スケルトン編 逃走
あれからはこの荒野を放浪しながら、骨臥兵以外を含む魔物全般と勝機のありそうな人間を数多く襲い、骨臥兵には棍棒、腐屍者系には剣、人間相手には弓を使った戦闘スタイルが定着しました。
そんな戦闘に明け暮れていたあるときから、骨臥兵をあっけなく倒せるようになり、『レベルアップ』や『進化』のようなものがあるのではないかと考え始めました。
その可能性に考え至ったとき、妙に動きのいい骨臥兵や僵尸と戦った時のことを思いだし、私にも同じようなことが起こったのだろうと判断しました。人間を積極的に襲うようになったのもそれからで、前までは剣での勝負では分が悪かったですが、これを境にそれなりに打ち合えるようになりました。
多くの戦闘で追いはぎを繰り返した今の私の装備は、消音と耐打撃を目的とした革鎧の寄せ集めで、その上から火対策として僵尸が使っていた中華風の服を被り、首にはマフラーを巻いています。
腰にはポーチと矢筒、剣をぶら下げており、ポーチの中には赤い宝石と油の入ったフラスコ、骨臥兵の大腿骨を常備するようにしました。
宝石は人間たちが使用しているように、掲げて言語はわかりませんが『火弾』と強く念じると発動させられるようで、フラスコは投げつけて中の油をぶちまけることで自然に発火し、しばらくの間燃え続けるというものです。人間たちはこれを骨臥兵から逃げるときに使うようですが、ここで生活している私にとっては罠として使用するという手もあります。
そして宝石などの予備は背嚢に入れており、その中にはシャベルやロープ、鍋や小さな火がつけられる短杖のようなものなども入っています。棍棒に関しては、骨臥兵がむこうから襲い掛かってくることはないため、背嚢に入れて持ち運ぶようにしました。
そんなこの荒野での生活が安定し始め、気を抜いていた私の前に、いかにも魔法使い風の身なりをしたアンデッドが現れました。
古臭くかつ陰気臭い焦げ茶色のローブとねじくれた木の杖、骨臥兵系とも腐屍者系とも判断のつかない干からびた死体のような外見。一番最初に浮かんだ名称は魔導屍といったところでしょうか。
一目見た時から、強いと本能のようなものが感じとった相手ですが、魔法使いなら人間と戦っているときも遭遇したことがあるので、いつものように先手を取れば問題ないでしょう。
(ようやく見つけたぞ。我が縄張りを荒らしまわっていたのは貴様だな)
(なっ)
攻撃の算段を立てていた私に向かって、アンデッドのものと思しき声が聞こえてきました。肉声ではなく、脳内に直接響くような奇妙なものです。言葉からは明確な意思と、私への敵意が感じられます。
初見の相手で、魔法使い系の敵と距離を取った状態の戦闘はできれば避けたいですが相手がそれを認めてくれるでしょうか。
(荒らしまわるとは、アンデッドたちを倒していたことですか?)
(それ以外に何がある。忌々しい人間どものような恰好をした、骨臥兵の上位種ごときが!)
こちらの意思を伝えられるのはわかりましたが、どうやらポーチやら背嚢やらを身に着けていたことが不快感を誘ったようです。
(あなた様の縄張りとは知らず、大変失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした)
とりあえず平身低頭で相手をなだめてお引き取り願おう、と考えていたのですが――
(何が知らなかっただ白々しい。貴様は散々この我から逃げ回っていたではないか。それにもし知らなかったとしても、貴様のような奴は許しておけん!)
……このまま話だけで終わらせられるような雰囲気ではありませんね。逃げているつもりなど毛頭ありませんでしたが、探索のために動き回っていたことで遭遇を避けられていたのかもしれません。
仕方がないのでここは先手必勝、こちらから仕掛けてしまいましょう。
(あっ、後ろ!)
(なに?)
