はなむけ料理
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
君は好きなように食べられるビュッフェ形式の料理と、順番に品が出てくるコース形式の料理とでは、どちらの方が好きだろうか?
――ほほう、ビュッフェ形式ね。
いいよねえ、ビュッフェは。バランスよく食べるも、好きなものばかりに偏って食べるのも、思うがままだ。たとえそれが、後になって健康を害するような食い合わせだったとしても、際限なく、だ。
暴飲暴食という言葉があるだろう? 度を過ぎた飲食によって、身体を壊してしまうことだ。活力にするべきである食事を、自ら毒へと変えている。
しかし、医食同源。更には、その言葉のもとになった薬食同源という概念にも見られるように、食事は薬にも成り得る。それは元の材料だけでなく、調理の仕方によっても化けるんだ。
ひとつ、それらの食べ物に関する昔話を贈ろうか。
むかしむかしのこと。
日本には幾度となく、原因のつかめない疫病がはびこり、多くの人が苦しめられたことは、すでに広く知られているだろう。
姿の見えない病魔に対し、人々は様々な手を講じる。しめ縄を張ることで、侵入を禁止する結界を設けることもあれば、あえて疫病神をおもてなしし、満足させることでその場を立ち去ってしまうよう仕向ける、祭りを執り行うこともあった。
しかし、それらはあくまで予防策。すでに内側へ入り込み、悪さをして、命さえ奪ってしまうものに対しては、いかにして立ち向かうか。
祈祷などの破邪の儀式も力が入れられたが、効果が出る時と出ない時の差が激しい。
結果が出ず、助からないことを天命としてあきらめるのは簡単。だが、残された家族たちの中には、納得のいかない者もいた。
彼らのうち、薬草などの知識がある者たちの一部は、その見えない何かを追い出すための薬を生み出すことはできないかと、日々、研究に力を入れていたらしい。それが自分たちが出歩く場所で見当たらないとなると、真に癒すことのできる材料を探し、ひっそりと諸国を遍歴する者が存在したとか。
月日が流れ。
一時はおさまりかけていた疫病の猛威が、再びぶり返し始めた時。十年以上、故郷を離れて各地を回っていた男の一人が、帰ってきたんだ。
出発した時には、瑞々しい美貌をたたえていた彼。それが旅先での疲れか、顔や指先には老人のごとく深いしわが刻まれて、服の間からのぞく皮膚にも、茶色や灰色にしみた大小のシミが浮かんでいた。
てっぺんがはげかけた頭と共に、ふらりふらりと、左右に振れながら歩くようになった彼は、いかにも酔っぱらいのようだったが、受け答えははっきりしていた。
そして何度もうめくように、皆へ向かって漏らすんだ。
「俺は飯で、病魔を追い出す方法を見つけたぞ」と。
戯れか真実かは、試してみればすぐ分かる。
彼の友人の一人が、名乗りを上げた。彼はまだ症状が軽かったものの、頻繁に出るせきと発熱、手足の震えと、現在流行している、疫病の兆しが見えていたんだ。
彼はまず、友人の顔を一瞥。その後、腕やのどを見せてもらったかと思うと、周囲の人々へ材料を要求する。
どの部位でもいいから、鶏肉をひとつかみ。オミナエシの花をひとつ。そして土鍋に水を入れて、火をかけてほしいとのこと。
皆が準備を整える中、彼は落ち着きなく空と左右へきょろきょろと頭を振りながら、しきりに爪を噛んでいた。加えて、そばを通った者さえも、よく聞き取れない小声で、何かしらぶつぶつとつぶやいてもいる。
落ちくぼんでしまった眼窩が、それらの気味悪さを余計に引き立てており、人々は彼をちらちらと見やりながらも、目を合わせようとはしなかったとか。
ようやく準備が整うと、彼は石に囲われ、火にかけられた鍋に近づき、それまでの落ち着きのなさから一変、鍋とその底をあぶる火の姿を、微動だにせず、じっと見つめ始めたそうだ。
やがて鍋の中の水が沸騰し始める。彼はそれを見るや、用意された鶏の胸肉をわしづかみにし、まるまる鍋の中へと放り込んだ。
遠巻きに眺める人々は、彼の乱暴な調理にはらはらして仕方なかったとか。
今度の彼は、鍋の中で煮立つ鶏肉をにらみながら「ひい……ふう……みい」と数え出した。その目は、まばたきを許さん、とばかりに見開かれている。
沸き立つあぶくのひとつひとつさえ逃さない、と感じるほどの殺気。更に鍋へかみつかんばかりに、歯をがりがりと鳴らしながら、ゆで具合をのぞき込む様は、まるで親の仇を目の当たりにしているかのごとく。
彼は、本当に大丈夫なのだろうか。
居合わせた皆が、口には出さずとも、一斉に頭の中で思ったことだったという。
やがて彼は、鶏肉を取り上げるための箸とざるを所望。ちょうど九十九拍と百拍の中間ほどで、さっと湯から鳥を出した。そのまま適当に切り分け、友人に食べさせるように指示を出し、今度はオミナエシの花を同じように、湯の中へと放り込む。
