~1-2~ 冠水都市のセクハラ少女
新が大会の開催場所についたのは家を出てから三十五分後の八時四十五分だった。
「明都eパーク」と書かれた看板の下で新はぜぇぜぇと息を整える。
早朝のジョギングのせいで少し疲れていたのだろう、
いつもと比べてどんどん遅れてゆくペースを取り戻そうとしたのが仇となった。
シャツの襟で首元をあおぎながら、新は会場の様子をうかがう。
「明都eパーク」は歴史ある大きな公園「広堀公園」に建てられた総合遊技場だ。
五つほどの施設が、公園の中央にある大きな湖を囲むように建てられており、
それぞれの施設でテーマに沿った娯楽が楽しめるようになっている。
体感型VRゲームが主流になった現在、
ゲームのために旧来のスポーツのような広い敷地が必要になったため、
その施設の多くは遊技場というよりも運動場に近い形になっていた。
中央の湖からはゲームに必要な情水が十分な量供給されており、
そのために整備された水路は運河のように公園の隅々まで張り巡らされている。
水が公園中を巡るその美しい風景はこの街の観光資源の一つでもあった。
乱れた息が戻ると新は先に来ているはずの友人達を探しにパークの中に入る。
時折、施設の方から届く歓声が、イベントの盛り上がりを予感させる。
早くも会場は十分に温まっているようだった。
今日の大会は市内で開かれる大会の中でもそこそこ大規模なものだ。
開催されるのは大会だけでなく、誰もが自由に遊べるサイドイベントも複数ある。
そのせいか、大会開始時間までやや時間はあるにも関わらず辺りは人で賑わっていた。
新は人の群れをかき分けながら、目当ての人物達を探すことにした。
クレーンゲームコーナー、音楽ゲームコーナー、VRゲームコーナー……一通りまわったが、
それらしい人物は見あたらなかった。おかしい。
三人のうち一人はともかく
残りの二人は見たらそれと分かる身体的特徴があるはずなのに影も形もない。
何かあったのだろうか。そう思いながら新はメッセージを送ろうと「窓」を起動した。
すると。
「あーらたさん」
ふにゅん、と音がしそうな柔らかな感触が新の左腕を包んだ。
慣れたような懐かしいような感覚を覚えながら、
友人一人目が見つかったことを新は察した。
「華実」
新が振り返ると、一人の少女が新の腕に抱きついていた。
その少女は新より少し小さいぐらいの身長で、
砂糖菓子のような桃色の髪をハーフアップにまとめている。
その甘い色の髪とは対照的に少女の瞳の色は深く暗い紫色で月夜の湖畔を連想させた。
だが、彼女を見た人間は彼女の髪や目よりも
まず彼女のその豊満なバストに目がいくだろう。
身長に似合わない、少女の頭ほどはあろうかという巨大な胸は常に周囲の注目の的だった。
彼女、多木華実は、そんな自分の胸を密着させ、
新をからかうような表情でニコニコと笑っていた。
少女の長い薄桃色の髪が新の身体をなでるように揺れ動いている。
新は自分の腕に蛇のように絡みつく友人を一瞥すると彼女から逃げるように腕に力を込めた。
しかし、新の腕はビクともしない。
単純に重いので早く逃れたいのだが。
捕まっている方の腕に新が目をやると、
華実の胸の谷間が自分の腕を飲み込んでいるのが見えた。
やはりとても重い。
「いいところにいましたね、少し雑談でもしましょう」
「? あぁ」
二人はそのままの姿勢でパークの歩道を歩いて行く。
べったりとくっついた二人はすれ違う人々から見るとまるで彼氏彼女のように見えただろう。
しかし当人達にそのような感情は一切ない。
あるのはせいぜい古くからの友人に対する盛大な面倒くささと少しばかりの友情ぐらいだ。
その証拠に、身体の大部分が接触しているにもかかわらず二人の表情は甘さなど全くない、
涼やかなものだった。
「待ち合わせ場所、パークのそこらへんって適当すぎだろ」
「やれやれ新さん。私達一体何年の付き合いだと思ってるんですか。
それぐらい長年の勘でたどり着いて欲しいですね」
「じゃあお前どこにいたんだよ」
「女子トイレですけど」
「たどり着けてたまるか!」
新は組み付かれていた手を振りほどきながら言った。
華実は笑いながら新から離れる。
その微笑みを崩さすに華実はそっとささやいた。
「ヒロさんが来るまで、男除けをお願いしますねー」
「……そういうことね」
新が周りを見ると、男が何人かこちらを見ていた。
その視線は例外なく華実の胸部にそそがれている。よくあることだった。
なので、新も慣れた仕草で華実の身体をカバーするように歩く。
華実からつかずはなれず、かつ、周りへ威圧的な雰囲気を出して警戒を怠らない。
やがて、まとわりつくような視線が、消えたとまではいかないが、明確に減っていった。
「……まったく、おい華実」
新が華実の方に視線を戻すと当の本人は気楽にリズムゲームをやろうとしていた。
「なんですか新さん」
「音ゲーやめろ。また変な輩が集まるぞ。それで、ヒロは何やってんだ、相方ほっといて」
「身体を温めてくるそうです、その辺りを走ってると思いますよ」
「結衣は」
「ヒロさんにくっついていきました」
音ゲーを始めながら華実は答えた。やるなと言ったのにこの野郎。
筐体のリズムに合わせてピョコピョコと動く華実を横目に新は周囲を見回した。
新の目の前で雑踏が右へ左へと蠢いている。
