刀角鹿の目に向かって投げつける。
なぜか森にいたサイのような魔物の角を利用した一品で、今のところその魔物を発見できたのがその一度なのでかなりの貴重品だ。
「キュゥン」
左目をククリナイフで抉られて、咆哮からは考えられないかわいらしい声で悲鳴を上げる。
残る右目だけでこちらをにらみつけ、角を構えて突撃してくる。
そこへ槍を突き出すが、角を振り槍の柄が切断される。
「キュァァァン」
しかし、槍を切り飛ばすために上げた顔に向けてダートが飛来し、残っている右目に突き刺さる。
戦闘が始まってから、かなりの数の投擲物が飛んできていたはずなのでようやくか、と思わなくもないが僥倖だ。
視力を失った黒い刀角鹿は、やたらめったらに角を振り回し暴れている。かなり近い距離なので、少女たちとともに後ろへ下がる。
時間経過によるものか、立ち上がれないまでも多少足を動かせるようだ。
「ブルァァァァァァァア」
両目を封じたことによる気の緩みからか、前足を高く上げ後ろ脚のみで立ち上がり『咆哮』を上げる黒い刀角鹿の動作を、止めることはできなかった。
半包囲していた小鬼たちからの投擲は軒並み止み、俺も腰を抜かして地面に座り込んだ。
わかっていてもこれなのだ。出会い頭にこんなものを聞かされてすぐに、立って逃げろというのは酷だろう。
こちらは足が動かず相手は目が見えない、時間経過で回復できる分多少はこちらが有利か。
問題はその回復までの時間をどう稼ぐか、なのだが。
次の手を思考する俺をよそに、黒い刀角鹿は角をめちゃくちゃに振り回している。
近くに俺がいることは把握しているはずだが、目をやられた時にかなり暴れていたのでどの方向に俺がいるかわからなくなったのだろう。
その姿を尻目にダートを取り出すと、小鬼たちの包囲がない方向へ投擲する。投擲といっても、腰に力が入らず左腕をつっかえ棒にして座るのがやっとの有り様なので、放り投げた程度だ。
ダートは放物線を描きながら、こつんと木にあたり地面に落ちた。
黒い刀角鹿はその異音を察知し、木に向かって突進し角に木が触れた瞬間振り抜き、直径三十センチほどある木を切断した。
槍を切られた時に何となく予想はしていたが、デタラメな切れ味だ。
迂闊に盾持ちを前に出す指示をしていなくてよかった。やはり小鬼たるもの、遠距離から投擲物で一方的に攻撃するに限る。というか、そうしなければ大抵の敵に力で押し負けてしまう。
小鬼や少女たちに静かにしているようにとジェスチャーを出してから、少し離れた場所で角を振り回している黒い刀角鹿を伺い、少しずつほふく前進で後退する。
しばらく暴れても悲鳴がないことに気が付いたのか、少し落ち着き耳を立てあたりを伺う。その動作の間も顔をせわしなく動かしているのは、顔への投擲物を警戒しているのだろう。
顔を動かしながら耳をそばだてていた黒い刀角鹿が、荒い息をしながら少しずつ挙動を鈍らせる。
毒と失血、それからかなり暴れまわったことにより体力もなくなってきたのだろう。
俺は右腕をピンと上げる。時間経過により力が戻って来たようで、そのまま静かに腰を上げる。
周りの小鬼たちを見ると、教えた命令を覚えていたようで可能なものは投擲物を構えている。
黒い刀角鹿が息を吐いた瞬間に、腕を振り下ろす。
指示通り小鬼たちは投擲物を放ち、その瞬間に俺は角で切られて鋭利な断面を見せる槍の柄を拾い、駆けだした。
小鬼が攻撃を放つ音に反応した、黒い刀角鹿の顔に投擲物が殺到する。
再び顔に投擲物を受け、頭をやたら目ったらに振り回し、その頭がちょうど降りて来たところで、槍を突き出す。
相手の力も利用したことにより、首筋へ深々と突き刺さった槍から手を放し黒い刀角鹿の横を通り後ろへ駆け抜ける。
そこからは、ただ黒い刀角鹿が死ぬ瞬間を見守るだけになった。
眼のみえぬ黒い刀角鹿はその瞬間まで暴れ、やがて力尽き少しずつ力が抜けていき地に伏した。
深く息を吐き地面に座り込んだ。
間違いなくこれまでの中で一番命の危機を感じた戦いだ。これほど壮絶な死にざまを見せつけられ、改めて無謀な戦いだったと深く感じた。
視覚を奪うことが少しでも遅れていたら簡単に全滅させられていただろう。ボーラが上手く四肢に絡んでくれたのも『咆哮』を放つ前に視覚を奪えたのもよかった。本当に紙一重の戦いだった。
巣からこちら方面に近づくことの難しさを改めて知ったところで、さっさと撤収することにした。
「手近ナ武器ヲ拾イ撤収スル」
そしていまだに座り込んでいる少女たちの前まで移動し、目を見つめる。湿っている下半身を見ないようにしているわけではない。
『行く、帰る、選べ』
選択の余地を与えているようで、実質一択の質問だ。そして意図的に、『戻る』ではなく『帰る』と告げる。
自身で選んだことは、心の中に思いのほか強く刺さるものだからだ。
『か、帰る。……帰ります』
『か、帰ります』
返事を聞き、黒い刀角鹿の死体を蔦で縛ってずるずると引きずりながら巣に帰った。