こちらはおよそ四十と四十一の間。厳密には、四十よりの数えで、お湯から引っ張り出し、また友人に食させた。
それを見届けると、彼はその場に尻もちをついてしまう。
先ほどの真剣さはうそのよう。腕を後ろへついて倒れないようにしながら、ぜえぜえと肩で息をし、いっぺんに歳をとってしまったかのような疲れ具合。
助け起こそうとする人は、なかなか出てこなかった。これまでの彼の所作は、凡人を寄せ付けない、鬼気迫る雰囲気が漂っていたからだ。それが急に脱力したかのような動きになったことが、かえって怖さをあおる。
弱ったふりをする、獣のようだ。下手に近づくと、やられる。
猟の経験がある者は、軒並み、そのように感じたとか。
しばらく、時の流れるがままに任せていると、やがて彼はゆっくり立ち上がった。すでに友人は指示通りに、鶏肉とオミナエシを食べ終えている。
「病魔への『はなむけ』は終わった。今宵はゆっくり休め。さすれば、必ず良くなっている」
ふらつきながらそう告げた彼は、「もう休む。すまないが、片づけを頼む」と言い残し、自分の家へと歩いていく。そこに至って、ようやく近くにいる者が、彼に肩を貸しつつ家路に伴ったとのことだ。
翌日。果たして、友人はすっかり回復した。
先日まで友人を悩ませていた、せきも熱も、手足の震えも、すっかり治まっていたんだ。数日たっても再発する様子は見られず、友人は彼の元へ礼をしに行く。
友人の快復を受け、当初は彼を怪訝そうな目で見ていた人々も、連れだって彼の家へとやってきた。
彼が旅先で得て、実際に結果を出した極意を、学ぼうとしたんだ。
「先も言ったように、俺がやったのは『はなむけ』だ。食い物を通し、病魔に旅立ちを促す、いわば儀式だ。儀には寸分の狂いも許されない。それでも学ぶか?」
その言葉は、決しておおげさではなかった。
彼のいう「はなむけ」とは、ただ順番に食べ物を煮込めばよい、というものでは断じてない。
あの時に彼が見せた、九十九と百の間。四十と四十一の間。すき間を縫うような正確さを、絶えず要求されるものだったんだ。それらは対する病魔の種類によって、食材も時間も大きく異なる。
のみならず、その日の天気、風向き、鍋の材質、火の強さ……もろもろを加味することで、たとえ同じ具材を使うものでも、煮込む時間は変化する。
教えを乞う者たちが、それらをわずかでもトチると、彼は鍋をひっくり返し、半端にゆだったものを、恨みがましいとでも言わんばかりに、踏んで、踏んで、踏みにじり、罵詈雑言を浴びせるんだ。
そのあまりの厳しさと、彼の態度の悪さ、凶暴さに、ほとんどの者は長続きせずに去っていった。辛抱強く残った者も、十回の試みのうち三回。及第がもらえるかどうかという厳しさだったという。
彼はその惨憺たる結果を目にするたび、無念そうに首を横に振る。「とうてい、俺の後は任せられない」と。
彼は増える病人たちのため、「はなむけ料理」を作り続けた。技を得ようと、彼についていった者たちさえ、どのように転ぶか分からない調理の数々。
時には、色、形、臭いが食欲を削り取ることもあったが、構わず彼は、料理を患者に食べさせ続けた。そしてそれは、漏らさずに健康を取り戻させたのだという。
だが、奔走を止めなかった彼は、ついに自身が病魔に倒れてしまった。
「俺のことなぞ放っておけ」という彼に、今や付き従うのはわずかな者ばかり。
あるいは限界を悟り、あるいは彼との間に生じた軋轢のために、弟子たちは数を減らしていったんだ。それを越えた者たちは、成功率さえ彼自身に及ばぬものの、真に敬意を持つ人ばかり。
その病を治させてほしい、と懇願する弟子たちへ、彼は息も絶え絶えに、処方箋を伝えていく。食材から、時間、天候、その他もろもろの細事まで。
「これに成功したならば、俺の技を継ぎ、人を救え。だが、もしも仕損ずるならば、この技を封じ、二度と明るみへ出すな」
動き出そうとする弟子たちに、彼は弱弱しく、そう付け加えた。
そして準備は整ったが、弟子たちはとうとう、彼に追いつくことはできなかった。
寝たきりになった彼の口元へ、作り上げた薬湯を入れた椀を差し出したところ、彼はひとなめしただけで、すぐにそれを吐き出し、苦々しげにつぶやいたんだ。
「やはり無理か。お前ら、誤ったな……無念。約束通り、技は封じろ。理由を知りたくば、俺が死したのち、身体をさばいてみるがいい」
そう言い残して、彼は二日後に逝った。
弟子たちは彼の言葉に従い、その身体に刃物を入れたところ、驚くべきものを目にする。
彼の身体には、入っているべき臓腑が、一片たりとも残っていなかったんだ。血と肉と骨はあっても、その内側にしまわれるべき、五臓六腑の姿はない。
「あの技は、わずかにでも誤れば、病魔どころか内臓にさえ『はなむけ』を与え、旅立たせてしまうのだろう。それゆえ、師はあれほどに厳しかったのだ」
弟子たちは、そのように子供らに伝えながら、かの技を永遠に、自分の内のみに秘めることを守っていったという。




