ゴブリン特別編 日常
木漏れ日の下、己のテリトリーを悠々と歩いていると、ふと、風が異変を告げた。
それはにおいかはたまた音か、自身をして明確に感知はできないが、これまで生き抜いてきた己の勘が敵対者の存在を主張していた。
それまで動かしていた脚を止め、耳をそばだたせ周囲を警戒する。
敵対者への、己がその存在を気付いているという言外の警告が込められていることを、相手は正確に認識するだろうか。否、これが分からずに襲ってきてもらえたほうが、この無意味な沈黙を終わらせることができるのだから、そちらのほうがいいかもしれない。
そんな思惑とは別に、しっかりと働いていた耳が後方からの襲撃を知らせた。
反転すると同時に、横方向への回避行動をとる。数本の飛来物が後方へと過ぎ去るが、最初の一本を避けきれず胸元に突き刺さった。
飛来物の貫通力は思いのほか強く、己の自慢の毛皮をものともせず深く傷を残した。
幸いにも長さはそれほどでもなかったらしく、致命傷とはとても呼べないがそれでもこの身に傷を負わせたことに対する苛立ちが強くなる。
しかし不遜な襲撃者たちが灌木から姿を現したとき、思わず興ざめた。
『グギャァ』
その姿は普段障害とも思わず蹴散らしている矮躯の者たちだ。
いつも見ている者たちより少しばかり体格はいいようだが、それでもたった三匹。常と変わらぬ雑事として己の自慢の角で切り刻んでやればいいだろう、と手傷を負わされたことも忘れ、テリトリーの主として、無知なる襲撃者を誅するために刃状の角を掲げる。
矮小な塵芥はそれを震えながら受け入れればよいものを、一匹が無謀にも他をかばうように前へ出た。
その一匹は、眼前に無機質な輝きを放つ大きな盾を掲げ、凶刃に備える。そのあまりにも無知で、無謀な態度に怒りすらも湧かずに見下ろす。
これまでも、この矮躯たちの相手をしてきたが、そのすべてが己の角を防げたことなどただの一度たりともなかった。初めて見る物体でも結果など変わらない、だからこそ絶対の自信をもって、背後にかばう矮躯どももまとめて切り刻む勢いで頭をふるう。
そこにはいつも通り死体、あるいは虫の息となった矮躯どもが転がる、はずだった。
しかしそうはならなかった。驚くべきことに、己の角は矮躯の盾を切り裂くことができず、その表面を不快な音と火花を立てて通過した。
そんな起こりえないはずの現象に、ただただ驚きあっけにとられた。
本来ならばその程度の思考停止など、さしたる問題もなくすぐに回復し、次こそは油断なく放埓なる襲撃者への苛烈な攻撃を行う、はずだった。
しかしその未来は、先ほどを倍する驚愕をもって遮られる。
その様子は、自慢の角が矮躯の盾を破れなかった驚きに見開かれた目が、正確にとらえていた。
なんてことはない、三匹だと思っていた卑小な慮外者はもう一匹おり、その攻撃にさらされただけのこと。しかしその結果は、ただ単に驚いただけだった先ほどとは、比べ物にならないものだった。
盾の矮躯と対峙していた己の右の藪から飛来した攻撃は、自慢の毛皮のみならず脂肪、筋肉を断ち、さらには骨すら物ともせず臓腑へと致命的な損傷を加えた。
普段は対峙したものが流すはずだった赤い液体が、己の喉をかけ、苦痛のうめきとともに口腔から吐き出される。脚からは途端に力が抜け、いつもは意識すらせずに行っていた、ただその場に立つという行為が、途方もなく困難なことに感じられ崩れ落ちる。
その時にはもう、自慢の角を振るうことすらも億劫に感じられ、敵意すらも頭からはなくなり、ただただ失われていく生への喪失感のみが広がる。
せめて最期にと、力を振り絞って確認した右腹には己の|角(誇り)と同じものが深々と刺さっていた。
「立派になってきたな」
