~1-1~ 冠水都市の着信音
とぷん。
小石を池に投げ入れたような、肌寒い音がした。
午前八時。狭い部屋に、新規メッセージの通知音が波紋のように揺れて広がる。
その音にいやな予感を感じつつ、少年、黒松新は目を覚ました。
新は寝ぼけた頭を働かせ、「窓」のプログラムを起動した。
空気中の水分が新の目の前で凝結し、板のように変化する。
新着メッセージを新が確認すると、その内容はたった一文だけ
(リアルバウトのコンビ解消するね☆)
と書かれていた。
(……またか)
新はうんざりした表情で「窓」のプログラムを中断した。
固まりとなっていた水が泡のように消える。
春休み三日目の朝。通算六十五回目の絶縁状が新の目覚ましとなった。
さっきまで寝ていたベッドに寝転がると新はゆっくりと目を閉じる。
(今回は手応えあったんだけどな……結構コンビ続いたし…………そりゃあ、誰にも勝てなかったけどよぉ!)
新はメッセージを送ってきた相手に思いを馳せる。たしか彼女の名前は……。
とぷん。
再度、通知音が部屋に響いた。
「!」
まさか、という思いで新は新着メッセージを開く。
まさかまさかまさか彼女が考え直してく
(まーーーーーーーーーーた振られたんですか(笑笑笑))
違った。大間違いだった。別人の、よく知った相手からのメッセージだ。
しかも、今は会いたくないタイプの相手。一気にテンションが下がってしまった。
新が送信者のアカウントを見直すと「多木華実」とある。
『なんで知ってるんだよ』
ぶっきらぼうに返信すると五秒も経たず返事が来る。
(え、本当に振られたんですか新さん……。それはざまぁないですね)
「この……」
とぷん。
新たな通知音と共に今度は画像が送信されてきた。
画像のサイズに合わせて「窓」は薄く伸びて壁一面に広がる。
ポスター程の大きさに広がった「窓」に
こちら側を指さして笑う不快なキャラクターの絵が表示された。
送信者は「橘結衣」。
とぷん。
(アラタ、これ見て元気出せよ)
「ふざけんな!」
噛みつくように言うと新は「窓」を閉じた。
一分ほど、静穏な朝の空気が部屋に戻ってくる。しかし。
とぷん。とぷん。とぷん。
一拍おいてから、がむしゃらなリズムで着信音が鳴りはじめた。
雨が降り始めた時のように水音がまばらに響く。
あきらかに嫌がらせだ。新は布団を頭まで被り音を聞かないようにする。
だがしかし
とぷんとぷんとぷんとぷんとぷとぷとぷとぷぷぷぷぷぷ!!!
一分ほどたっても着信音は鳴り止まず、むしろ勢いが増えた。
とうとう痺れを切らして新は叫んだ。
「えぇい!いい加減にしろこの暇人ども!!」
新は二人からの着信をすべてブロックしようと「窓」を操作する。
だが、最新の通知を見て動きを止めた。
(うだうだ言わずに来い。今日は「リアルバウト」の大会だ、新)
発信者は「ヒロ」。
延びきったバネが一気に縮むような勢いで新は跳ね起きた。
そうだ、そうだった。ふてくされている場合じゃなかったんだ。今日のために俺は
「ってコンビ相手がいないんだっての!」
とぷん。
(いまさら何か言ってっとアラタがさんざん振られてること学校のSNSで拡散すっからね)
――――――――
新が外に出ると太陽はすでに昇りきっていた。
空は快晴、青空の隅っこを雲が申し訳程度に浮いている。日差しが顔に当たり、新は目を細めた。
「リアルバウト」の大会が開かれる場所までは走っていけば三十分程度でつく。
新が東の空を見ると巨大な球体時計がいつもと同じ様子で水を噴きだしていた。
時計の時刻は八時十分。
噴き出た水のしぶきが朝陽を跳ね返し、鮮やかな虹がいく筋もきらめくのが見える。
(朝のジョギングの続きと考えればいいか)
軽く準備運動を済ませると、新はヒロ達との待ち合わせ場所へと走り出す。
風が吹き、遙か向こうに見える虹が、傷心の新を励ますように輝いた。
――――――――
――――かつて、ある科学者が奇妙な研究結果を報告した。
その研究は、端的に言うと「水にある特殊な処置を施して情報を付加する」というものだった。
処置を施された水から情報を取り出し、
一方で、水に情報を書き込めるということだったが、
世の中の見解としては「それ電子機器でやればいいじゃん?」
という意見が大勢を占めていた。
つまりは「そんなの意味ないじゃん?」ということだ。
しかし、その状況は次に出された研究報告によってまるっと覆った。
その報告は、「水に情報を"プログラム"として付加することで水を元素単位で自由に操作できる」
というものだった。なぜそうなるのかという説明は長いし難しいので詳細は省くが、
これによって世界は一変した。
なぜなら”水を自在に操作できる”とはつまり"自然を自由に操作できる"ということだから。
情報を付加された水はその後「情水」と呼ばれるようになった。
まず始まったのは天候の操作だ。
最初の研究が発表されてから十数年で世界の気候はほぼ完全に人間に掌握されるようになった。
また、当時世界を悩ませていた海面上昇の問題も解決した。情水は人間側の設定で、
まるで油が水を弾くように、触れる物と触れられない物を設定できた。
例えば、壊れたら困る機械に対して情水にこう設定する「あの機械には触るな」
すると情水はまるでその機械に弾かれるように動くのだ。
海面が上昇したとしても、水没する地域の水をすべて
人間や建物などに触れられない設定にすると影響はほとんどなくなった。
「人間の歴史は、自然との敗北の歴史だが、ついに科学が自然に勝利した」
そう言う者も多かった。
次に始まったのは、情水そのものを電子機器の代わりに使うということだった。
様々な製品が開発されたが、その中でも情水が空中で平面上に集まることで、
それをタッチディスプレイのように扱える携帯端末、通称「窓(Window)」が絶大な人気を博した。
しかし、最も大きな変化は世界中の予想を超えていた。
当時、誰かが、いや誰もが思ったのだ。
「情水を飲んだ生き物は、人間はどうなる――?」
その疑問に答えを出すべく多くの研究者は莫大な時間と金をつぎこみ、そして発見した。
「情水を一定量摂取した生物は、世界中の情水と接続できる能力を得る」
世界中の情報と接続できる、コンピュータのような能力を持つ新たな生命の誕生――。
――――それが三十年ほど前のことだった。
第一章はもう一人の主人公、黒松新視点です。