魔導屍はこの恐ろしく古典的な誘導に引っ掛かり、後ろを振り返ります。
言動の端々から感じる傲慢さ。上位である自身に私が攻撃してくるなど考えておらず、あっさりと背中をさらしたのでしょう。その傲慢さを恨みながら死んでください。
背を向けた瞬間に、ポーチからフラスコを取り出し、魔導屍に向けて投げつけました。投げてすぐ、フラスコが命中するよりも早く、弓に矢をつがえます。
(急になんだというのだ。骨臥兵ごときがこざかしい真似を)
背後に何もないことを確認した魔導屍が、そう吐き捨てながらこちらに向き直るタイミングで、フラスコが命中しました。
粘性の低い液体が飛び散りながら発火します。
(ぐわぁぁァァア。貴様何をする!!)
リッチの声を無視して、矢を放ちます。
(砂壁)
しかし、突如魔導屍の目の前に現れた砂の壁に阻まれてしまいました。それを気にすることなく、少し移動しながらポーチからフラスコを取り出し、壁を超えるように弾道を高くして投げつけます。
(ぐぅ、黒球体)
放物線を描き壁の向こう側に消えたフラスコは、燃える魔導屍をさらに燃え上がらせますが、何やら魔導屍が魔法を使うと壁の向こうで上がっていた火柱は消えてしまいました。
その様子を見て追撃を諦め左方向に駆け出します。細かく移動するのは、遠距離攻撃を持った相手と戦うときの鉄則で、一度霧の中から『生者感知』を頼りに一方的に弓を射ていると、反撃で飛んできた火弾に燃やされそうになりました。
はたしてその判断は正しかったようで――
(いつまでも好き勝手をできると思うな! 地破砕!)
砂の壁の向こうから声が響くと、先ほどまで私がいた地面が爆ぜました。多少距離が取れていたからよかったものの、その爆発はまるで地中の水道管やガス管が破裂した時のようで、砕けた石礫が方々に散らばります。
(くっ)
その一つが右上腕骨に当たりへし折られてしまいました。
魔導屍にもそこそこダメージを与えたと思いますが、こちらは右腕を失い、ポーチの中のフラスコは使い切ってしまっています。背嚢から予備を出す余裕があればいいのですが、そんな隙をさらせる相手ではありません。
(ちょこまかと動きおって)
そう言いながら砂壁の陰から魔導屍が杖を構えた瞬間、イチかバチか背嚢が盾になるように敵に背を向けしゃがみ込みました。
(石散弾)
しゃがみこんだ私の周りの地面を、石礫が撃ちつけ低く土煙が舞います。
その攻撃を見て、ないはずの心臓が縮み上がるような錯覚を覚えました。背嚢の中にはフラスコが三つ入っており、さらに骨臥兵の骨もあるからです。
もし、石礫がフラスコに当たっていたら、私は今頃火だるまになっていたでしょう。
(最初からそうやってみじめにうずくまっていればよかったものを、面倒を掛けさせおって)
背嚢の陰から出てこない私を見て、魔導屍が嘲ったように嗤います。
その言葉を無視してちらりと背嚢を確認すると、石礫に撃たれ穴が開いてしまったようです。これなら左腕だけでも、フラスコを取り出すことが出来るかもしれません。こうなってしまえば、魔導屍を倒すことではなく逃げることを優先させます。
(我に楯突いたころをを後悔して逝くといい)
自身の優位に気をよくしたのか、饒舌に話しかけてくる魔導屍をよそに、ポーチの中の宝石を三つ握り込み、背嚢の肩掛けから左腕を抜き勢いよく振り返ります。
(火弾! 火弾!! 火弾ッ!!!)
一度で一気には使用できないので、三連続で魔法を発動させ、結果も確認せずに穴の開いた背嚢に手を突っ込みます。
(悪あがきをっ! 石盾)
背嚢から三つのフラスコを取り出した時には、魔導屍の魔法により火の玉は不発に終わってしまったようで、さらに壁の上からフラスコを投げ入れられたことを警戒しているのか、今度の魔法は視界の確保ができる石の大盾を出現させるというものでした。
どちらにせよ、私の行動が変わるわけではありません。左手一本で三つのフラスコを魔導屍にむかって投擲します。
(また人間の真似事か! 砂塔)
魔導屍が魔法を唱えましたがそれを見ることなく、背嚢に左腕を通し直して一目散にその場を離脱します。
(なっ、貴様これほど我を愚弄して逃げるというのか! 消し炭にしてくれる、火球)
先ほど使用した魔法の効果なのか上から聞こえてくる声に危機感を感じ、ジグザグに移動するとすぐ背後で爆風が起こりました。
まさか、火魔法まで使えるなんて。これまでの戦いは本当にこちらを下に見ていたのですね。
(貴様! 必ず……してやるから、……ゆめ……ぬ……だ!)