視界の通りにくい鬱蒼とした森の中、さらに人目を避けるよう枝葉でカモフラージュされている堀と土塁を横目に村へ入る。
土塁は壁のように高さを重視したものでなく、河川敷の堤防のように厚さを持たせている。
横目に見ながら村に入れるのは、門があるわけではなくいまだに作りかけでほかの部分はそれほど高さがないためだ。
こんな風に、今この村は防備の増強にいそしんでいる。とはいえ、普段の狩りや建築中の小鬼を守るための歩哨など、様々なことに人員を配備しているため村全体を囲うほどの土塁を作るのには時間がかかりそうだ。
もともとこの村は、既存の小鬼たちが暮らすには広かったので、それを囲うとなると並大抵のことでない。しかし、現在小鬼村は空前のベビーブームであり、後々のことを考えると人員の不足も解決できるだろうし、村の広さも丁度いいくらいになるのではないだろうか。素人の目算だが、それほど大きく狂うことはないだろう。
「ようやく帰ってきた。今日は準備があるんだから、早く帰ってきなさいって言ったでしょ」
今後の展望を考えていると、土塁の裾から少し不満げな声で呼び止められた。
この村でここまで流暢に話せるのは、自分を除くと二人しかいないため、そちらを確認せずとも誰か分かった。
あと一時間ほどすれば、夕暮れといって差し支えない時間になるだろう。普段ならともかく、確かに明日のことを思えば遅い帰宅になってしまった。
「すまない、少し手間取った」
そういって刀角鹿の死体を見せる。
まずは謝罪から入る。こういう時は、こちらに非があろうとなかろうと謝っておかなければ話がもつれる。これまでの生活で身に染みているのだ。
今回の場合は、こちらに非があるためあまり関係のない話だが。
「なんで出発前日に、こんなのと戦ってんのよ!」
話をそらすための行為は、さらなる不興を買ってしまったようだ。
しかし、その不満げな瞳に憂慮の影があり何も言えなくなる。刀角鹿を抱えた小鬼たちも心なしかへこんでしまった。
「ほら、あなたのせいで余計に時間食ってるじゃない。さっさとソレ、解体しちゃいましょう」
なんとも言えない空気を壊したのは、この場に姿が見えなかったもう一人の人間だ。
その人物はどうやら村の端にある納屋で作業をしていたようで、埃に眉をひそめ服を掃いながら出てきた。
出発前の最終確認、といったところだろうか。正直納屋の存在など忘れていたのでありがたい。忘れるほど放置していたからこそ、埃まみれなのだが。
「ありがとう、鮮度が落ちる前に解体しよう」
二つの意味で感謝を告げ、助け舟に飛び乗る。
「それにしても、本当になんでこんなのと戦っているのよ。ルーシーが心配で感情的になるわけだわ」
「ちょっ、違うわよ! ジャレスが遅いことに怒ってるだけよ」
……飛び乗った船は泥船だったようで、すさまじい勢いで沈んでいった。
「はいはい、そういうことにしておくわ」
「絶対わかってないでしょ、それ!」
イヤンテはそんな問答のさなか、ちらりとこちらに視線を送る。一応浮き輪ぐらいは投げ入れてくれたようだ。
「どっちでもいいから早く解体するぞ」
そういって、小鬼を引き連れ歩き出す。
「ちょっと、なんであんたがしれっといなくなるのよ」
いつものように噛みついてくるルーシーをイヤンテがいさめている。普段通りの空気に戻してくれたことを、内心二人に感謝する。まあ、ルーシーがわかってやっているかは謎だが。
それでも二人の指摘通り普段ならいざ知らず、人間の町に赴く前日というこのタイミングで、同格の刀角鹿と戦うのは迂闊だった。そのことは反省しなければならない。
そう、明日俺たちはこの森を出て人間たちの町に行くのだ。
二人しかいなくとも姦しい女子たちの話し声をシャットアウトするように、その話をした日のことを思い出す。
