白銀の竜と最も強い魔法 (習作/お題・最強)
「こんばんは、S.D.ヴォルヘイム。ようやくキミに会うことができたよ。
噂通りの偉大な姿をしているね。いや、それ以上かな。ずっとこの瞬間を待ち望んでいたのに、見てくれよ、ほら。はは、足が震えているだろう」
「よく来た、小さきものよ。我はおまえを知っているぞ」
「本当かい、S.D.ヴォルヘイム。どうして僕がここに来たかってこともわかっているんだね。
それなら話が早くていいや。ねえ、ちょっと座ってもいいかな。長旅ですごく疲れているんだ」
君は大きなため息をつくと、エナの木の長い杖を壁に立てかけ、その場にゆっくりと腰を下ろした。
肩にかけた鞄を下げると、その中から山羊の皮で出来た水筒を取り出し、口に含む。だがすぐに咳き込んだ。
君の身体は全身が薄汚れていた。黒鷲の翼を模した外套は所々が破けており、旅の過酷さを物語っているようだった。
「ここは空気が薄いね、S.D.ヴォルヘイム。王宮住まいの僕にはあまり快適とは言えない環境なのだけど、キミにとってはずいぶんと居心地が良さそうだね。
ねえ、少し話をしても良いかな。ずっとひとりで旅をしてきたから、言葉が泉のように溢れてくるんだ。キミが嫌なら黙るけれど」
君が尋ねると、白銀の竜は片方の目を瞑る。君にはそれが『構わない』と言っているように思えた。
そう、君は今、“恐れを知らぬ白銀の竜”――『Silverstone Dreadnought』 ヴォルヘイムと対峙しているのだ。
その巨躯は城のように厳かであり、鱗は磨き抜かれた白磁のよう。その一息で湖を干上がらせ、その一声であらゆる獣をかしずかせる王。
洞窟の中、疲れた男と寝そべった偉大な竜が向かい合う。
「ここに来るまでには、本当に色々なことがあったんだ、S.D.ヴォルヘイム。少なくとも二度はもう駄目だと思ったし、裏切られたことだって山ほどあった。
色んな人間の色んな面を見てきたんだ。それが良いことだったのか悪いことなのかはわからないけどさ、だからこそ今の僕にはキミがすごく綺麗に思えるんだよ」
ヴォルヘイムの棲むリンダグレイナ満山は、この大陸で最も高く険しい。年中雪に覆われた霊山をたったひとりの男が登り切っただけでも、それは奇跡のような出来事だ。
「小さきものよ。おまえは魔術師だ」
竜は吐息を漏らすように、わずかな口の隙間から声を発した。恐らくそうでもしなければ、君の身体は吹き飛んでしまうのだろう。
「そうだね、S.D.ヴォルヘイム。そして、それが大事な話なんだ。
僕はね、大陸一と言われた“マジェナの庭園”で学んで、同期のひとりと一緒に王宮付きの魔術師になったんだよ。色んな魔術を研究してきたんだ。王様は気難しいし、大臣は嫌なやつらだったけどね、僕なりに頑張ってきたつもりだったんだよ」
言葉の途中、やはり辛そうに咳をする。長旅は君の体を蝕んでいた。
君はもう一度水筒に口をつけた。額から汗が流れ落ちている。竜の発する雰囲気に飲まれないように気を張れば、その精神はたやすく消耗されてゆくのだ。
「だけどね、彼らは言うんだよ。魔術師を飼うのは戦争を優位に進めるためであり、そのための魔術を開発する義務が僕達にはあるんだって。
でも僕はそれは違うって主張したんだよ、S.D.ヴォルヘイム。
魔術は神が人に与えた叡智だ。人と一部の魔物、そしてキミたちのような選ばれた存在だけが使える特権だ。魔術っていうのはね、魂の富なんだ。それは他者に分け与えて、同族を救うために使わなければならないものだよ。
例えば“マジェナの庭園”が行なった大規模な治水工事をキミも知っているだろう? 川の氾濫を止めるために、一〇二名の魔術師が石を築き、土を焼き、水流を操ったんだ。あの時、僕は自分が魔術師で本当に良かったと、すごく誇らしい気持ちになったんだよ」
竜は君を見やる。その目は理性の輝きに満ちている。
S.D.ヴォルヘイムは残忍で人を喰らう魔物だと語られている。かつて一つの国を滅ぼしたという伝説を知らぬものはいないだろう。夜に飛ぶ鳥が不吉の象徴だと言われているのは、彼らがヴォルヘイムの使い魔であると伝えられているからだ。
だが、君はそんな言い伝えを信じてはいない。それらは竜の偉大さにひれ伏した怯懦な人間たちの妄想に過ぎないと君は思っている。
竜はただそこにいて、君をじっと見つめている。
「僕はずっと訴え続けてきたんだ。でも、それが聞き入れられたことはなかったんだ。
だから僕は、表向きは王様に従ったふりをしながら、ずっと人々の助けになるような魔術を研究することにしたんだよ。
