~0-1~ 冠水都市の配達員
冠水地区。水没した道路の水面には早朝の白んだ空が映っていた。
牛乳が染みこんだような白い空気は
すっかり冷え込んでいて人肌に突き刺さるようだ。
やがて、冷えきった空気をかき乱しながら、爆音が冠水地区に響く。
爆音と共に水に沈んだ道路の水面を滑るように水上バイクが疾走してくる。
そのバイクを操るのは強面な車体とは不釣り合いなほどに小柄な少女。
彼女、白梅望は朝一番の配達を終えるべく、
荒れ狂う鉄馬を爆走させていた。
(うおおおおおおおお!!!遅刻遅刻遅刻うううううううううう!!
寝る前に来期アニメのPVなんて見るんじゃ無かったあああああああ!!)
望がちらりと東の空を見ると、
はるか向こうに直径一キロメートルはある巨大な球体が浮かんでいるのが見えた。
球体には複数の穴がまばらに開き、
穴という穴からは大量の水が地上へと流れ落ちている。
球面の中央部分には指輪のようなリングがはまっており、
リングの表面では「2060/3/6/05:55」という日時を表す文字が横方向にスクロールしていた。
空に浮かぶ球体はこの街、「第六冠水都市明都」特有の巨大な球体時計だ。
時計で望が把握した残り時間は五分。気合いを入れるように望はバイクの速度を上げる。
跳ね上がった水が望の頬をかすめ、彼女の細く艶やかな白い髪に当たってはじけた。
(くそ! あれやるか!)
もうすぐ冠水地区の中でも特に入り組んだ道に入る、
律儀に道に沿ってグネグネ走っても遅れるのは目に見えていた。
望は突っ切ることにした。
そう、文字通り突っ切るのだ。
――日が昇り始めていた。
早朝の冠水地区の人通りはかなり少ない。
静まりかえっている街角に水道の蛇口を全開にしたような音が
染みわたるように広がっていく。
それは望が駆る水上バイクが道路の水を撒き散らしながら突撃してくる音だ。
見る人がその様子を見ればブレーキが壊れたと誤解したかもしれない。
だが、暴走するバイクに跨がる少女の顔を見たならその考えも変わっただろう。
望は、歯を見せて笑っていた。耳を澄ますとキキキと声がするような、
楽しくて仕方のない子供の笑顔をしていた。
「……まずは地図」
望はそう呟くと、ほんのわずかな時間、自らの意識を目の前のハンドルから外す。
朝霜を含む湿った空気に向けて、望は脳内から信号を飛ばした。
ネットワークへアクセスするためだ。
望の意識は電子情報へと変換され、次の瞬間には
まるで呼吸で吐き出される二酸化炭素のように情報が彼女の外へと飛び出していた。
情報へと変化したその意識は空気中の水分をつたって空へと溶け、
空気中に張り巡らされたインターネットのネットワークにつながった。
その瞬間、望の周りで弾け飛ぶ水しぶきが動きを止めた。
無数の水滴は一瞬停止した後、
走る望の跡を追いかけながら決まった形へと凝結してゆく。
集まった水滴はやがて『接続成功』という文字となって望の視界のすみっこに現れた。
遅れて『未読通知三十二件』『本日の明都の天気』『リアルバウト!ver3.2』などなど
様々な文字や画面、アイコンが水上バイクの下から、後方から望の周囲に
まるで窓のように現れる。
それらはすべて、道路を覆う水から出来ていた。
冠水都市の水は情報を司り、あらゆるものに形を変える。
触れるも染みるも、今では人間の思いのままだった。
ネットに繋がったことを確認すると望は現在の位置から目的地までのルートを検索する。
望の視界に被さるような形で周辺の地図が表示された。
地図上には検索結果のルートが赤色の線で描かれている。
赤線のルートは今、望が走っている大きな道路のあとに細い抜け道を通るものだった。
望は顔をしかめる。
「んんーそうじゃなくてー」
望は条件を変えてルートを再検索する。
「……出た。最短経路」
再検索結果は先程のルートと途中までは同じだったが、大きく異なっている点が一つ。
ルートを示す赤い線が現在位置から目的地までの中間あたりで途切れていた。
不自然にルートが途切れているその場所まであと数十メートルのところまで望は近づいていた。
望は運転と同時に脳内で更に操作を進めていく。
最短ルートの始点は分かった。今度は道の確保だ。
望は心の内で、あるツールの起動命令を呟く。
すると、彼女の視界に新しい画面が表示された。
画面に浮かぶ「ミラージュ改」の文字は触れたらケガをしそうなほど刺々しいデザインをしている。
その後、一秒ほど遅れて複数の画面がポップアップした。
起動したツール画面には、「高さ」「位置」「形」などのいくつかの項目があり、
それぞれの項目に大小複数のダイアルが備え付けられていた。
望は「位置」項目にある小さめのダイアルに触れ、それをグルリと回す。
すると、周辺に満ちていた水がさざ波をたて、一方向に揺らめき始めた。
「ミラージュ改」は冠水都市の水を操作するための違法ツールの一つだ。
望はツールの動作確認を終えると左手をバッと挙げた。
そして、一秒の間を置いて、彼女は自分の視界いっぱいに広がったダイアルの幾つかを
横一直線に切るようになぞった。
すると、それに連動して彼女から半径数十メートル圏内の水が
まるで津波の前触れのように一斉に引いてゆく。
やがて、それらの水は先ほど望が検索した地点
ルートの始点を目指して一斉に収束し、一つの大きな塊へと変化する。
配達予定時刻まであと百五十秒。
初めまして。タラバグマと言います。小説を投稿するのは初めてなので色々感想などあったらどうかよろしくお願いいたします。