一日の始まりはいつもと変わらない勉強会だった。
村の中心部にある、村内では一番大きい二階建ての木造建築の一室。現代人の感覚では小さい窓、その内開きの観音扉とさらに外側の昇降式の鎧戸を開け放ってもなお、少し暗い室内でイヤンテと二人、机を挟んで座っている。
「『鑑定』はそのランクに応じて他人の能力を見ることができる技能よ。
見える項目は相手が人間の場合、名前・種族・職業・階級・能力の五つで、魔物の場合は名前・分類・種族・階級・能力のいずれも五つで、それぞれ職業と分類が違っているだけね」
名前 イヤンテ
種族 人族
職業 斥候
階級 E
能力 魔法技能
武術技能 片手剣術ランク3 短剣術ランク18 格闘術ランク9 投擲術ランク15
補助技能 運搬ランク5 遠視ランク5 隠密ランク9 回避ランク18 教導ランク6 解体ランク15 採取ランク10 察知ランク17 連携ランク11
特殊技能
前に確認したものだけれど、といいながら己の能力を書いて説明した。
「職業はその人の能力に則したものになるといわれていて、一般的なところでは剣士・魔法士・徒弟・盗掘士とかほかにもいろいろあるわ。珍しいところでは暴君・穿石・吸血女王なんかがあるわね。とはいえ職業は鍛える能力を意図的に偏らせでもしないと、自分では選べないから気にしている人はあまりいないんじゃないかしら」
「職業が変わったら何かメリットがあるのか?」
「ある、と言われているけれど厳密に測れるわけでもないから、職業の種類というより階級を気にしている人のほうが多いわ」
「前のギルドの話でも出てきたやつだな」
「正確にはギルドの階級と能力の階級は別物だけれどそれはいったん置いておくとして、人間の階級は職業で、魔物の階級は種族によって決まるわ。職業や種族は技能のランクに比例するから、単純に階級が高ければ強いということになるわ」
「で、その階級を知るために、種族を知ることが重要になってくるというわけか」
「そういうこと。でもその前に分類についても少し話しておくわ。
分類というのは、亜人や魔獣、精霊やドラゴンみたいな大きい区分けで、これがわかることによってその魔物の得手不得手が判断できるの。
例えば亜人だと、ヒト型の魔物が多くて知能が高くなりやすいけど、毛皮や鱗がないことが多いから脆弱にもなりやすく、武器の使用を前提とした動きが多い。逆に魔獣は天然の|武器(牙や爪)や|防具(毛皮)を持つことが多いけれど、階級が上昇しても知能はそれに比例しにくいことが特徴よ」
その言葉に視線を下すと、身に着けている黒い毛皮と刃が枝分かれした剣が目に入る。確かにあいつは|武器(牙や爪)も|防具(毛皮)も強力だったが、知能の差があったからこそ勝てた相手だろう。
「ほかにもアンデッドや魔蟲、水魔とかほかにもあるけどとりあえずこれぐらいで十分ね」
これぐらい、と言うものの詳しく聞いていけば、分類だけでも覚えるのが大変な量になるだろう。
「それに引き替え種族は上げだしたらキリがないくらい存在して身近なところでも、亜人なら小鬼、魔獣なら一角兎、精霊なら粘霊、これらの上位種や変異種、それこそ数えきれないわね。
とはいえ、上位種の名前にはある程度規則性があって、人型の魔物は名前と職業名で構成されることが多いわ。小鬼剣士とか骸骨盗掘者みたいな感じね」
「それが『進化』につながるわけか」
「そういうこと。でも、種族名は数が多すぎるから一つひとつ覚えるメリットもあまりないから、場合によっては種族名で得手不得手がわかるってことを覚えていればいいわ」
そこから一時休憩をはさんで、再び明るいとはいいがたい室内で向かい合う俺たち。
こっちが魔石よ。イヤンテがそういって机に乗る二つの宝石のうち片方、三センチほどの細長く、歪な赤黒い宝石を手に取る。