毒だって使い方を変えれば、薬になるだろう? 僕は薬学を学んだこともあったからね、まず第一にその発想があったんだ。
“光”を作る魔術があるんだけどね。一瞬だけ強烈な光を発すれば、それは目くらましや戦の合図に利用できる。だけど、小さな明かりをずっとずっと残していられるような魔術が作れれば、夜道も安心して歩けるようになるだろう? 僕はそういうことのほうが大事だと思ってたんだ。
こう見えても、僕は何人も弟子がいるんだけどさ。彼らも僕の理念に賛同してくれていたんだよ。はは、そう思っていたんだけどね」
君は軽い笑い声をあげた。竜に君の気持ちは伝わらないだろう。人間を小さきものと呼ぶ彼には。
「弟子のひとりが、密告してしまったんだ。ついに王様にさ、僕が命令を無視して人々の役に立つ魔術を作ろうとしていることが、バレてしまったんだ。
そりゃあ王様はカンカンだよ。僕はすぐに処刑されそうになった。まるで反乱者扱いだね。一国の資金を自分の目的のために使い込んでいたんだもの、まあ、遠からずってところだけどさ。
でも、僕はまだ生きているだろう? S.D.ヴォルヘイム。
そうなんだ。同期の魔術師がね、僕をかばってくれたんだ。僕が偉大な魔術師で、この国にとってどれだけの価値があるかを説いたんだよ。まったくのデタラメさ。でも彼女は、命と引き替えに僕を救おうとしてくれたんだ。それがまさか、こんなことになるなんて思わなかったよ」
ヴォルヘイムは寝返りを打つように身動ぎをした。翼が軽く動いて、君の髪と外套が揺れる。壁にかかった杖が転がり、水筒が倒れた。中から水が溢れて、洞窟の床に染みてゆく。
「王様は条件を出したんだ。そうだよ、S,D,ヴォルヘイム。キミも知っている通り、僕に“竜退治”――『DragonSlay』を命じたんだよ。
信じられないだろう? どの伝説の物語だって、いつだって『DragonSlayer』は高貴な騎士さ。聖なる剣を掲げて、あるいは銀の矢で竜を打ち倒すんだよ。
僕みたいな平民の出の魔術師が竜を倒すなんて、聞いたことがないよ。
くだらない話さ。どうして僕が何の罪もない竜を殺さなきゃいけないのか。たったひとりの男の虚栄心を満足させるためだけにだよ。でもね、それができなければ、身代わりになった彼女が死ぬんだ。そうさ、僕は彼女の命を代わりに、この旅を許されたんだよ」
君は顔をあげた。手を胸の前で組んだまま、竜を見つめる。ヴォルヘイムは片目を瞑ったままだ。
「そして、ようやくここまで来たんだ。S.D.ヴォルヘイム。
こんな形で魔術を使うのは辛いんだよ。だけど、僕のワガママで彼女を巻き込んでしまった。僕は償わなきゃいけないんだ。僕の命は僕のものじゃない。彼女に返すためにね」
君と杖の距離は、遠い。手を伸ばしただけでは届かない。
ヴォルヘイムは君を見据えている。その瞳にはまだ警戒色は浮かんでいない。
「小さきものよ。我を討つことを望むか」
「そうだね。そのつもりだよ、S.D.ヴォルヘイム。
見ての通り僕は騎士じゃない。女神の祝福を受けた剣を持っていないし、キミは人々を苦しめる魔竜じゃない。だけど、それでも、僕はキミを打ち倒す。彼女を救うために」
「小さきものよ。ヒトの魔術で我を討つことはできぬ」
ヴォルヘイムは断じた。竜の鱗にただの刃物は通らない。攻城兵器ですら、傷をつけるのは難しいだろう。
君は重々承知とばかりにうなずく。
「もちろん知っているよ、S.D.ヴォルヘイム。
雷雲の中を泳げるキミに稲妻は通用しない。火山をねぐらにできるキミに炎は無効だ。凍てつく寒さも、疾風の刃だって無駄だろうね。
だけど、なにも魔術師だからといって魔術しか使えないわけじゃない。僕達人間には、道具を使うことが許されているんだからね。それならどんな手段があるだろうか。
僕はこう思うんだ。“最も強いもの”――『The strongest all over the world』とは、[毒]なんじゃないか、ってね」
竜がぴくりと鼻先を揺らした。その瞳の色が若干変わったような気がする。
君は落ち着き払ったまま、語り続ける。
「竜に毒は通用するだろうか。一説には、毒竜という存在もいるようだけどね。もちろん、ほとんどの竜は麻痺、毒、混乱などの、魔術師が使う状態異常は通じない。
だけど、竜だって生き物だよ。食事をするし、眠ることもある。それならば、生理学の掟から抜け出すことはできないんじゃないかな。
どうだろうね、S.D.ヴォルヘイム。僕の想像は間違っているだろうか」