時折人混みからこちらに向けられる視線も感じたがそれらはおそらく華実へ向けたものだろう。
新はその視線達とわざと目を合わせて笑顔を返す、男除け役の大事な仕事だった。
しかし、ヒロと結衣はどこにいるのだろう。新は「窓」を起動し今日の試合表を確認する。
ヒロ達の初戦は第五試合、時間に余裕があるとはいえこの人混みの中
合流するのは骨が折れそうだった。
ひとまず新は目の前の人の流れから二人を見逃さないように目を凝らす。
そこで気になるものを見た。
それは、美しい白い髪だった。
黒山の人混みを雪のように揺れて流れるその長い髪はなぜか新の目にとまった。
たゆたう髪の一本一本がスローモーションのようにゆっくりと動いている。
少なくとも新にはそう見えた。
なんとなく、新はその髪を視線で追い、髪の主を見つけようとする。
そこまでの新の行動に特に他意はない。だがしかし、不意に、新の心臓が跳ねた。
「っ!?」
ドクンという音が耳の先まで響く。そして、新が戸惑う間もなく、次の瞬間。
暴風が吹いた。
それはまるで、巨人の咆吼のように力強く重い風だった。
道を行き交う人達は驚きとともに身につけている物が飛ばされないように抑え、
自分達が倒れないようにこらえる。数秒、風は人混みを押し分けて吹き抜け、
やがて何事もなかったかのようにかき消えた。
「……今のは?」
気づくと新の胸の動悸は収まっていた。そして、白い髪の主もいつの間にか消えていた。
「新さん今のは」
音ゲーを終えていた華実が話しかけてくる。先ほどの強風で桃色の髪がボサボサだ。
「まさか、お前も感じたか」
流石は十年近い付き合い、こういう時の息はバッチリだ。
「えぇ、もちろんです。まさに神風、六人は見えましたね」
「ちょっと待て、何の話だ」
「は? パンチラの話ですけど」
「おまえに期待した俺がバカだったよ、このムッツリが」
息は合ったが意気投合とはいかなかった。コミュニケーションとは難しい。
華実は自称ドスケベを名乗るほどの下ネタ好きだ。
世が世なら世界をとれた器とは本人の言である。
そんな世は滅んだ方が未来のためだと新は思っている。
軽くあしらわれたのが気に障ったのか、華実はムッとした顔で言い返す。
「はぁああああああああああああああああああ!?
言わせてもらいますけど、あの神風を察した瞬間、
婦女子のスカートに目がいかない新さんの方がおかしいんですよ!!」
「おかしくねぇ!」
「それに!! 私はムッツリじゃなくてドスケベです!!!」
「大声で言うのやめろ!ほら周りの人こっち見てるでしょ!」
事実、新達は注目を集めていた。
しかもおそらく新を非難する視線が八割以上だ。
納得できないという顔をしつつも新はぎゃーぎゃーと騒ぐ華実をなだめる。
そこで新は華実の後ろに誰かがいることに気づいた。
この気配と小ささは、おそらく。
「ハーナミン」
「はひゃぅわうっ!?」
突然、華実の後ろから二本の手が伸びてきて、彼女の豊満な胸を鷲掴みにした。
そして、二本の手はそのまま指と掌全体を使って愛でるように華実のおっぱいを揉み潰していく。
「ちょ……っ!やめ……あっ!」
新の目の前で二つの球体がぐにゅぐにゅとまるでゴムまりのように変形する。
その動きは新達が小学生の頃に流行ったVR系RPGゲームのスライムを思い出させた。
ある意味で男子達に絶大な人気を誇ったが年齢制限が見直され、
R15指定されてしまったのは当時の男子達(あと華実)の苦い思い出だ。
新がそんな思い出に浸っていると華実の背後から聞き慣れたダミ声が飛んでくる。
「おはようアラタ、振られた調子はどーよ」
華実の胸の陰から少女が顔をのぞかせた。
少女の名前は橘結衣。新が探していた友人の一人だ。
結衣は小柄でチビで背格好の低いごく普通の女子で、
背の低さとノイズ混じりのダミ声の以外の特徴は、
栗色のショートカットヘアーとパンダのような垂れ目ぐらいだ。
ちなみに胸部の方は華実とは対照的な平原で、
そのせいかは知らないがよく華実の胸をあいさつ代わりに揉むのが結衣の日課だった。
つまり、このセクハラも新にとっては日常である。
新は眼前で揺れる双丘から目を離すと結衣に言った。
「ノーコメント」
「もっとくやしがってもええんやで?」
「うっぜぇ……」
まるで風邪をこじらせたカルガモのような濁音まじりの声で結衣は新を煽る。
なお、その間も華実の胸を揉む結衣の手は止まらない。
「せ、セクハラしながらっ世間話しないで下さいっ!」
結衣の執拗な指の動きに翻弄されつつ華実は言った。
「試合の前に指を温めてるんだよー」
「結衣ちゃん試合出ませんよね!?」
「……結衣、そのへんにしとけよ。さもないと」
「んー? さもないと?」
「俺がとばっちりを受ける」
「いい加減にしないと、新さんの振られネタ私が先に拡散しますからねっ!!」
「えっ、それは困る!!」
「困るのは俺だよ!!」
会心のネタを人質に取られた結衣はあっさりと引き下がった。
その顔は非常に名残惜しそうだ。
一方、解放された華実はその場にうずくまり動かない。
胸をいじられたのが相当堪えたのか、長い髪の隙間から覗く両耳が真っ赤に染まっていた。
華実はエロいネタが大好きの癖に自分がそういう目で見られるのは苦手で、
直接的なセクハラは更に苦手だった。