「魔石は魔力が結晶化したものと言われていて、主に魔道具の燃料として使われて魔物から獲れる、はずなんだけど……」
とイヤンテは言葉を濁して、胡乱な目でこちらを見てくる。
その原因が分かるからこそ言いたい、その件を俺に言われてもどうしようもないと。
その気持ちを表す前にイヤンテは表情を戻した。こちらの考えを察したというよりは、元よりからかいだったのだろう。
そしてこのようなことになっている原因は、小鬼たちが魔物を倒した場合は普通と違い魔石が獲れないからだ。
そもそも俺の認識として魔石など見たことがなく、逆にイヤンテたちからすれば魔物から魔石が獲れることが常識だったらしい。
ここから分かったことは、魔物が魔物を倒した場合は魔石が残らず、人間とともに倒すと魔石は残るのだ。
「まさかこんなところで、魔物が進化する理由を知ることになるとは思わなかったわ」
視線を落とし、手のひらで転がしている魔石を見ながらそうつぶやいている。
イヤンテ曰く、魔物が魔物を倒した場合に魔石が獲れないのは、倒した魔物がその力を吸収しているのではないか、ということらしい。
そしてイヤンテの言葉が示すように、魔石が残るルーシーたちと共同で狩りをしていた小鬼と、魔石の残らない小鬼のみで狩りをしていた場合では成長速度に差があった。そこからさらに詳しく調べてみたところ、小鬼たちでのみ魔物を倒した場合、とりわけトドメを刺したものの成長が早いことも分かった。
この件で思い出したのは、俺がまだこの群れに転生したばかりの頃の狩猟風景だ。
獲物を見つけると連携も群れでの狩りも関係なしに馬鹿みたいに駆け出していたのは、ともすればコレが関係しているのかもしれない。
トドメを刺したものの成長が促進されるなら、お利口に陣形を組んだ場合その中で攻撃役を担うものが真っ先に成長することになる。そして強いものが子孫を残せるこの世界で、攻撃役の遺伝子が優先して残されたら、防御も索敵も劣った個体が多くなるだろう。そうならないように、陣形など組まずただ愚直に獲物を殺せるものが生き残れるように発展してきたのかもしれない。
だとすれば、あの頭の足りていない突撃も、本能的な合理性によるものだった可能性がある。まあ、こんな世界で自然選択説のようなものが通用するかは疑問なうえ、あれが狩りにおける最適解とも思えない。
話がそれたが、そんなこともあって現在ルースたちには狩猟組にローテーションで参加してもらっている。彼女たちは彼女たちで狩りをする、というのも候補としてあったのだが、いざというときに連携がとれませんでは話にならないので、普段から肩を並べて戦ってもらっている。最近では進化する小鬼もいるので、物理的にも肩を並べられるのだ。
「考え事中申し訳ないけど、そろそろ話を戻してもいいかしら」
モノローグは見透かされていたようで、イヤンテから掣肘を受ける。
ああ、と答えて机の上に転がるもう一つの宝石に目を向けた。魔石はその見た目のごとく宝石のように磨けば光る。
「これが魔封石か」
そういい机に転がっている宝石を手に取った。
こちらは魔石と比べてサイズはほとんど変わらないが、少し成型されており色も澄んでいる。
「見た目こそあんまり変わらないけど、用途はまるで違うから注意が必要よ。魔石は魔道具の燃料として使われることが多いけど、魔封石はこれそのものに魔法が込められていて、だれでも手軽に使用できるの」
イヤンテはそういいながら魔石をコイントスのように指で弾ききれいにキャッチした。
器用なことをするものだ。
「でも、元になる魔石の大きさで込められる魔法の強さが違うから、強い魔法になると費用対効果は落ちるわ。それでも、駆け出しの冒険者や行商人からは需要があり、同じく駆け出しの錬金術師と魔法使いのいい収入源兼修行になっているの」
