筋肉レジスタンス
「おはようございます。今日のあなたの筋肉量は48.24kg。昨日と比較しマイナス0.12kgです」
起床して初めに聞くのは、自分の筋肉量だ。
左手首に腕時計のように取り付けたボディーメータが自動で体重、筋肉量、脂肪量、骨量などを測定し、ご丁寧に1時間おきに知らせてくれるのだ。毎時間自分の筋肉の量に一喜一憂しながら、俺たちは生活している。
国が全国民の筋肉量を管理するようになって、もう10年になる。
きっかけは筋肉量が増えると体力が増えるだけでなく、精神力も増し、あらゆるストレスに強くなることが科学的に証明されたことだ。
軍事独裁国家として国際社会から孤立していたこの国は、国民の筋肉量こそが救国のパラメータと断定し、全国民の筋肉を鍛えるプログラムを策定した。
まず全国民にボディーメータの着用を義務化し、常時筋肉量を測定して一元管理し、筋トレが強く奨励されるようになった。筋肉量が個人の属性として査定対象となり、筋肉量が増えるほど税金は軽減されるという金銭的インセンティブも導入された。
日常的に筋肉を鍛えられるよう、身の回りの物体が重くなった。具体的には、食器、カバン、衣服、文具、靴に鉄が仕込まれている。軽い製品は法律で禁止され、箸の上げ下げにも大きな力が必要になった。
筋肉量が一定値を下回ると、強制筋肉増強施設、通称「ジム」送りになった。
老人はほとんどがこの「ジム」に入れられた。「ジム」内では非人間的な強度の筋トレが強制され、弱い者から身体を壊して死ぬ。そして、そのように弱い者が死ぬことは「脂肪率を下げる」と呼ばれ、むしろ喜ばしいこととして報道されるようになった。
逆に筋肉量が一定値を上回ると、兵役が課される。兵役が課されることは国民にとって非常な名誉とされ、子供たちは男も女もなく「兵隊さんになる」ことを夢見て筋トレに励んだ。
今月の筋肉スローガンはこうだ。
『おまえは国家の筋肉か? それとも脂肪か?』
俺の父は筋トレ政策に反対し、投獄されて死んだ。
筋トレに励んで兵隊になって国のために死ぬのなんかごめんだ、と俺が思っているのは、そんな父の影響が大きい。
だが、俺は父のようにおおっぴらに反対運動をして投獄されるのも嫌だった。
だから俺は、筋トレを適度にサボることにした。
俺の身長の場合、「ジム」送りになるのは筋肉量40kg以下で、軍隊送りになるのは筋肉量50kg以上だ。
そこで俺は筋肉量をその中間で維持すべく、筋肉を付けすぎず、かといって筋肉が衰えぬよう、バランスをとって生活をしている。筋肉を落としすぎると日用品の扱いが苦しくなるので、軍隊に放り込まれないギリギリの量を保つのがコツだ。
筋肉を育むのに必要なのは、運動と食事と休養。よってこの3要素を調整して筋肉量を抑制していく。
筋肉を増強することに血道を上げるこの国のマッチョエリート共よりも筋肉に対する理解がないと、この刃の上を渡るようなバランスを保つことはできない。
ふと、なんで俺はこんなことをしているのだろう、と思う。
俺はそこらの軍人よりも筋肉について詳しい。この知識を活かせば、きっと鎧のような筋肉が手に入り、みんなから褒めそやされ、さぞ世間体もよくなるだろう。
だが――言いなりになるのは嫌だ。
だから俺は今日も筋肉を付けないよう、できうる限り自堕落に生きていく。
これが俺の抵抗だ。