嘗められていたことへの苛立ちはありますが、せいぜい油断した挙句取り逃がしたことを後悔してください。
小さくなる魔導屍の声をききながら、負け惜しみと分かっていながら、そう心の中でつぶやきました。
五分か十分か、はたまたそれ以上なのか、そろそろ大丈夫かもしれないと考えていると、あの不自然な上り階段が見えてきました。
魔導屍と戦っていた場所とはかなり離れていたはずなので、それなりの時間走ったのでしょうか。立ち止まってしばらく走ってきた方向を警戒してみますが、魔導屍は現れませんでした。
はあ、危うく死んでしまうところでした。
この場所はそれなりに探索していたので、能力的に互角以上の相手だろうと知能面で上回っており、私に勝てる魔物はいないと考えていました。しかし、それが誤りだと今回の件で痛感させられました。
あの魔導屍は私のことを探しているような口ぶりだったので、入れ違いになってそのことに気付くのが遅れたのでしょう。
自身の過ちを考えながら地面にへたり込み、破れた背嚢の中身を確認しようとしたそのとき――。
『うぉぉおお、あっぶねぇ』
『火の取り扱いにはあれだけ気を付けろって言われたじゃないですか!』
『あはは、階段の近くじゃなかったら死んでたね~』
陰鬱な濃霧地帯に似つかわしくない、騒がしい声とともに三人組のパーティーが階段を転げ落ちるような速度で降りてきました。
とっさの出来事に一瞬止まった動きはしかし、迅速に明瞭な思考を取り戻し、行動を開始します。
『いやぁ、わりぃわりぃ。って、おい! 骨臥兵だっ!』
『こんな近くに』
三人組はそれぞれ武器を構えてこちらを向きますが、私は背嚢を背負うと霧の中へと消えていきます。焦っているとはいえ、もちろん魔導屍から逃げてきた方向とは別方向です。
ようやく安心できる場所までたどり着きました。
ここは、私が住みかとしているところで、両階段から可能な限り離れたこの階層の隅で、さらに私の手で落とし穴をいくつか仕掛けている場所です。
人間から道具を巻き上げた時の検品や検証はここで行っており、魔物との遭遇も少ないのでしばらくは腰を落ち着けられるでしょう。魔導屍から逃げるときは、住みかを知られないように意図的に避けて動きました。
というわけで、先ほど中断してしまった破れた背嚢を確認します。
作り自体は簡素なものですが、丈夫に作られているようでこれまで目立った傷はありませんでした。しかし今回ばかりは十か所ほど、石礫に貫かれたであろう穴があり、中身を確認すると宝石と骨臥兵の骨をいくつか落としてしまったようです。シャベルも少しへこんでいますが、これのおかげで命があると思えば納得せざるを得ないでしょう。
しばらくはこの場でおとなしくしておきたいですが、残り少ない宝石と使い切ってしまったフラスコに関しては、急いで補充しなければ次こそ魔導屍に殺されてしまいます。
背嚢からポーチへと宝石と骨臥兵の骨を補充すると、背嚢は置いたままとぼとぼと人間を探しに出かけます。一度の襲撃でフラスコが手に入ることを願って。
あれから六組のパーティーを襲い、なんとかフラスコを二つ確保することが出来ましたが、魔導屍と戦うことを考えればまだまだ数は足りません。
『生者感知』で相手より先に発見できる人間と違い、先手を取られるリスクのあるアンデッドの魔導屍との戦いは、どのようにして機先を制するかにあります。そして先制したとしても、私がフラスコや宝石を使用することは知られてしまっているので、それを出し抜く手を考えなくてはいけません。
そのためにもできるだけ多くの物資が必要なので、これまでとあまり行動は変えずに、人間を見つけると積極的に襲うようにしています。
しかし、アンデッドを襲う事と住みかを離れることはやめました。
魔導屍がどのように私を探し出したのかはわかりませんが、少なくとも衝突の原因になったのがアンデッドを殺しまわったことだと言っていました。なので今は力を蓄えることに注力し、効果的な策が思いつけば行動を開始しましょう。