「分業しなくちゃいけないものなのか?」
そう返しながら同じように魔封石を指で弾くと、あらぬ方向に飛んでいき慌てて腕を伸ばしてキャッチする。
恐る恐るイヤンテの様子をうかがうと微笑んではいるものの、これ以上やると怒られそうだ。なので、魔封石はそのままそっと机に置く。
「製造自体は簡単で、元となる魔石を研磨してそれを握った状態で魔法を使用するだけよ。でも、錬金術師だけでは到底需要のある魔法すべてを網羅することはできないから、魔法の封入のみをギルドの依頼に出すの。危険もなく、魔法を使用することで技能のランクも上昇するから、駆け出しの魔法使いには人気の依頼ね。その分報酬は安いけれど」
「これ一個でいろいろ雇用が生まれるわけか」
研磨も素手でやるわけではないのだ。道具なども含めれば、これで食っている人間はなかなか多いのだろう。
「で、これの使い方は手に握った状態で封入されている魔法を唱えるだけ。唱える魔法も、握っていれば自然と頭に浮かんでくるから誤使用もないわ。ちなみに、この唱える魔法が浮かんでくるっていうのは通常の魔法技能でも同じよ」
魔法については前に教えてもらったもので、魔法の適正の有無はこの現象が利用されるらしい。それぞれの属性における最下級の魔法を唱えられるかどうかでわかるのだ。
火魔法の適性があるかどうかは火魔法の技能を所持していない状態で火種が使えるかどうかでわかる、ということらしい。
適正さえあれば、使おうと思うだけで魔封石を握ったときと同じように、自然と使い方がわかる。それができなかったものは才能がない、ということらしい。しかし、適性がなかろうと剣が振れるように、魔法も才能がなくともある程度は使えるようになるそうだ。とはいえ、魔物という危険が身近にあるこの世界において、適性のない技能に時間を費やせるようなものはごく少数だろう。
「作るのが簡単だとはいえ、そもそも魔石がないと作れないから地方によって相場が変動するのが、魔封石の難点ともいえるわね。迷宮の周辺だと特に価格も下がるらしいわ」
どこの世界でも資源による格差問題は生じるわけだ。
「ただいまー」
そんな話をしていると、玄関から陽光が差し込むとともに、こちらもまた明るい少女の声が響いた。
扉の閉じる音ともに部屋は再び薄暗くなり、ルーシーがこちらに顔をのぞかせた。
「お疲れ様」
「おつかれ。首尾はどうだった?」
「順調といえば順調だけどっ、んぅ、さすがに狩場を変えないと魔物の数が減ってきてる感じがするわ。ぷはぁ」
隣の部屋へと顔を引っ込め、防具を外す衣擦れの音とともに返事が返ってきた。
「どちらにせよ、そろそろ魔の森を探索しないといけないと思っていたからな。でも、その前に一度町に出て物資を充実させよう」
そういうと立ち上がり、台所にある水がめからコップに水を入れると、部屋へと入ってきたルーシーに手渡す。
「ありがと。前から言ってたやつね」
「だったらここ近辺の国と町について説明しておこうかしら」
「この国、テニソルスは皇帝を頂点として統治されているわ。でも、その枠を外れる形で強い影響力を持ったパンゲア教の聖女派が存在しているの」
昼食をはさみ午後の部が幕を開けた。
内容は先ほど話していたように、この国についての説明からだ。
「でも、十数年前に西の山脈を越えて教皇派の侵略があって、今は国の北西部を教皇派、南西部に皇帝・聖女派、そして以前から確執のあった東部諸侯が不穏な動きをしていると言われているから、合計三つの勢力が牽制しあっているのが現状ね。ちなみに侵略時は兵士だけじゃなくて、私の両親みたいな聖職者もかなり含まれていたのよ」