試すような口ぶりを聞いたその瞬間、竜は立ち上がった。城壁が倒壊したかのような轟音と共に、洞窟が揺れる。石片が天井から落ちてきて、君は首を動かした。
「小さきものよ。おまえは答えを知ることはないだろう。おまえはこの洞窟を出ることは叶わぬのだ」
君が杖に手を伸ばしたその時に、君の命は失われるだろう。君はヴォルヘイムを怒らせてしまったのだ。灼かれるのか、裂かれるのか、それとも喰われてしまうのか、竜はどんな方法でもちっぽけな男を殺すことができる。
君は足元を見つめている。水筒からこぼれ落ちた水は、臭気を発していた。
「わかっているんだよ、S,D,ヴォルヘイム。
長いお喋りに付き合ってくれて、どうもありがとう。
最後にキミと話すことができて、良かった」
君は目を瞑った。
果たして、ヴォルヘイムは気づいていただろうか。
旅の最中、君があらゆる毒を作り続けながら、試していたことに。
君がこの洞窟にやってきた時点で、すでに全身を猛毒に侵されていたことに。
その正体が水筒の中に詰まっていた液体であったことに。
激痛に耐えながら語り続けた君のすぐ近くで、竜はその毒を浴び続けてしまっていたことに。
君の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
時を同じくして、ヴォルヘイムも、また。
魔術の毒が通用しない竜に、君は薬学の知識で挑んだのだ。
それはまさに、人類の叡智そのものであった。
そして――映像が――途切れた――
私が遠見の魔術を解くと、水晶玉の中の残滓も溶けてゆく。私の後ろに立っていた大臣が満足そうにうなずいていたのが、ガラスの中に映り込んでいた。
「これはすごい。すごいときに立ち会ってしまったものだ。方法がどうであれ、魔術師が竜を退治したのだ。我が国の名は永遠に伝説の中に語り継がれるであろう」
魔術の明かりの点った部屋の中は薄暗い。私は椅子に深くもたれかかった。長い髪が目にかかるが、払いのける気力もなかった。
私はもうなにも考えることができなかった。君が命を賭けようとしていたことなど、わかっていたはずなのに、止められなかったのだ。
視界が滲んでいく。ずっと君はひとりで旅をしていたと言っていた。だけど、君の行方を私はずっと見守っていたのだ。どんな時でもずっと、生きて帰ってきてくれることを祈りながら。それがまさか、こんなことになってしまうなんて。
「これでそなたたちの命は自由だ。望みのものがあるのならば、なんでも言うが良い。さあ、他国に気付かれる前にドラゴンの亡骸を回収せねばならぬ。忙しくなるな」
興奮した大臣の声が、私の耳に注ぎ込まれてくる。
この人は彼の最期を視て、なにも感じなかったのだろうか。私は哀しみの果てに虚無感を抱きながら、目元を手の甲で拭う。こんな人に涙を見せるのが、とても悔しくなったのだ。
だから私はできるだけ冷然と、言い放った。
「私と、彼の弟子たちを、永久に国外追放してください。それが私の願いです」
“最も強いもの”――『The strongest all over the world』を、彼は[毒]と呼んだ。あるいはそれは、人間の心に潜んでいるものなのかもしれない、と私は思った。
――そしてそれが、此の間までの出来事――
“マジェナの庭園”に出戻ってきた私たちを迎えたのは、優しく笑う君だった。
どうして、と私はつぶやいた。
動揺する私が珍しいのか、君は照れたような顔をしていたね。
でもその後に私が泣いてしまうと、今度は弟子たちの前で困りながら、それでも私を抱き締めてくれたでしょう。
もう一度、君に会えるとは、思わなくて。
私は気づいていなかったのだ。
君が旅の途中ずっと王国に監視され続けていたのを、知っていたことに。
水筒の中、君の含んでいた毒が、ただの眠り薬であったことに。
今頃ヴォルヘイムは、悠然と変わらぬ様子で空を飛び回っているであろうことに。
その遺体を回収しに行った大臣らが、どんな末路を辿るのかということに。
「S.D.ヴォルヘイムは、全てを知っていたのさ。
僕の一芝居に付き合ってくれるだなんて、気の良いやつじゃないか」
私の前で、君は笑う。
生きたままで、君はここにいるのだ。
S.D.ヴォルヘイムよ。
ありがとう、などという言葉では足りないね。
S.D.ヴォルヘイムよ。
私は君に賛辞と共に、一つの名を送りたい。
願わくばこれから君が“最も偉大な竜”――『The Strongest all over the world Dragon』 ヴォルヘイムと呼ばれますように。