そんな物資調達のさなか、普段より遠い距離から『生者感知』に反応がありました。これは、戦闘中の人間をとらえた、ということです。
新しくなった背嚢を背負い直し、反応のあった方へと歩を進めました。
向かっている途中に反応が途切れてしまいましたが、これは戦闘が終了して感知範囲が通常時に戻ったのでしょう。
方向と距離がわかっているので、取り逃がすことはありませんが、感知してからわずか十秒ほどで相手を殲滅した、というのは警戒しなければいけません。相手をしていたのが単体の腐屍者や骨臥兵ならばいいのですが、もし群れを倒したのだとするといつでも逃げられるようにしておいた方がいいでしょう。
そう決意を固めて進むと、再び『生者感知』に反応が戻り、それによると相手の人数は四人で今は一か所に集まっているようです。
さらに近づきながら、左手に宝石を握り込み、さらに弓に矢をつがえます。そのままジリジリとにじり寄り、経験上もう少し進むと向こうから視認される恐れがある距離まで近づき、矢を引き絞ろうとしたとき――。
『右! おそらく一体』
緊迫した声が上がり、全員がこちらを向いたことを『生者感知』が示します。
この距離で気づかれるなんて。初めての経験に手をこまねいていると。
『飛ばします。強風』
人間たちの方向から強風が吹き、霧が一時的に晴れてしまいました。
止まりかけていた思考は、骨臥兵の特性ゆえに一瞬で冷静さを取り戻し、素早く相手を観察します。
一番近くに槍持ちの女性、その少し奥に短剣を持った黒ずくめの男性、それより少し後ろに法衣を着た少女と魔法使い風の耳長の少年の四人組で、さらに奥には背嚢がまとめて置いてあります。
相手に主導権を握られないよう、一番近くにいた槍を持った女性に向けて矢を放ちました。
(火弾)
ほぼ同時に左手で握り込んでいた宝石も使用します。
『火弾!? まさか魔封石を』
火の玉は驚く人間たちを尻目に、背嚢からあふれ出している骨臥兵の骨に向けて飛んでいきます。
『しゃらくせぇ!』
『やらせません!』
槍を持った女性が矢をはじき、魔法使いの恰好をした少年が魔法を杖ではたき落としました。火の玉は爆発するわけでもない、ただの握りこぶし大の炎だからできた芸当でしょう。
私は対応の早さに舌を巻きながらも、すでに人間たちとの中間にフラスコを投げ終えたところです。
フラスコは地面に衝突すると中のオイルをぶちまけ、炎の壁を作り出します。そこに新しくつがえた矢を放ち、踵を返して住みかに向けて逃亡を図ります。
『生者感知』で人間たちの位置を確認すると、こちらを追いかけてきているようで、霧の中に入ったというのにまだ追いかけられるというのは、やはり視覚以外の方法でこちらを認識しているようです。
フラスコのおかげである程度距離は稼げていましたが、骨臥兵の走る速度は人間よりも遅いため、徐々に距離を詰められてしまします。こうなれば二つ目のフラスコを使うしかないかと考え始めたところで、ようやく住みかにたどり着きました。
そこからは枯れ木や岩など、私だけがわかる目印を頼りに歩を進め、少し進むと『生者感知』の光点が人間たちも落とし穴だらけの住みかに入り込んだことを示しました。しかし、そこで立ち止まっただけで、しばらく待っても悲鳴が聞こえることはなく、光点は引き返していきました。
見失ったのか、落とし穴に気が付いて引き返したのか、どちらにせよ危機は去ったようです。
(はあぁぁ~~~)
まさか霧の中にいても発見されるなんて。これからはその可能性も考慮して行動しなければいけませんね。
そして人間に住みかの場所もばれてしまいました。この近辺で狩りをしていたのは、いつでも逃げ込めるようにするためだったので仕方がないのですが、こんなに早く敗走することになるのは想定外でした。
フラスコも残り一つになってしまったので、より一層追いはぎに励まなくてはいけません。
へこみそうになる心に活を入れて先ほどとは違う方向へ、人間を探しに出かけましょう。