この世界において聖職者は無力な民間人ではない。とはいえ、イヤンテの口ぶりからそれなりの人数だと推測できる。
移民の両親を持つイヤンテは、教皇派の内情に詳しく、反面この国の歴史については明るくないらしい。詳しいとはいえ、当然イヤンテが知っている話も一般的に聞き及ぶ範囲であり、真実とは違うということもあるだろう。
「話からすれば短期間に国土の四分の一を奪われたのか?」
「あたしたちも詳しくは分からないけど、当時の副帝が新王を名乗って独立を掲げたんだって。だから政治的には北西部を支配してるのは新王ってことになるんだけど、もっぱら傀儡ってはなしね」
それはなんというか、密約を疑うレベルのタイミングの良さだ。というより、先ほどの話を踏まえると、裏で話は通していたのだろう。
「ちなみに同じころに東部諸侯とエルフたちの戦争もあったりしたわ。この地方の人たちには、こっちの方が身近な問題でしょうね。建前としてはエルフがテニソルスと動乱を見て後背を突こうとしてたってことらしいけど、ほんとのところは皇帝が口を出せない間に、第二の迷宮と言われるくらい資源が豊富な、魔の森の利権を手に入れようとしたって言われてるわ。エルフたちとはもともと交易もしてたけど、その分揉めることもあったからね。特に東部の人たちとエルフの確執が決め手になったみたい」
ルーシーはこの国の東部、現在の東部諸侯に属する地域の出身らしい。
もとは酒場の看板娘だったらしいルーシーは、商人や冒険者から真偽は不明の噂レベルだが雑多な話を聞くことが多く、様々な裏話を知っている。
「実際のところ十分勝算はあったし、事実かなり攻め込んでたそうだけど、エルフがヴァンパイアと手を組んだせいで負けたらしいわ。ウチの店に来てたお客さんがそう言ってた。
なまじ攻め込んでたせいで判断を誤って、被害が拡大したそうよ」
「その状態はもはや一国として成り立ってるのか?」
「国民意識としてはいまだに一国って感じじゃないかしら。どこかの勢力が統一するのか、あるいはこのまま三国に分裂するのかは分からないけれど、一応どの勢力も『テニソルス』を名乗っているのが大きいかもしれないわね。それにこの国は山脈と森に囲まれていて陸の孤島になっているの、少なくとも外の国から侵略されることがないから、教皇派はともかくあくまで国内での争いって感覚が強いのかもしれないわ。エルフも森の外には出ないでしょうし」
「ヴァンパイアはどうなんだ?」
「ヴァンパイアはエルフの国のさらに向こうに住んでるから、干渉してくることはないんじゃないかしら。あたしみたいに情報が集まりやすい仕事をしてる人以外だと、そもそも存在を知ってる人のほうが少ないと思うわ」
「国についてはこれぐらいにしてここからが本題、一番近い町アコーニトについてね。この地方がそもそもって話になるけれど、アコーニトは西部と東部の中間、皇帝・聖女派と東部諸侯それぞれの勢力圏の間に位置している町で、ここら一帯では比較的大きな町らしいわ。
町までは半日ぐらいの距離で、川沿いを進めば見えてくるそうよ。正直わかるのはそれくらいね。あとは周囲が壁に囲まれているってことくらいかしら」
「あたしはもうちょっとわかるわよ。たしか、街の東西に川が横断してるんだけど、それが少し北側によってるから、水源から遠い南の方は治安が悪いんだって。あと、木材とかで生計を立ててる町で、大浴場とその近くにある市場街で一杯ひっかけるのが最高って聞いたわ」
「行かなきゃいけない場所が一つ確定したわね」
何のことを指しているのかは聞くまでもないだろう。……従魔用風呂とかないよなぁ。
それはともかく、買うものの優先順位などを決めて、どのような場所に立ち寄るか考えておいた方がよさそうだ。
暗くなっていく室内と反比例するように、明るい会話が続いていく。